第7話 舜雨、意味を見出す
明け方に残る星が見えた。――
明けの明星、太白、啓明、金星。さまざまな名前がついているその星は、太陽の光に隠れることなく眩しく輝いていた。
「おや。起きていたのかい?」
邸から、直が現れた。
お前の護衛だからな、と言いかけてやめた。今は仕事中だ。
膝を着いて、顔を伏せる。
「やめてくれ。いつも通りに振舞って欲しい」
そういうわけにはいかない。
そう思ったが、その声があまりに頼りなかったため、俺は顔を上げた。
昕家にいた時から、直は迷子のような顔をする。
どこへ行けばいいのか、自分の望みを叶えられるのかがわからない。そもそも望みがなんなのかすらわからない。誰よりも何かを遂げることが出来るのに、何をしたいのかがわからない子どもだった。
そんな直が、皇帝になった。
頂点とは、誰とも肩を並べられない地位のことだ。その乾きは、俺のような凡人にはどうしてあげることも出来ないんだろう。
だからせめて、彼の心に寄り添いたかった。
「お前が望むなら、そうしよう」
「……有難う」
ところで、と直は続けた。
「中には入らなくていいのかい?」
その邸は、晨星の
「……入ったらまずいだろ」
「晨星も喜ぶと思うんだけどなあ」
「晨星の望みは聞けないのかい?」と、直は言う。
だが、俺はただの武官だ。妃候補の
そもそも、入らなくとも気配を察することは出来る。
「さきほど、数名の気配があった。だが、敷地内に入らないとなると、目的は偵察だろう」
「了解。さすがだね」腕を組みながら直は言った。
「君と昕氏のおかげで、私は一年も穏やかに暮らすことが出来た」
二人が全部退けていたんだろ? と、直が言う。
直の言う通り、あの一年も殺手が仕向けられていた。その度に俺と師父で縛り上げていたことを思い出す。
直と晨星には黙っていたが、直は気づいていたのか。
「……ねえ、聞いていいかい?」
「なんだ」
「あの時君は、私を初代皇帝の息子だと知ってて助けたの?」
風が吹く。
癖のある直の髪がなびいた。鳥の飛び立つ音が聞こえる。
「知らなかった。本当だ」
そして、羽林に入ってからそれを知った。
ただ、それを立証する方法が、俺には無い。
そういう前に、直は「疑ってるんじゃないよ」と苦笑いした。
「ただ、確認したかったんだ。君は、私が皇帝の子だと知っていても助けたかい?」
日が差し込む。
直の目は、この間葡萄酒を注いだ白玉の盃より、脆く見えた。
「厄介な事情に巻き込まれるとわかってても? 君とは関係の無い人間なのに?
――君にとって大切な人を、横から奪って、危険に晒しているのに」
それは、晨星を後宮に呼んだことに対する懺悔なのか。はたまたは、自嘲なのか。
直は頭がいい。俺や、前世での知識を得た晨星よりずっと。
それなのに、直はよく俺たちに問いを投げかけた。
確かな答えを求めているのか、それともそれが彼なりの歩み寄り方なのかはわからない。
だから俺は、――それが彼の求める答えなのかはさておき――自分の思っていることを話すしか無かった。
「俺が初めて晨星と会った時」俺は切り出した。
「俺が彼女の名前を知った時、その名前が夜明けの星だと知っていても、何とも思わなかった。
目の前の子どもと、星の名前は、俺には関係がなかったからだ」
直は黙って聞いていた。
「昕家に受け入れられた時、俺と晨星は服を一緒に買いに行った。その時、晨星に『どんな色が似合うか』と聞かれて、藍色だと答えた」
その時晨星は、『舜雨くんの目の色だね』とはにかんだ。
服と俺に関係はない。
だが、晨星が『同じ色』だと言ったことで、服と俺には関係性が出来た。
目が覚める想いだった。
殺手の俺にとって、世界とは、俺とそれ以外だった。その境を乗り越えるようなきっかけも、そもそも乗り越えられるものとも思わない。『それ以外』に何が起きようと、俺を揺るがすことは何も無かった。
それが晨星によって、『それ以外』にさまざまな関係性が出来た。
夜明けの星を見る度に、晨星の名前を思い出す。揺れる麦の穂を見る度、晨星の髪の色を思い出す。
晨星から物語を知り、物語から人を知れば、どんどん世界と俺の境目は薄くなっていった。
晨星の言っていた、『意味を見出す』とは、こう言うことだったのかと理解した。
「俺にとって、無関係と関係性の垣根は、その程度のものだ。
そもそも俺は、大切な存在を奪われたとも思っていない。増えただけだ」
俺がそう締めくくると、直は座り込んで、長い溜息をついた。
「君さー、本当にさー……いつも直球だよね……」
「そうか」
「そうだよ」
そう言いながらも、顔を上げた直はにへら、と笑う。
「私なんて他人の子だと、線を引いたら楽なのに、君も晨星も昕氏も絶対にしなかったね」
「俺も晨星も、元は他人の子だったからな」
俺が手を差し伸べると、直は嬉しそうにその手を取って立ち上がった。
「にしても、晨星が藍色の服を着る理由、てっきり君がそう仕向けてると思ったよ」
「仕向けてる?」
「君の独占欲なのかなって」
「そんなわけないのにね」と直が言う。「君が自分の想いを隠しておきながら、晨星に服装の色を押し付けるなんて、そんなこと――」
俺は目を逸らした。
「何でそこで目を逸らすの?」
「……強制は、していない」
ただ、藍色の服を着る度、こっそり嬉しかったのは否定できない。
さすがに気恥ずかしくて、口にはしなかったが、直には見抜かれていたようだった。ごほん、と咳払いをして、別の話題を切り出した。
「あー、ところで。晨星は今日から、弘文館に向かうみたいだよ」
「弘文館?」
たしか、華文殿にある、門下省と隣接したところにあるんじゃなかったか。
「妃候補が、中朝に行っていいのか?」
「私皇帝だよ? なんでも出来る」
ぶい、と二本指を立てるその仕草は、晨星のとよく似ていた。
「ただ、前例のない行動で、誰かがちょっかいをかける可能性があるから、最初はこっそり護衛して貰えないかい? 後からは堂々でもいいけど」
「それは構わないが……最初はこっそりの方がいいのか?」
うん、と直は言った。
「彼女が一人でどこまでやるのか、見てみたくなった」
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