第19話 虫の女は如何にして虫の女となりきや・1

 大変なことになった、と思った美玉メイユーだけれど、本当に大変なのはそれからだった。


 ……しばらくの間は平穏だった。

 淡々と仕事をこなしながら、例の絹布けんぷに似た衣をまとった者が居ないか、さりげなく観察をする。

 陛下への朝夕の施術も、皇子皇女への往診もいつも通り。東のつい空燕コンイェン皇子からは門前払いを受けるのも、以前に戻ったと言える。

 

 事件の報は、十日後に届いた。

 宇航皇子の鳥を薬殺した女が分かった、という報だ。

 刑部省ぎょうぶしょうが騒がしい、と聞きつけて見に行った明明が知らせてくれたのだ。

 

「それって」


「朱美人が言っていたでしょう、調べさせると。そうしたら小鈴の持ち物から、身の丈に合わない高価な帯が出てきたのよ」

 

「おかしいじゃない。そんなもの買えないのでしょう? 第一あの鳥だって、彼女が買えるようなものではない高級品だったはずよ」


「まあそのあたりは、ゆっくりと尋問するのではないかしら?」

 

 小鈴の部屋から見つかったのは蓮の刺繍入りの繻子しゅすの帯だということだ。その帯の布は鳥が包まれていた絹布と同じであり、鳥殺しの犯人としてむちうちのうえ冷宮れいぐうに送られたのだという。


「れい……ぐう……?」


「知らないの? 後宮の女なら上から下まで恐れるのが冷宮送りよ」

 

 明明メイメイがなぜか張り切って説明してくれるので聞いたが、すぐにそれを後悔した。

 病気になったり、罪を犯したり、帝の怒りを買うなどして寵愛ちょうあいを失ったり、といった女たちが送られる牢のようなものらしい。

 中での生活は不自由で、不潔。孤独のまま廃人のようになるものや、病にかかり死んでしまうのがほとんどだという。後宮の暗黒面、厄介払いの場所ということだろう。


「とはいえ、見張りの者に賄賂わいろを送れば待遇を変えたり、面会だって出来るわ。朱美人は彼女を懐柔し、口を割らせるということでしょう。厳しくされた後に優しくされると、人は落ちるものよ」


「割らせるもなにも、小鈴は切り捨てられた尻尾なんでしょう。何も出てこないのではないかしら?」


 そうだとしたら、冷宮などという恐ろしい場所に閉じ込められた少女があまりに哀れだ。

 

「あら、少なくとも鳥を買い与えた者くらいは分かるのではなくて。上手くすれば、帯もね」


「でも、あまりに可哀想よ。ねえ私も彼女に会いに行けない? チュ美人は彼女に色々訊ねに行くか、人をやるかするのでしょう? あなたも行ったりするの? 同行できない?」


 話しながらも動かしていた手が、虫篭を一つ編み上げる。

 それを明明メイメイの胸元に押し付けながら、訊ねてみた。


「だめよ。あなた、小鈴シャオリンにちょっと心が入りすぎているわ。いいこと、あなたはあやうい立場なの。いつめられるかもしれないのだし、表向きは事件など関係ない顔をして過ごすのよ」


 明明は、美玉の虫篭を押し戻すと言葉を続けた。


「大丈夫。何かあったら、すぐに助けるから。でも、慎重に大人しく、ね。じゃ、ちょっと出てくるわ」

 

 美玉の倍の速度で完成させていた虫篭を二つ押しやってきたと思うと、彼女は司虫しちゅう局を出て行ってしまったのだった。





 小鈴が捕えられたという報をうけてから三日たった。

 朱美人に招かれることはなく、明明からも「小鈴は元気よ」としか教えてもらえない。

 

 毎日皇子の元に往診に出掛けるが、やはり慎重になっているのか核心に触れる会話はない。

 だが、今日は少し違った。

 

「龍をよく抑えていらっしゃいます。薬はもう飲んでおられないのですか?」


「ああ。小鈴が鳥殺しの犯人と目されているしな。尚薬しょうやく局との関係も断っている」


「では薬なしでも安定されていますのね。今までとなにが違うのかしら?」


「……美玉が、居るからではないか?」


 手をとってそう告げられる。

 名を口にする前に、皇子は軽く唇を動かした。『つがい』と言いたげに。

 不安のさなかでも、皇子に手をとられれば心が満ちる。

 美玉は軽く肩をすくめて、皇子の顔を見上げた。金の瞳に愛し気な光が宿っているのが見え、幸福のあまり目を伏せる。

 唐突に向けられる愛情を即座に受け取れるほど、まだ恋というものに慣れていない。


「それは、今までと同じでは?」

 

「違う、ということくらい分かっているだろうに。……顔を見せて欲しい。今日はゆっくりとお前を目に焼き付けたい」


 皇子の笑いがくすぐったい。顎をとって囁かれる言葉が甘い。

 唇が、触れ合う。

 どうしてだろうか。彼が貪る愛が、焦りを含んでいるように感じるのは。

 またも頭をもたげてきた不安を押しのけるように、美玉も深い口づけを返した。

 


 * * *

 


「お前たち、もう蜻蛉憑きではなくなったのだから、ここでは用済みね。他に使いでもないし、他所へお行きなさい」

 

 落ち着かない日々の中でも、喜びはある。

 今日は新たに二人の奴婢ぬひが蜻蛉憑きを治して司虫から去るのだ。

 これで、残りの奴婢は六人。美玉が司虫しちゅう女官の職についてから、半分の奴婢が蜻蛉憑きを治したことになる。


「ほら、もたもたしていないの! そんなことじゃ、次の仕事では棒で打たれるわよ。甘え癖がついたかしら?」


 何か言いたげな、しかし何も言えない立場の奴婢の子供らがこちらをちらちらと見てくるので、あえて素っ気なく追い立てる。虫をはらうように手を振ると、奴婢は小さく頭を下げて駆けて行った。


 ――そうだわ。このために私は後宮に来たんだもの。


 奴婢ぬひにとってまだ辛い生は続くだろうが、少なくとも蜻蛉とんぼに魂を食われて死ぬことはなくなった。

 それが嬉しい。後宮に来て、何が成せたかというとあやしいところで、むしろ巻き込まれてばかりのような気もする。

 自分が居ることで、政争が厄介なことになっているのでは、と思うこともある。

 それでも……。


『運命のつがいがただの伝承でないと分かれば、この先に皇帝の位につくものが、哀れな現帝のように、終わりのない苦しみにさいなまれることもなくなるのです』

 

『あなたみたいに運命の番になる乙女が現れたら、司虫に仕える蜻蛉憑きの負担はずっと減るわよ』


 これからの後宮の姿について、そう語ったチュ美人の言葉が忘れられない。

 

 ――私がなぜ蜻蛉憑きのまま生き延びたのか。それが分かれば、今と、未来の、多くの不幸がなくなるのかしら。

 

「でも、私はただ、目の前の龍の男の子を助けたくて願っただけ。蜻蛉を出したいと。それ……だけ……?」


 ハッと、美玉は立ち止まり、自分の両手を見る。

 蜻蛉とんぼ憑きは幼い頃にかかる病気だとされている。しかし美玉は蜻蛉憑きにかかったわけではない。

 自ら望んで蜻蛉憑きになったのだ。


 そんな者は、きっと他にいないだろう。少なくとも蜻蛉憑きが忌まわしい奴隷時代の呪い、恐ろしい病、そんな風に言われるようになってからは。


「私たちの祖先は自分たちを助けるために、蜻蛉と共に生きてきたのよね。蜻蛉の民は、きっと幼い頃から蜻蛉を出すことを望んでいたのではないかしら」

 

 ぐっと拳を握りしめる。

 朱美人の元に……はすぐには行けない。何もなしに訪えるほど初凪はつなぎ殿は緩くないのだ。

 明明は、いつものことだが所在を告げずに出てしまっている。

 となるとすぐに向かえるのは、萬樹まんじゅ殿の西の対――宇航皇子の元だった。


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