第20話 虫の女は如何にして虫の女となりきや・2

「今日のひるまえに伺ったばかりだけれど、急ぎだものね」


 足早に向かいながらひとりごつ。心がはやってたまらないのだ。

 美玉自身はずっと奴隷時代のいやしい先祖返りと揶揄やゆされてきた。

 が、実際に皆が蜻蛉憑きになっても蜻蛉に魂を食われなくなれば、多くの不幸が解決するように思う。


 蜻蛉は翅捥はねもぎをされずに済む。これから先の代の皇帝も運命の番を得れば、龍から受ける苦しみは減るだろう。

 国を守るために身に龍を宿し、苦しみを引き受ける皇帝以下皇族たち。彼らだけが負担を受けるのは違う、と間近に見て感じ始めていた。


「考えれば考えるほど、いい案だと思うわ。でも、これをどう広めるかよね」


 蜻蛉憑きについた印象は簡単にはくつがえせないだろうが、そこは朱美人という味方としては頼もしく、敵に回したら大層恐ろしそうなお方が居る。相談する価値はありそうだ。

 ひとまず今は、比較的訪ねやすい西の対に向かっているわけだが。

 

 そうして美玉は、最後には小走りになって萬樹まんじゅ殿にたどり着いた。

 いつもの門衛の宦官かんがんがやってきたが、どうにもいつもと様子が違う。


「あの、往診ではないのですが、お加減うかがいに……」


 そう声を掛けるも、言い終えるのを待たず宦官かんがんは首を降った。


「今はいけません。どなたも入れられませぬゆえ」

 

「へ?」

 

 すげない言葉に目を丸くしていると、猫のように追い払われてそうになる。

 このままでは引き下がれない。なにしろ重大な発見をしたのかもしれないのだから。


 美玉が食い下がると、宦官はやっとかたい口を割った。

 曰く、陛下の司る祭礼にて不敬の疑いあり、謹慎中とのことだった。


「なぜです? 宇航皇子は見事に役目を果たされておりましたのに」


空燕コンイェン皇子の利き手を故意に傷つけ、ご自分の功の邪魔をさせまいとしたと。祭礼の進行を妨害する行為にあたるのではないかと、訴えが出ております」


「まさか! 宇航皇子は、空燕皇子が私を害そうとしてきたのを守って下さったのです。傷はその際の揉み合いによるもの。宇航皇子だって腹に打撲を負ったのですよ」


「そこまで詳しいことは聞いておりません。ただ、証言は多く出ております。かんの発作を起こした宇航皇子が突然押し入って来て、空燕皇子を倒し、その手を踏んだと。ご乱心あそばされだのだろうと」


「どうせ東のついの者ばかりから証言をとったのでしょう! あなたも詳細を知らないと言っているのに、乱心したのだろうなんて決めつけるのですね。そんなこと……もが!」


 はなから宇航皇子が暴れたものと決めつけている宦官のいいように、思わず声が高くなった時だ。

 突然、背後から口をふさがれた。

 

「むごご! ふんむ!」


美玉メイユー、そのくらいにしておきなさい。目立っていてよ」


 羽交い絞めのようにして声を掛けてきたのは、明明だ。

 気づけば遠巻きに、人が集まっている。向けられる視線はどれも胡乱うろんなもので、この場に好意的な者はいないとすぐに分かった。

 それでも宇航皇子が、彼の功績が、おとしめられていると思うと怒りは収まらない。


 結局は引きずられるようにして、萬樹まんじゅ殿から離された。

 人海から十分に距離をとり、やっと口をふさぐ手から解放された。

 近くに人が居ないことを確認した明明メイメイが呆れたように言う。

 

「もう! ちょっと忙しくして目を離したらすぐに騒ぎを起こすんだから」


「でも、宇航ユーハン皇子が謹慎だなんてひどいじゃない」

 

「はあ。この程度、チュ美人様だって私だって予想はしていてよ。手を回して謹慎で押さえたの。分かっているだろうけど、訴えたのはホア貴人よ。あんな目立つところで彼女に反発するようなことを口にするものではないわ」


「でも、あれは皇子の実力なのに。悔しいじゃない。それに、私に教えてくれないのもひどいわ」


 いくら自分が後宮の内部に疎いからといって、さすがに先に教えておいて欲しい。

 謹慎と聞いたときのショックはたまらないものだったのだから。

 そう明明メイメイに訴えると、ふわりと頭を撫でられた。妹にでもするように。


「本当に色々と手回しが大変だったのよ。それに、あなたに知らせたらすぐに皇子の所に飛び出して行きそうだったものだから」


「そんなに頼りがないかしら」


「というより、つがいと自覚してからのあなたは、ちょっと予想がつかないところがあるのよ。自分では分かっていないかもしれないけどね」


 頭を撫でていた手が離れ、両肩に置かれる。

 正面からまっすぐ笑顔を向けてくれるのは、いつもの明明だ。童顔で丸い目をした、好奇心旺盛そうな。

 でも彼女が、自分よりずっと多くのことを知って、考えていることを美玉はもう知っている。


「……そうね。私、なんだか自分の心が上手く扱えなくなるときがあるのよ。蜻蛉とんぼに魂を食べられそうになったときも、ここまでではなかったわ。あくまで私の心は私の心で……整理できていたのよ」


 その言葉に笑みを返し、明明が美玉の手を取る。

 明明に手を引かれるようにして二人は歩き出した。

 

「心が扱えない、ね。そっちが普通とも言えるわね。あなたはずっと心の蜻蛉とともにいたから想像しにくいでしょうけれど、蜻蛉が使えない人はみんな自分の心が何色で、蜻蛉何匹分くらいなのかなんて分からないものよ」


「そう……よね。蜻蛉を使えないのが普通で……。あ! そうだったわ! 宇航皇子にも、明明や朱美人にも知らせたいことがあったの! 私が蜻蛉憑きのまま大人になれた理由、心当たりが一つあるのよ!」


「本当!?」


 勢いよく明明が振り向いたものだから、思い切り手を引かれる形になった。

 脚がもつれるのは久しぶりだ。後宮に入ってすぐは、よくこんな風に転んでいた気がする。

 そんな風に暢気のんきに考えているうちに、明明を下敷きにする形で倒れていた。


「痛ったあい。ちょっと、あなた体の芯というものが通ってないの?」


「ごめんなさい。下敷きになってくれたおかげで、怪我はないわ」


「今いうこと、それ?」


「ええ。これで私をのけものにしていたことと引き分けにしてあげていいわ」


 体を起こした明明の背中についた草を払ってやりながら、軽口を叩く。

 こんなやりとりは久しぶりのような気がする。ずっと彼女の正体がわからず、本当はどこか心のなかにもやを抱えていたらしい。

 でももう、目の前に居る明明は正体を隠した諜報スパイではない。主人も目的も明かしてくれたのだから。

 そう考えたら、すこしだけ胸がすいた。

 これから、自分が蜻蛉憑きになったときの話をすれば、もっと互いを知れる気がする。

 当初思っていた普通の友情とは違うけれど。


「ふふ、あなたって本当に暢気のんきね。衣が汚れたのはもう諦めるわ。どうせなら座ってしまいましょう。蜻蛉憑きとしての楊 美玉ヤン メイユーの話、ぜひゆっくりと聞かせて欲しいわ」


 腕をあげて伸びをする明明からは、緑の匂いがする。子供じみた動きと相まって、本当に草原で遊んだあとに友達と並んでいるような気持ちになる。美玉にそんな幼い日は無かったけれど。漠然ばくぜんと共有しているなつかしさ、のようなものがあった。

 そうして、明明と並んで座った美玉は、己が初めて宇航皇子に出会ったときのこと、その際に蜻蛉を出したいと願ったことなど、詳細に語ったのだった。

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