方向性の違い

ドラコニア

第0話


「はぁ~、許せねぇ」


 田中は今しがた運ばれてきたばかりのピザにタバスコをどぼどぼ振りかけながら溜息をつく。


「僕も許せないね。まだ切り分けてもいないピッツァにタバスコをかける行為は。田中、そういえば君はこないだの飲み会でも取り分けてない唐揚げの山に檸檬を振りかけていたな」


 佐藤は赤く濡れたピザの表面をピザカッターできっちり六等分に切り分ける。


「欠かせねぇだろ、唐揚げに檸檬はよぉ」


「君が檸檬がかかった唐揚げが好きだからって、皆がそうなわけじゃない。辛ッ! タバスコかけすぎだろっ!」


「それが美味ぇんだろうが。タバスコが素材の味を引き出してくれてるだろ。うんめぇ~!」


 田中はよほどのピザ、タバスコ好きらしく、一息で四切れものピザを平らげてしまった。


「おいっ! 六等分に切り分けたんだから一人三切れまでだろうがっ!」


「はぁ~、しっかし許せねえよな」


 田中は皿の上に残ったの残りの一切れも口に放り込みながら再び意味深な溜息をつく。


「言ったそばから! なんてやつ!」


「なんか<チックトック>で最近勢い乗ってるインフルエンサーがいるんだ。晴天ちゃんつって顔めっちゃ可愛くてよぉ」


「晴天ちゃんなら僕も知っている。最近の推しだ。類まれなるビジュアルだけでなく、幼少から習っていたというダンス技術の高さが他のインフルエンサーと一線を画しているからこそ人気になったんだ。彼女は今や時代の寵児と言っても決して言い過ぎではないだろうな。なによりも彼女のまぶしい笑顔は何物にも代えがたい。僕も彼女の笑顔には毎日元気を貰っている」


「佐藤、お前急に早口だしめっちゃ喋るな~」


「その晴天ちゃんがどうしたんだ」


「写真集出すらしいじゃねえか」


「ああ、ファースト写真集の『晴天の下に』だろう。僕は三冊予約した」


 佐藤は自慢げにmamazonの購入履歴ページを田中に見せる。


「そう、それが許せねぇんだ」


「僕が三冊も予約したことがか? 別に僕は断じて転売ヤーなんかではないからな」


「ちげえよ! 俺が許せねえのは、晴天ちゃんなんかが写真集をすことについてだ」


 ガタッと佐藤が立ち上がる。狭く落ち着いた雰囲気の店なこともあって、店中の視線が二人の席に集まる。


「い、いまっ! って言ったな貴様ッ!」


って言ったほうがよかったか~? 晴天ちゃんがごとき!」


もそう意味は変わらないだろっ! 龍が〇くみたいに言いやがって!」


 佐藤のこめかみに青筋がくっきりと浮かぶ。


「だってそうだろ~? 晴天ちゃんごとき貧乳が写真集なんか出してどうすんだよ」


「田中、君みたいに脳の髄までポルノに侵されてしまっているエロ猿にはわかるまいがね、<チックトック>では見ることができない新しい彼女の顔を見れる、それだけで価値があるんだっ!」


「新しい顔ぉ~? 流行りの曲に合わせて我がもの顔で歌ってる著作権侵害はなはだしいぺらっぺらな奴に一体どんな隠された顔があんだぁ? 彼氏のチ〇ポしゃぶってる時の顔ぐらいしかねえだろ~」


「貴様ッ!」


 佐藤がテーブル越しに田中に詰め寄る。ガチャガチャと音を立てて、食器が散乱する。いつの間にか佐藤の手にはピザカッタが握りこまれていて、それがまたいつの間にか田中の首元、頸動脈のところに静かに突き立てられていた。それを見ていた周りの客たちからは静かな悲鳴が上がる。


「それ以上僕の推しを侮辱するような言葉を吐くなら、殺す。だいたい田中、そんなこと言いながら君も<チックトック>は見てるだろうがッ!」


「そりゃおっぱいデカい子は例外にきまってんだろ~。昨日も二十五件くらいブックマークしたぜ!」


「このポルノ中毒がッ!」


「なんとでも言えよ。揺らす乳もねえ晴天ちゃんが踊るキレッキレのダンスより、毎回おんなじ構図舐めた素人振り付けでおっぱいゆっさゆっささせながら踊ってる巨乳の方が価値は高ぇ~んだよっ!」


 そう言い終わるが早いか、田中はちゃぶ台返しの要領でピザカッターごと佐藤を弾き飛ばす。ドゴォッという鈍い音が静寂な店内に響きわたり、そのすぐ後に他の客たちの悲鳴が入り乱れる。


「田中、揺れるものが好きって、最近の猫の方がまだ賢いんじゃないか?」

 

 佐藤はピザカッターの刃を構えなおし臨戦態勢に入る。


「そんなこと言って、お前も結局巨乳のほうが好きだろ~が」


「僕は慎ましい方が好みだよ。君はそんなだから、風俗でもGカップだのHカップだのの目先のアルファベットに惑わされた挙句、いつもドラム缶みたいな女の子をつかまされるんだろう」


「嘘つきが言うじゃね~かよ」


「嘘つき?」


「貧乳好きは嘘つきの始まりだろ~がよッ」


 話にならないな。こいつとのコンビは今日で解散だ。佐藤がもう何回目かもわからない決意を固くした時だった。


 サクッという小気味いい音と共に全身の力が抜け、佐藤は床に崩れ落ちていた。佐藤と田中は音の正体を知っていた。幾度となく聴いてきた音だ。それは、凄腕の殺し屋が寸分たがわず胸骨の間を縫うようにして、心臓めがけてスッと刃物を差し入れた時の音のそれであった。


「包丁、そんな使い方していいのかよ」


「私の店だからね、問題ないよ」


「佐藤を即死させた腕を見るに、殺し屋だろあんた」


「君らのほうこそ、随分凄腕らしいじゃないか。二人組の殺し屋、佐藤と田中。もう二人じゃないがね」


 店の制服に身を包んだ初老の男は、包丁についた血を払い落しながらふふっと笑った。


「何笑ってんだよ、おっさん」


「我ながら上手いことを言ったと思ってね」


「死ぬほど面白くね~な」


「君も今から死ぬが」


「死なねえよ、お前は俺に殺されるからなぁ」


* * *


『今日昼過ぎ、都内〇〇区××町の飲食店にて殺人事件が発生しました。被害者は事件が発生した店の店長を務める初川隆さん62歳と、身元不詳の二十代後半と思われる男性で―』


* * *


「スレンダーな子お願いします」


『それだったら岬ちゃんなんていかがでしょう。最近入ったばっかりの新人で、新人割もつきますよ』


「じゃ、その子で」


『かしこまりました。お時間はどうなさいますか』


「ん~、120分で!」


『かしこまりました。それでは120分コース岬ちゃん―』


* * *


 いつまで待たせんだよと思い、スマホの画面を点ける。ホテルに入ってからまだ20分と経っていない。しかし田中は、このラブホテルで風俗嬢の到着を今か今かと待つ時間がこの上なく好きだった。スレンダー系のキャストを指名したのは初めてのことだったので、その高揚感は初めてのホテヘルの時に劣らないものがあった。


 ビーっとドアベルが鳴る。


 田中はあまり早くドアを開けてもなんだか楽しみを待ちきれないやつみたいで恥ずかしいので、いつも10秒ほど間をもたせてから鍵を回すようにしている。この10秒が興奮をさらに高めてくれる。


 ドアをそーっと開ける。


「どうもはじめまして~! 岬で~す」


 えっ、ええ~!? 顔可愛くねぇ~!


「あれ、もしかして緊張してる?」


 スレンダー推しされてた子だからおっぱいも目に見えてないよ~!


「このホテルの部屋独特な匂いして私あんま好きくないんだよね~」


 うるせーな! 俺はお前が好きくないよ!


「えっとね~、120分コースだからお会計34000円だね。先に貰っちゃうね」


 くそっ! 60分コースにするべきだった! こいつと120分楽しめる未来が全く見えねぇ!


「それじゃ早速お風呂入っちゃおっか! ここのホテル、シャワールームは広くて使い勝手いいんだよね。ローションプレイとかしやすくて」


 うるせ~なこいつ! てめぇがローションプレイしたところで少しデカめのナナフシが身体這いまわってんのと同じだろ!


「見て見て~? 私ダンスとかもやってるからめっちゃスタイルいいの!」


「ちぇっ、チェンジで!」


* * *


 田中は静かになったラブホテルの一室で無感情にツイッターのタイムラインをスクロールしていた。タイムラインは晴天ちゃんのハメ撮り流出で持ちきりだった。


「デリヘルで初めてチェンジしたわ。くっそ気まずくて草っと」



 


 

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