第9話
丘の上には色とりどりの花が咲いていた。ワンピースから覗く素足に当たる草がこそばゆい。アリスは大きく息を吸って空を見上げた。雲一つないそこは愛する人の瞳と同じ色。隣をみるとリナがアリスを見て微笑んでいた。
「今、旦那様の事を考えたでしょ」
「うん。わかった?」
「うわぁ、認めちゃうんだ!ご馳走様!」
2人で笑い合う。
少しの沈黙が流れる。
「アリスの結婚式、絶対行くから」
「うん。待ってる」
「最近はね、動きすぎて父さんに怒られるの。アリスの式に出たいからって張り切りすぎて怪我をしたら元も子もないぞって」
アリスはリナの頭を優しく撫でた。
「おじさんの言う通りよ。無理はしないで」
リナが目覚めてから2つの月日が経った。その知らせを受けたとき、アリスは首都ガーデルンのカサンの屋敷にいた。庭で花の手入れをしていると向こうからカサンが歩いてきた。片手に何か紙をもち、それを高く上げてやって来る。彼のその微笑みを見た時アリスはどんな知らせかすぐにわかった。水の入ったジョウロが地面から落ちてアリスのワンピースの裾を濡らす。しゃがみ込むアリスをカサン優しく支えた。アリスが泣き止むまでずっと彼女の体を抱きしめ続けた。
「さ、身体を冷やしたらいけないわ。そろそろ戻りましょう」
立ち上がってリナに手を伸ばした。リナがアリスに支えられて一歩一歩歩き出す。
リナの身体は少しずつ回復している。アリスの意識が戻らない期間よりずっと長く伏せっていたので時間はかかるが、次の月にあるアリスの結婚式に行く為に日々運動を頑張っている。
今日丘に登りたいと言ったのもリナだった。
「あの夜ね、私は意識を失う寸前アリスとこの丘に登る夢のようなものを見たの。またアリスとこの景色を見たいって。そう思ったの」
アリスはそれを聞いて涙が溢れた。
「リナ。リナ。私も同じちも事を考えたんだよ。またリナとこの丘に登りたいって」
でもそれはもう二度と叶わない夢だと思った。
目覚めたらアリスが私より泣き虫になっちゃった。とリナは笑った。
ケムル山脈にあった巨大な扉は一夜にして消え失せた。国を荒廃へと導く事態を招いたとして、操られていたという背景はあっても罪は重いと王は断罪された。何より聖女と名乗る多くの少女の命を奪った事は死罪に値すると言われたが、これまでの働きや功績を考慮され生涯塔に幽閉される事となった。闇の力が頭から去った王は深く悔い、日々奪ってしまった命に祈りを捧げている。
第三階梯聖騎士団団長であったカサンは史上最年少で総騎士団長に任命された。副団長のリハミルはカサンの後を引き継ぎ、団長として部下を適度に呆れさせながら指揮をとっている。
聖女アリスは初めてその存在が国民に知られる事になった。だが本人たっての希望で表舞台に立つ事は全て辞退した。
彼女が望んだ事は2つ。一つは自身の結婚式は国を挙げてのものではなく好きな場所で親しい人達と過ごす事。もう一つは国に残る400年前に現れた聖女の文献全てにこう書き足す事。
〝彼女の名はラクサーナ。肩までの金髪の小柄で美しい女の子。果てしない時を戦い抜き、大勢の民を救った〟
飛沫が虹をかける。
ここはカサンの伯父が残した館。
光輝く滝の前に白いクロスが掛けられた大きなテーブルが置かれ皿やグラスが美しく並べられている。
そこに続く花のアーチをくぐって2人がやってきた。
アリスの手が騎士団の礼服を着たカサンの腕に添えられている。アリスの長い真っ白いドレスの胸元にはアリカヤの花が刺繍されている。それは賜りの時のドレスに母さんが刺してくれた刺繍だった。長いウェーブのかかった金髪は後ろで一つに纏められ、白い木に緑色の宝石が散りばめられた髪飾りがつけられていた。
父さん、母さん、リナ、ハルトおじさん、カサンのお父さん、アンナ、ファリア、メル、リハミル団長。それぞれ涙を浮かべたり、眩しそうに2人を見ている。大きな拍手が2人を包んだ。
アリスの瞳から涙が溢れた。カサンはそれを指の背でそっとふいてアリスに言った。
「アリス、貴女の全てを愛しています」
カサンの空色の瞳がアリスを見つめる。
柔らかい陽の光が2人を優しく包んでいた。
扉の中の聖女 @6624masa
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