第3話 晨星、夜雨《やう》牀《しょう》に対す
それから一年、彼は昕家で暮らした。
舜雨くん曰く、『ひょっこりやって来て住み着いた黒猫』のように、直くんは我が物顔で年中ゴロゴロしていた。
それが不思議と自然な形になっていた。特に舜雨くんと直くんは、同性同士の、兄と弟のような、あるいは同い年の幼なじみのような親しみがあった。それはもう、ずーっと喋る。
私は堂々と、彼らの真ん中に割り込んだ。腕を組んで。
『……何、晨星。その位置』
『別にー』
盛り上がっているところをしょっちゅう邪魔していたので、正直うざかったかもしれない。だけど、二人は私を仲間はずれにはしなかった。
竹に打ちつけられる夜の雨の音を聴きながら、三人で夜を明かした。
そんなことが数度繰り返されたある日のこと。
『晨星って、舜雨のこと好きだよね?』
直くんの言葉に、飲んでいた柿の葉茶を吹き出した。
『うわ、汚!』
キラキラした目から一転、蔑むような目で見る直くん。
『ななななんで!?』
『え、まさか隠してるつもりなの?』
嘘でしょ、と呆れたように直くんが言う。
『なんで隠してんの?』
打ち明けるには、勇気が必要だった。だって、見破られてるなんて思いもしなかったし。
だけど、本当は誰かに話したかったのかもしれない。誰かに打ち明けられたら、秘密を一人で抱え込まないで済むから。
『……舜雨くんは、多分、妹みたいに思ってるから』
そう言うと、はー、と直くんはため息をついた。
『君、そんなしおらしいキャラだっけ?』
『大分私らの言葉が移ってきたね、直くん』
キャラとか使うようになるなんて。オタクの道を一歩進んだみたいでお姉さん嬉しい。と言うと、『話をそらさない』と厳しく言われた。
『言葉を使わず、人の気持ちを探ろうなんて愚かだよ』
膝に肘をつけ、その腕に顎を乗せる直くん。彼の言葉は最もだ。だけど。
『告白してフラれたら、お互い気まずいでしょ。舜雨くんの居場所がなくなっちゃうよ』
家族としての形も、壊れてしまう。そうなった時、彼の帰る場所も奪うということだ。
それは、私が嫌だった。
そう言うと、ふうん、と面白くなさそうに直くんは言った。
『男なんて、その気がなくても寄りかかればその気になると思うけどねえ』
『そういう人じゃないもん、舜雨くん。キミだってわかってるでしょ?』
そう言うと、まあねえ、とゴロンと直くんは寝転がる。
『あれだけ真面目というか、言動に裏がない人間はいないだろうね』
『そう!』
グッ、と私は乗り込む。
あの日、手を出されそうになって開いていた距離は、この一年でいつの間にか縮んでいた。
『普通さ、助けたら相応の礼を求めそうじゃない? でも舜雨、全くそんなつもりないし。いくらやってもその気にならないもの』
『本当に「人助け」の意図以外ないよ。……ってか、どんな大人に囲まれたのキミ』
これだけで直くんの周りには無償の愛を与えない人たちだらけだとわかる。マジでクズだな。
『冗談で言ったこと、大真面目にとって実行しようとするし。彼、いつか騙されるんじゃないの?』
『それは大丈夫。舜雨くん、すごく強いし』
それこそハニートラップならぬ困った人トラップで引っかかるかもしれないけど、それで対処出来ないような人じゃない。困ったらまず養父に相談するだろうし。
と、ここまで聞いて私は、ふふ、と笑った。直くんが怪訝そうな顔をする。
『というか、アレだね、直くん。「あんなやつのどこが好きなんだか」とかは言わないんだね』
それはつまり、直くんも舜雨くんのことを好ましいと思ってるということだ。まああれだけ懐いているんだから当たり前だけど。
そう言うと、そりゃね、と嬉しそうに身体を起こした。
『彼みたいに面白い人はいないよ。嫌味が通じなくてイライラしたけど、慣れると和むというか、笑っちゃうというか』
『天然なんだよね……』
察しが悪いわけじゃないけれど、独特な感性をしているのか、嫌味や悪口といった悪意は好意に変換され、シリアスシーンではすっとぼけた返答でコメディに変わるという、生粋の天然さんだ。
『あんまり、人と自分を比較するような人じゃないんだよね。だから嫉妬とか羨望とか、そういう負の感情が薄いのかも。自分にない感情は、察しにくいし』
『へえ。じゃあそれに気づける晨星は、嫉妬や羨望を持っているってことなんだ』
試すように直くんが私の顔を覗き込む。
少し考えて、そうかもしれない、と私は思った。
『もしかしたら、私は、物語のキャラクターに嫉妬してるのかも』
『……は?』
『だって読んでたら、「私もこんな風になりたい」って思うもん』
困難にも立ち向かう勇気。どんな状況でも対応する力と知恵。恋人や仲間、友人、家族などの大切な人たち。幸せな結末。
そういうものを物語で知れば、「そうなりたい」と思えるようになる。――現実は物語のように上手くいかないと散々思い知らされていながら、「こんな風に生きたい」と思わずにはいられない。
そう言うと、今度は面白そうに、ふうん、と言った。
彼が突然昕家から姿を消したのは、それからすぐのこと。
どれだけ探しても、直くんの手掛かりとなるようなものは何も無かった。
■
上を見上げると、青く穏やかな空を覆うように軒が伸びていた。屋根を支えるたくさんの構造材が見える。日本史の教科書で出てくるお寺みたい。
「それで、なんで来たのさ、君は」
はあ、と直くんはため息を着く。
文華殿の奥には、紫寝門がある。それをくぐれば内朝だ。すぐそこには、皇帝が日常生活を送ったり、政務を行ったりする紫寝殿がある。
私たちは、そこに入……らず、なぜか階段でだべっていた。
前世ではよく、公民館の入口や勝手口の階段で、小学生たちがカードでデュエルしてたけど、もしかしたら古今東西、世界を超えて共通するのかもしれない。それはさておき。
「絶対に君と結婚しないからね、私は」
「えー」
ここに来て拒絶されるとか。そもそも来いって言ったのは直くんなのに。
――直くんは誰も妃として迎えず跳ね返していた。その理由が、
『私に味方しない家の娘さんなんて、恐ろしくて手が出せないよ。誰にも味方しなかった昕家の娘さんならいいけど』
である。
まあぶっちゃけると、私たち直くんの味方してたみたいなんですけどね。
私も初めて知ったよ。直くんが初代皇帝の末の子で、今の皇帝なんて。
一言も言わず、ある日突然姿を消して、なんだアイツ薄情な、と思ったけど、そんな理由なら仕方ない事情もあったんだろう。知らんけど。
「まさか結婚してないなんて思ってなかったんだよ……」
「私、キミと同じ十八だけど?」
「普通の婦人なら既に結婚してるよ! そもそも君、舜雨のことが好きじゃなかったの⁉」
そう言われて、私は口を噤む。
……好きだよ。彼のことが。今だって。同じ好きを返されないとしても、好きでいることをやめることなんて出来ない。
だからこその、やけっぱちの後宮入りだった。
「一瞬だけでも結婚してくれない? すぐ離婚してくれて構わないから」
「嫌だよ‼ 絶対嫌!」
全力で拒絶された。
「そんなわがまま言わないの! 道端で倒れてたキミを助けたのは誰よ!」
「助けたのは舜雨だし、私皇帝だよ⁉ この国で一番偉いよ⁉」
ギャーギャー言う直くんの声。懐かしい。四年前はこれが普通の会話だった。
ここで舜雨くんの天然な一言が来て、空気がとんちんかんなことになったら、文句ないのに。
「なんか……舜雨がいないと、冴えないね」
「わかる」
どうしてここに舜雨くんがいないのか。その答えは明確。ここが皇帝のための後宮で、私は妃候補だから。自分がなんかすごくアホらしく思えるけど、一つ良いことがある。
もう二度と会えないと思ってた友人に、会えたこと。
「すっかり言い忘れてたけど」
私は笑って言った。
「久しぶり、直くん。またキミに会えて嬉しいよ」
「……君も、変わらなくて何よりだよ」
――直くんは、あの日私を口説いたような笑みではなく、不器用に笑った。
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