第19話 虫の女は如何にして虫の女となりきや・1
大変なことになった、と思った
……しばらくの間は平穏だった。
淡々と仕事をこなしながら、例の
陛下への朝夕の施術も、皇子皇女への往診もいつも通り。東の
事件の報は、十日後に届いた。
宇航皇子の鳥を薬殺した女が分かった、という報だ。
「それって」
「朱美人が言っていたでしょう、調べさせると。そうしたら小鈴の持ち物から、身の丈に合わない高価な帯が出てきたのよ」
「おかしいじゃない。そんなもの買えないのでしょう? 第一あの鳥だって、彼女が買えるようなものではない高級品だったはずよ」
「まあそのあたりは、ゆっくりと尋問するのではないかしら?」
小鈴の部屋から見つかったのは蓮の刺繍入りの
「れい……ぐう……?」
「知らないの? 後宮の女なら上から下まで恐れるのが冷宮送りよ」
病気になったり、罪を犯したり、帝の怒りを買うなどして
中での生活は不自由で、不潔。孤独のまま廃人のようになるものや、病にかかり死んでしまうのがほとんどだという。後宮の暗黒面、厄介払いの場所ということだろう。
「とはいえ、見張りの者に
「割らせるもなにも、小鈴は切り捨てられた尻尾なんでしょう。何も出てこないのではないかしら?」
そうだとしたら、冷宮などという恐ろしい場所に閉じ込められた少女があまりに哀れだ。
「あら、少なくとも鳥を買い与えた者くらいは分かるのではなくて。上手くすれば、帯もね」
「でも、あまりに可哀想よ。ねえ私も彼女に会いに行けない?
話しながらも動かしていた手が、虫篭を一つ編み上げる。
それを
「だめよ。あなた、
明明は、美玉の虫篭を押し戻すと言葉を続けた。
「大丈夫。何かあったら、すぐに助けるから。でも、慎重に大人しく、ね。じゃ、ちょっと出てくるわ」
美玉の倍の速度で完成させていた虫篭を二つ押しやってきたと思うと、彼女は
小鈴が捕えられたという報をうけてから三日たった。
朱美人に招かれることはなく、明明からも「小鈴は元気よ」としか教えてもらえない。
毎日皇子の元に往診に出掛けるが、やはり慎重になっているのか核心に触れる会話はない。
だが、今日は少し違った。
「龍をよく抑えていらっしゃいます。薬はもう飲んでおられないのですか?」
「ああ。小鈴が鳥殺しの犯人と目されているしな。
「では薬なしでも安定されていますのね。今までとなにが違うのかしら?」
「……美玉が、居るからではないか?」
手をとってそう告げられる。
名を口にする前に、皇子は軽く唇を動かした。『
不安のさなかでも、皇子に手をとられれば心が満ちる。
美玉は軽く肩をすくめて、皇子の顔を見上げた。金の瞳に愛し気な光が宿っているのが見え、幸福のあまり目を伏せる。
唐突に向けられる愛情を即座に受け取れるほど、まだ恋というものに慣れていない。
「それは、今までと同じでは?」
「違う、ということくらい分かっているだろうに。……顔を見せて欲しい。今日はゆっくりとお前を目に焼き付けたい」
皇子の笑いがくすぐったい。顎をとって囁かれる言葉が甘い。
唇が、触れ合う。
どうしてだろうか。彼が貪る愛が、焦りを含んでいるように感じるのは。
またも頭をもたげてきた不安を押しのけるように、美玉も深い口づけを返した。
* * *
「お前たち、もう蜻蛉憑きではなくなったのだから、ここでは用済みね。他に使いでもないし、他所へお行きなさい」
落ち着かない日々の中でも、喜びはある。
今日は新たに二人の
これで、残りの奴婢は六人。美玉が
「ほら、もたもたしていないの! そんなことじゃ、次の仕事では棒で打たれるわよ。甘え癖がついたかしら?」
何か言いたげな、しかし何も言えない立場の奴婢の子供らがこちらをちらちらと見てくるので、あえて素っ気なく追い立てる。虫をはらうように手を振ると、奴婢は小さく頭を下げて駆けて行った。
――そうだわ。このために私は後宮に来たんだもの。
それが嬉しい。後宮に来て、何が成せたかというとあやしいところで、むしろ巻き込まれてばかりのような気もする。
自分が居ることで、政争が厄介なことになっているのでは、と思うこともある。
それでも……。
『運命の
『あなたみたいに運命の番になる乙女が現れたら、司虫に仕える蜻蛉憑きの負担はずっと減るわよ』
これからの後宮の姿について、そう語った
――私がなぜ蜻蛉憑きのまま生き延びたのか。それが分かれば、今と、未来の、多くの不幸がなくなるのかしら。
「でも、私はただ、目の前の龍の男の子を助けたくて願っただけ。蜻蛉を出したいと。それ……だけ……?」
ハッと、美玉は立ち止まり、自分の両手を見る。
自ら望んで蜻蛉憑きになったのだ。
そんな者は、きっと他にいないだろう。少なくとも蜻蛉憑きが忌まわしい奴隷時代の呪い、恐ろしい病、そんな風に言われるようになってからは。
「私たちの祖先は自分たちを助けるために、蜻蛉と共に生きてきたのよね。蜻蛉の民は、きっと幼い頃から蜻蛉を出すことを望んでいたのではないかしら」
ぐっと拳を握りしめる。
朱美人の元に……はすぐには行けない。何もなしに訪えるほど
明明は、いつものことだが所在を告げずに出てしまっている。
となるとすぐに向かえるのは、
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