第2話 晨星、回想する

 あれは五年前のこと。

ばい』から『かん』に変わるために引き起こされた内乱は、更なる内乱を呼び、バッタバッタと人が死んでいた。私も親が内乱で死んだため、養父・昕文昇のもとで育ったのだ。


 養父は武人として名を馳せ、その身一つで出世してきた、伝説の中の伝説の人だ。

 けれど、初代皇帝が死んだことによって、彼らの子どもたちが皇帝の座をめぐってまたもや内乱。いい加減にしろ。そう思ったのは、私だけじゃないはず。

 その時、養父は誰の肩入れもしなかった。そのせいで昕家はありとあらゆる制裁を喰らったのだけど、養父の判断は正しかったと思う。

 だって、その後に皇帝についたのは、誰も期待していなかった末の子だったから。

 それはまあ、後で話すとして。

 


 そんな時だ。兄弟同然に育った舜雨しゅんうくんが、直くんを拾ったのは。


 思わず私は叫んだ。前世でカラオケで鍛えられ、今世では養父の訓練によって鍛えられた発声は、屋敷中に響いた。

 ――だってその子、生きているのが不思議なくらいボロボロだったのです。


『舜雨くん!? その子誰!? どこの子!?』

『素性はわからない。拾った』

 

 まるで米俵を抱えるように、男の子を抱えて帰ってきた舜雨くん。真顔で淡々とその時の状況を説明する彼の青い目には、何も迷いはなかった。


 舜雨くんは表情が読みにくいけど、思考回路はいつだってシンプル。

 倒れていたから助けた。ただそれだけ。


 まあ、人助けなんてそれぐらいの理由でいい。それが我が家の家訓。とはいえ、我が家もその時は逼迫してたものだから、色々焦ったものだ。なんせどちらにも肩入れしない方針をとったものだから、我がきん家の立場は狭いこと狭いこと。そのくせ民が見捨てられなくてあっちこっち助けに行っちゃうわ、おかけでご飯も医薬品も足りない状態だわ。

 それでも拾ったもんはしょーがないと、家族で交代しながら看病した。

 

 それで、私が看病をしていた時。

 無口だった直くんは、口を開いた。


『ねえ、お嬢さん。もう少し、私のそばに来てくれないかな』


 寒いんだ。と、儚げに直くんは言う。

 流れるような目で私を見据え、微笑みながら口説く。それはよどみない誘いの言葉で、私の頬から耳に触る手つきも慣れたものだった。


 一見少女に見えなくもない中性的な顔立ち。男を匂わせない、未熟ゆえの危うさ。元々なのか、それとも暴行の末に切られたのか、彼の癖のある髪はショートかボブの真ん中ぐらい。それがまた、嗜虐心を煽る。

 支配されそうで、支配する少年。その気になれば、男も女も篭絡できてしまうんだろう。


 ただ、相手が悪かった。子どもに対してその手に乗るようなクズは、ここにはいなかったし。

 なにより私には、すでに好きな人がいた。

 なので私が返した言葉は、


『は? キモ』


 だった。





『キモ』と言われたのがショックだったのか、それとも色事に乗らなかった私(と養父と舜雨くん)が気に入らなかったのか。

 その後は、しおらしく同情を誘うような少年はどこにもいなかった。ここでは書けないようなこと――思春期なら絶対にトラウマになるような罵詈雑言を吐き、大人でもブチ切れるような生意気な口を効きまくった。

 蠱毒って呼ばれる呪いがあるけど、まさしく彼の悪口ならぬ毒口は、他のものを食い尽くして生き残った究極の毒だろう。


 しかし私は、ただの思春期の子どもじゃない。

 前世では二十二歳で死んだこと。

 引用リツイートをするアンチや、人の投稿を勝手にコピペするインプレゾンビたちが群がるSNSで、青春を過ごしたこと。

 そしてかなり癖の強い攻略対象が出てくる乙女ゲームを何本もクリアしていたことで、暴言や煽り耐性はかなり高い。オタクじゃなかったら耐えられなかったけど、オタクだったから耐えられた。


 ちなみに養父は頭を抱えつつ沈黙し、舜雨くんは性格が天然のため無傷だった。むしろ、斜め四十五度の発言を返して翻弄していた。

 そうして、直くんだけが空回りする生活が続いた。


『ようやく終われると思ったのに、どうして助けたりするのかな』


 ある日、彼は言った。


『死なせてくれた方が、よっぽど優しかったのに』


 この言葉の意味を、当時の私はちゃんと理解していなかった。

 ただ、こんな内乱まみれの世の中で産まれたら、そりゃそう思うよなあとか、呑気なことを考えていた。


 私がいた日本だって自殺者がいっぱいだったんだから、さもありなん。

 前世の私だって、『死にたい』とまでは思わなかったけど、「この先良いことなんてそんなに無いんだろうな」と何となく思っていた。人間は簡単に、生に絶望できる。


 それに生は突然に始まって、突然に終わることを、私は知っている。死に関しては、自分で終わらせようと思えば出来るかもしれないけど、多くの人間は「死にたい」と思いつつ「生きていたい」と思って及び腰になる。


 だからといって、自殺幇助をするつもりは毛頭ない。――そもそも、死んで終われなかったのが私だし。


『……物語には、起承転結っていうのがあってさ』

『は?』

『キミ、私と同じぐらいでしょう? 寿命を大体八十年として、それを四分割したら、キミの人生なんてまだ起も同然じゃん。完結させるには、盛り上がるような事件も苦難もないんじゃないの』


 そう言うと、彼はポカンと口を開けて、『いや八十年って長すぎでしょ』とか、『なんで四つに分割するの』とか、色々言ったあと、


『いや、それより。――物語って何?』


 ……そう言えばこの国では、詩などの韻文ばかりで、小説は存在しない。神話や昔話は『歴史』であり、架空の物語を楽しむという娯楽はないのだ。

 だから私は、前世の記憶をフルに活用し、彼に話した。


 途中から、舜雨くんが参加してきた。舜雨くんも物語が好きなので、一緒になってオススメしたのだ。私はどんでん返しが起きるような冒険活劇が好きで、舜雨くんは一日を穏やかに過ごすような日常モノが好き。


 戦闘モノ、恋愛モノ、推理モノ。私の前世の話も含めて、色んな話をした。


 前世に関しては、あんまり信じて貰えなかったけど、目新しい『物語』という概念は、それなりに直くんの興味を惹いたらしい。


『よく考えるねえ。そんな架空の出来事をさ。お腹も膨れないのに』


 皮肉を言うくせに、その顔には感情が戻っていた。さっきまですっかり、世の中を冷めた目で見る超越者みたいな顔をしてたくせに。


『お腹は満たさないけど、こんな世界でも、続きを楽しみに生きられるのが物語なんだよ』

『生きられる、ねえ。そんな必死になってまで、生きる意味なんてあるのかな』


 嫌味はやがて軽口へ。だんだんと、普通の男の子みたいな顔と声になってきた。もはや、あの蠱毒を振り撒くような直くんはいない。

 だから私も、なんてことなく返した。

 学生時代、友だちと色んなことを言い合いながら、お昼ご飯やお菓子を食べるみたいに。


『意味のために生きるんじゃなくて、意味を見出すために生きてみなよ』


 それは、いつか読んだ物語のセリフ。

 この言葉に、私はずっと救われてきた。


 この世はどうにもならないことだらけだ。物語みたいに上手くいかない。起承転結の配分は綺麗な四等分じゃないし、そもそも人生八十年も生きられるとは限らない。ある日伏線とか関係なく、プツッと終わる時だってある。


 だけど、だからこそ私は、みっともなくしがみついているんだろう。

 この素敵な一時が、どうかまだ続いて欲しい。終わるんだったら幸福な結末を。困難があったとしても、悲しみや頑張りに報いる何かを。


 人生はやけっぱちでも、私はいつだって、「何かいいこと」が起きると期待している。


『……ふうん』

 

 そんな私のなんてことない言葉に、何か意味を見出したのか。それとも諦めがついたのか。珍しく、反論しなかった。

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