第18話 華貴人、天をも畏れぬ企てをせしこと

「そもそも、空燕コンイェンの出生から怪しかったのよ」


 立ち上がると、チュ美人は語りだす。

 長椅子の周りをゆっくりと周りながら。

 

「皇子皇女が生まれたら、ひと月のうちに竹割たけわりの儀式を行うのは知っているかしら? 道士を呼び、赤子が五龍のうちのどの龍を宿すかをうらなうの」


「はあ……」


「五本の竹筒に擬文字ぎもじ――術用の、普段は使われない文字ね――を用いて五龍の名を書くの」


「竹筒を熱すると空気が膨張ぼうちょうして破裂する。最初に破裂した竹に書かれた龍が、赤子に宿っているとされるのだ」


 朱美人の言葉を引き継いで説明する宇航ユーハン美玉メイユーの手を取る。そのまま五本の指を筒にみたて、「木、火、土、金、水」と順に唱えていく。

 美玉は己の指に視線をやりながら耳を傾けた。


「俺の時は木龍の筒が割れた。そうなると、本来は空燕コンイェンの儀式のときは木龍の筒を外す。だがホア貴人はそうさせなかった」


 木、をあてた美玉の親指を一度折り、再び伸ばしながら皇子が言う。


「そして、木龍の筒が割れた……のですね」


 そこに、朱美人がかがみこんできた。唐突に美玉の親指を握ると、固まる彼女に蠱惑的な笑みを返した。


「ええ。でも儀式に使われるのは道士しか解さない擬文字ぎもじよ。この可愛らしい親指、本当は木龍の文字が書かれていないとしたら? ……どうとでも言えるの。天に背くことになるけれど、華貴人は恐ろしい女よ。私、ずっと疑っているの」


「それって……」


 思いついた言葉は瞬時に引っ込んでしまった。恐ろしい話が始まろうとしている。

 天の意を偽るとは――龍との契約を偽るということだ。春蕾しゅんらい国はその建国から龍との契約によって守られてきたというのに。

 そのようなことが許されるだろうか。国そのものを揺らがす大罪で、いくら皇子を皇太子にしたいからといって、あまりにも畏れ多いのではないか。


「震えているのね。恐ろしいことですもの、分かるわ。でも考えてみて」


 そう言って、朱美人は美玉の親指を解放した。

 

「土龍の子がいつまでたっても産まれない。木龍の皇子は二人いる。おかしなことでしょう? それに、空燕コンイェン皇子は蜻蛉とんぼの施術を拒否しているわよね。龍の属性につ蜻蛉をあてがうのが、施術でしょう? 本物の木龍でなければすぐに露見してしまうものね」


「え、と、それは薬が効いておられるからと、聞いておりますけれど……」


「ええ、そうね。華貴人は尚薬しょうやく局に力を持っていますから。はたしてその薬は、木龍のかんを抑える薬なのかしら?」


 まさか、と言いかけて、口を抑える。美玉の頭に、空燕の薬酒の匂いが蘇ったのだ。

 宇航に処方されている薬湯とはずいぶんと匂いが違った。

 しかしそんなことが、可能なのだろうか……?


「土龍だと仮定すれば、抑えるべき病はおう。嫉妬や悩みのようなものでございます。確かに、癇ほど目立つ症状ではありませんので、隠すことは可能かと……でもそのような恐ろしいことを……」


「しない、と言えるかしら? ヤン女官は空燕とまみえたのでしょう?」


 朱美人の言葉に首を絞められる感覚が蘇る。

 つがいにならぬのなら、殺す、と彼は言った。あれは本気の目だった。

 思わず首を両手でおさえる。体が震えだすのを止められない。


「大丈夫、落ち着け。俺が……俺たちがお前を守る」


 隣に座る皇子から両肩を抱きすくめられてもなお、不安が心を占めていた。

 殺されかけた記憶はあまりにも生々しく、恐ろしい。


「怯えないで、受け入れなさい。とうに運命の輪は動き出しているの。強くなりなさい。運命の番がただの伝承でないと分かれば、この先に皇帝の位につくものが、哀れな現帝のように、終わりのない苦しみにさいなまれることもなくなるのです」


「そんなこと、出来るでしょうか。私はたまたま、生き延びただけの蜻蛉憑きの女に他なりません」


 朱美人の提案はあまりにも壮大で、現状から遠く、御伽噺おとぎばなしのように思えた。

 無事に宇航皇子が皇太子になり、皇帝になったとしよう。その仮定の時点であまりにも大事おおごとで美玉の手には負えないのだけれど、そこは一旦目をつぶって考えるとしよう。

 それでも、美玉の後にも運命の番となれる乙女が現れつづけないと、朱美人の語るとおりにはならない。

 

「あなたが他の蜻蛉憑きと違う点。先祖返りと呼ばれるようになった理由。あなた自身を探れば見つかる気がするの。だって、今ここにあなたが居ることは天の意志。後宮の歪みが限界にまで来ているという証だと思っているわ」


「歪み……」


 美玉が繰り返すと、朱美人は彼女の両手をぐっと握りこんだ。


「そうよ。あなた、蜻蛉憑きの奴婢ぬひを助けたいのでしょう? 私、知っていてよ」


「は、はい。申し訳ありません、勝手なことを……」

 

「いいのよ。あれも歪みの一つですもの。あなたみたいに運命の番になる乙女が現れたら、司虫しちゅうに仕える蜻蛉憑きの負担はずっと減るわよ」


 朱美人の白くて柔らかな、赤子の肌のような手が、美玉の手の甲を撫でる。

 

 そうだ、自分は奴婢ぬひの子らの命が使い潰されるのをどうにかしたかった。

 運命の番となる仕組みが分かれば、今後皇帝の位につくものが龍によって長く苦しむことも、蜻蛉憑きの子供を必要とすることも無くなるのかもしれない。

 

「結果として後宮を無くすことになっても、よろしいのですか?」


 朱美人は貴妃であり、第二位の尊い身分だ。

 後宮が不要になる未来など、望まないのではないか。


「あら、私、陛下に侍ることが出来るのは幸福ですけれど、後宮は嫌いよ。華貴人のような者が力を持つし、不幸があふれているもの」


 しれっと言って立ち上がると、豊かな胸を揺らして笑う朱美人であった。


「さて、ここからが本当に大切なところよ。これ以上に何がって思うかもしれないわね」


 いたずらっぽく笑うと、朱美人は明明に茶を運ぶよう指示を出した。

 じっくりと腰を据えて聞け、ということらしい。


「私、お茶が大好きなの。最上級の葉でもてなさせていただくわ」


 長椅子の前の低い卓に、明明メイメイが茶器を運んでくる。

 それを満足気にながめてから、朱美人は、今度は美玉の隣……隙間の少ないところに腰を押し込んで座った。



 


「さて」

 

 優雅に茶の香りを楽しみ、一口飲んでから朱美人は言った。

 

ヤン女官と明明メイメイが陛下の朝の治療に行っている間、先に宇航ユーハンを呼びつけたのよ。そのときに大体の話は聞けたわ」


「緊急と言われて来ましたが、まさか奥の部屋に通されるとは思いませんでした」


「あら、だってここが一番人が来ないんですもの。信用のおける侍女しか入れないし」


 しれっと答える朱美人だが、宇航はげっそりとした顔だ。

 明明はというと、彼女の調子にはいつも苦労させられているのか、諦めた顔で明後日の方を向いている。

 

 ――奥の部屋に、皇子とはいえ別の男性を入れるって……絶対だめよね。


 想像するだけで美玉も青ざめる思いだ。

 なんというか、朱美人もまた華貴人とはまた別の方向で恐ろしい女性だということが分かってきた。

 

「鳥の餌が片付けられていたこと、 世話係の侍女では用意できぬような絹布けんぷにくるまれていたこと、その布は宇航には見覚えがないこと、そのあたりは聞けたわ」


「はい」


「あと、昨夜あなた達が逢っていたこともね。楊女官が布を拾っていたことはそこで聞いたのだと。ふふ」


 そっと耳打ちされ、頬が火照るのを感じる。たまらず顔を覆おうとすると皇子から伸ばされた手にさえぎられ、顔をさらけ出されてしまった。


「なにか恥じらうところがあったか?」


「なにか、って、全部ですわ」


「ふむ」


「はいはい、私を挟んで睦み合うのはやめて頂戴。若い人の熱って、際限がないのだもの」


 挟まれている形になっていた朱美人が、芝居がかった動きで宇航の腕をはねのけて言った。

 

「つくづく思うわ。不良娘はどっちだかって」

 

 明明メイメイまでががからかうので美玉は縮こまるしかない。


「あなたは調子に乗らないことよ。それで、本題の続きですけれどね」


 自分は差し置いて明明に注意をすると、朱美人は仕切り直しとばかりに言葉を続けた。


「祭礼の日は人の出入りも多いし、鳥の餌を片付けた者よりも、絹布けんぷの出どころを探る方が確実だわ。それと怪しいのは……小鈴シャオリンといったかしら? 薬師見習いとして急に宇航の周りをうろつくようになったでしょう? ヤン女官が妬くほどだと聞いているわよ」


「小鈴か。あれは当然華貴人の息がかかっている。尚薬しょうやく局自体があの女の物みたいなものだからな」


 宇航の言葉は、美玉には意外だった。

 ただ薬湯がまずいから飲みたくないと言っていただけだと思っていたが、そうでもないらしい。つくづく後宮事情に疎いのが悔やまれる。知っていれば、小鈴への醜い嫉妬を表しなどしなかったのに。


 ――いえ、それでも嫉妬はしたかしら? 嫉妬の心だけは、理屈で操れるものではなかったもの。


 そんなことを考えている間にも、内情に詳しい三人の話し合いは続く。


「小鈴を問い詰めればなにか分かるのではないでしょうか?」


 と明明が問えば、


「俺も注意して見てはいたが、鳥の死については本当に悲しんでいたようだった。あれが演技には思えないな。どうせ尻尾切りされるだけだろう」


 と宇航が答える。

 小鈴……彼女は宇航皇子に想いがあったように見えたけれど、それを利用されたのだろうか。尻尾切り、とは具体的にどのようなものか。きっと穏やかなものではないだろう。

 思わず、宇航の方を見つめていた。

 

「俺の番、また妬いたか」


「ち、違います! 私は、小鈴が心配で」


「なんだ、妬いていないのか」


 そう言ってわざとらしく眉を下げる宇航をずるいと思う。

 本当は美玉が何を考えているのか、分からないほど鈍くないだろう。


「妬いています。……でも小鈴が利用されて切り捨てられるのだとしたら、かわいそうです。あの子が宇航ユーハン皇子を想っているのは間違いありませんから。彼女はひどい目に合うのですか……? その、華貴人の策で……」


 ただでさえ面倒な事態だが、それでも、口を挟まずにはいられなかった。一人の少女の恋心が政争に利用されて捨てられるなどあんまりだ。

 ……ほかのことはあまりに大きく複雑な問題すぎて、口を挟めなかったというのも、正直あるが。


 皇子が何か言いたげに口を開いた。が、朱美人が先に入ってきた。


「楊女官。そう甘いことでは何も出来ないわ。いい? 華貴人はもう動き出していておかしくないの。小鈴には適当な理由をつけて、持ち物を検査させましょう。見つかれば、それなりの処遇をします」


 有無を言わせぬ口調だ。

 

「あの、こ、殺したり、なさらないでください」


 そう訴えるので精いっぱいの彼女に、朱美人は優美に笑って答えた。


「大丈夫、手元に収めてしまえば、あとは情報が出るまで訊ねればいいだけのことですもの」


 と。

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