第8話 晨星、弘文館へ行く

 中朝にある文華殿は、様々な施設が伴っている。

 その中には、弘文館――つまり、図書館があった。

 今私は、そこにいる。



 ■


『じゃあする? 勉強』


 直くんが私の寝床でゴロゴロしながら言った。


『文華殿に、弘文館ってあるでしょ。気になるなら、あそこに行けば?』

『え、私、中朝に行っていいの?』


 一応妃候補だから、内朝から出ちゃダメなんだと思った。


『行きたい場所があるならどこにでも行っていいよ。なんなら一度実家に戻ってもいいし~』

『フリーダムすぎない?』


 後宮って、普通は入ったら出られない場所なんじゃないだろうか。それともあれかな? 妃じゃなくて、妃候補だから?

 

『元々、行って欲しいとは思ってたんだ。内乱で多くの文書が燃えて、この国の文化水準は最低だからね』


 そう言えば弘文館って、全国の書物も集めていたんだっけ。

 陪の時、ありとあらゆる国から奪った本は、その後灌が回収したと聞いているけど、紛失してしまったものも少なくない。

 

『せっかくだし、君から見て"欲しいもの"は何か、教えて欲しいんだ』



 ■


 ……って、言われて来たのはいいんだけど。

 案内人の顔がめちゃくちゃ怖い。


 杜勇義とゆうぎ。弘文館学士。

 弘文館学士は官職でなく、称号のようなものだ。官職は秘書少監。


 科挙の秀才科を状元、つまり合格が超シビアな科目をトップで通過し、その後すぐに弘文館に配属されたらしい。年は舜雨くんと同じ二十二歳。一生かけても科挙に合格できない人もいる中で、ものすごい天才だ。


 秘書省は主に図書に関する仕事なので、政治的に重要な判断をする部署じゃない。代わりに、皇帝とはかなり近しい関係だと聞いている。特に弘文館学士となると、顧問のような立ち位置でもある。


「……何の本を探しているんだ」

「あ、えっと……布の徴収についての資料って、ありますか?」


 私がそう言うと、無愛想な顔で勇義さんが本を取り出す。

 それは巻物だった。私は机の上において、慎重に開く。

 ……巻物って、綺麗に戻すの、すごく緊張するんだよね……。




 租庸調そようちょう。あるいは、租・調・庸・雑徭ざつよう

 前世では日本史に出てきた懐かしい単語。

 ただし、この国においては、現在進行形でこの国で行われている税金システムだ。


 租。田地からの収穫の一部を差し出す。

 庸。労役、あるいは代納として絹を差し出す。

 調。絹と木綿、あるいは代納として布と麻を差し出す。

 これは前王朝の陪から行われている均田法に基づいて行われる。

 

 いやあ、懐かしい。

 口分田くぶんでん班田収授法はんでんしゅうじゅほう墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほう。特に墾田永年私財法ってなんかリズムいいよね。漢字激ムズだけど。


 と、前世で苦しんだテスト勉強は置いておいて。

 何で私がそれを調べたかったと言うと、気軽に『華ロリ』の制作を頼んでしまった罪悪感から。


 そう。現在、妃候補である私の服とご飯は、全部国民の血税で支払われている。

 

 桃花さんに言ってから、ようやくその事に気付いた。だけど時すでに遅し。目の前には目を輝かせている桃花さんが。「やっぱりいい」なんて、言えませんでした。

 だからせめて、ちゃんとその布がどこから来て、どれぐらいの費用がかかるのか調べておきたかった。

 知ったからといって国民の皆さんの生活をどうにかできるわけじゃないけど、少なくとも節制の意識は身につくかなと思った。


 で、後宮が使用する布は、他国から輸入したもの、後宮で作るもの、そしてやっぱり税金として収められた布がある。

 だけどその数は――明らかに、年々減っていた。

 そりゃそうだ。内乱が立て続きに起きて、その上重税を課せられ、土地を捨てた農民は多い。

 土地を捨て、飢えに苦しみ、昕家に逃げ込んで来る人たちを何人も見てきた。


 直くんが皇帝についてから税金が軽くなったので、農民が逃げる必要はなくなった。それでもうちみたいに、貴族の荘園に吸収された農民は多い。


 軽税は「直くんの皇帝就任祝い」的な、一時的なものだ。またすぐ戻る可能性が高い。


 農民たちはいまだに自立できず、酷い場合は過酷な労働環境で貴族に搾取され続けている。何より荘園って貴族の権力に直結するから、地方に権力が分散されて国家経営的にもまずい。


 そもそも、そんなに畑に使える土地がないし、日本も口分田しかり鎌倉幕府の御恩と奉公しかり、与えられる土地がなくなって詰んでいる。直くん、これどうするつもりなんだろ。


 ……頭痛くなってきた。

 とりあえず、これからうっかり発言で贅沢しないように気をつけないとな。と、心の中で決める。


「ありがとうございます」


 巻物を丁寧に巻いて、私は勇義さんに手渡す。

 やはり無愛想そうな顔で、勇義さんはそれを受け取った。


 舜雨くんも無愛想(というか真顔)だけど、威圧的な感情を向けることは無い。

 だけどこの人の顔は、明らかに怒っている。それを、私にぶつけている。


 そりゃそうだよね。私、妃候補なのに、内朝から出てるんだもん。上司の奥さん(候補)が仕事場所をウロウロしている状態って、そりゃ嫌がれるわ。


『せっかくだし、君から見て"欲しいもの"は何か、教えて欲しいんだ』


 直くんにあんなこと言われたけど、間違いなく場違いだし、ここは早めに退散した方が……。 


「……『雌鳥歌えば家滅ぶ』というのに」


 勇義さんがボソリと言った。

 その非難めいた声と、意味に気づき。

 

「あ?」


 思わず図太い声が出ちゃったよ。

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