第17話 歪なりや後宮の鳥たち

「……あの、皇子はわざと隠れておいでで? 私が気付くかどうか試すために?」


 チュ美人と宇航ユーハンのやりとりに押されつつ、切り出してみる。


「いや、違うぞ。試されたのは美玉メイユーでなく俺の……」

 

「なぜそう思うのかしら?」


 宇航皇子の言葉に被せて、朱美人が楽しそうに訊ねてきた。

 皇子は不満顔を隠さず、しかし反論はしないようだ。なんだか子供じみていて、それが可笑しい。


「だって、皇子の心中を乱すために挑発するようなことを仰ったのでしょう? それで私は気づきましたので」


「そんなことまで肌で分かるとは、さすがつがいといったところだわ。ごめんなさいね、宇航。私気が短いものだから、この娘が気付かぬならさっさと貴方に飛び出てきてもらいたくて煽ってしまったのよ」


 そう言って朱美人が立ち上がる。

 堂々とした足取りは確かな存在を感じさせるもので、実際以上に彼女を大きく見せる。

 宇航の前にまで来ると、静かに右手を差し出した。

 皇子は抗議の溜息をひとつつくと、足元の扇子を拾って朱美人へと渡す。

 

「朱美人、そろそろ俺の美玉に話してやりましょう」


「ええ、ええ。構わなくてよ。それにしても、やっと開き直ったようでなによりよ」


「開き直ってなどいません。美玉には後宮内の面倒ごとなど関係なく、蜻蛉を愛でていて欲しかった。ただ、俺だけでは守れぬほど事態は進んでいますゆえ。それに」


「それに?」


 すべてを見透かす目で朱美人に見つめられた宇航ユーハンは、傍らの美玉メイユーへと目をやる。

 腰を抱かれる手に力がこもった。


「それに、彼女と運命を共にしたいと願ってしまったのです」


「わ、私も、です。宇航皇子と……離れ難く思っております……」


 言っていて頬が熱くなるのを感じる。

 思わずうつむくと、朱美人の裳裾が愉快そうに揺れるのが見えた。


「ああ熱いこと。明明メイメイ、これで私を扇いでちょうだい」


 芝居がかった口調でそう言うと、朱美人は明明に扇子を投げ渡す。

 それから宇航皇子と美玉を並べて座らせると、少し隙間をおいて彼女自身も長椅子に腰かけた。三人が長椅子に並ぶという不思議な状況になってしまった。

 上級妃と長椅子に横並びとは、はっきり言ってやりにくい。


「さて、箱入り育ちのヤン女官に、あらましを話してあげましょう。いまどき、女の童のほうがまだ権力に敏感というものよ」


 宇航を挟んで、朱美人が身を乗り出して語り掛けてくる。

 花の香りと化粧の香りが濃厚に漂い、女同士といえど色香にくらくらしてしまいそうだ。

 一方……とちらりと宇航を見やれば、辟易へきえき、と顔に書いてある。

 なぜかそれに安堵する美玉だ。


「人の暗部に鈍いのが美玉の良いところです」


「殿方は大概たいがいそう言いますけれどね。ふふ。それでは後宮ここで生きていけないわ」

 

 そう微笑むと、朱美人は言葉を続けた。

 

「私は後宮入りの折、まだほんの幼い娘だったの。実家が名家だからといきなり賢人の位を頂いたのだけれど、やっかみもあるし、毎日恐ろしくて泣いていたものよ。そんなときに私のお友達……いいえ妹になってくれたのが当時の李 秀鈴リー シュウリンだったというわけ」


 まあ、と声を上げそうになってこらえる。

 どうやらこの部屋にいる者で驚いているのは美玉一人らしい。


「李 秀鈴は優しくて、美しくて、……でも弱かったわ。宇航に次いで木龍を宿す空燕コンイェンが生まれたとき、もっと警戒するべきだったのに。女狐によって殺されてしまった」

 

 

 * * *


 

 母である李 秀鈴リー シュウリンの死ののち、一度龍に飲み込まれかけた宇航皇子。

 美玉の父である楊武官に保護されて宮城に戻った際、人ならざるものへの変化は治まっていた。

 それでも、彼を再び皇子として迎え入れるのを強硬に反対した者がある。

 当時はまだ貴人ではなく第三位の賢人の位であった、華 林杏ホア リンシン――今の華貴人がその筆頭だ。


 曰く、一度龍に飲まれたものが元に戻るなど前例がない。どう戻ったのか分からぬ以上、いつまた龍に飲まれんともしれない皇子を宮城に置いておくのは危険である。ということだ。


 その時には三歳下の義弟、空燕皇子が木龍を宿す皇子として居た。

 継承権争いの種となるうえに危険な宇航皇子を置いておくわけにはいかない、というのが主張だ。


 その時に動いたのが、朱花霞チュウ ホアシャン――今の朱美人である。

 当時華 林杏ホア リンシンと同じく賢人の位にあった朱は、華の住まう部屋を訪れて言った。


「木龍を宿す皇子が二人生まれるは異例のこと。天の意志だとしたら『予備』ではないかしら。おまけといえども、皇太子が決まるまで宇航皇子を残しておきたいのは帝も同じお心ですわ」


 と。

 

「帝も同じ……か。フン。相変わらずのお渡り自慢か? 色惚け女のくせに、床では随分と色気のない睦言むつごとを繰っているのだな」


「あらあ、噂話は女の好むところ、と陛下は微笑ましく見てくださいますわよ~」

 

 よく見ると襦裙きものの上からでも膨らみの分かる腹を撫でながら、朱が微笑む。華はその腹を一瞥すると、すいと目線を逸らした。


「お前はあの宮女上がりの李 秀鈴という女に甘かったな。何を考えている?」


「あらまあ。李 秀鈴は可愛らしい妹でしたけれど、死んでしまったら壊れた玩具と同じ。私は陛下のお考えについての話をしているのですわ! お考えに従うのは敬愛する陛下に仕える者として当然のこと。それこそ、妃の考えることではないですし、そんな難しいことまで私には考えられませんわよぅ」


 朱が体を揺するたび、衣に焚き染められた香が、花粉をちらすように辺りに漂う。

 目を細めて何事か考えていた華が、重たげに二三度瞬きをした。


「…………フン。陛下の意向だというのなら、此度はひいてやろう。次に騒動を起こしたら、厳しく処遇するよう陛下に上奏するぞ」


「それがよろしいですわ。なに、宇航ユーハンは母もなく、その母の実家も弱い。そんな子供を一人生かしたところで、脅威になどなりませんわ! ねっ」


 朗らかに言い放ち、華へとすり寄ろうとする朱。

 華はそれを蠅でもはらうかのように手で制した。


「寄るな」


「あらあ、男児を生んだ華賢人にあやかりたいですわ。お腹を撫でて下さいませんの?」


「断る」


 言い捨てて席を立つ華を見やって、朱は、冷たぁい。と声に出す。

 だが、その瞳は一気に冷めていった。

 


 

 

「はあ……手桶を用意して頂戴。酒を入れて花を浮かべて。あの女の部屋に行くとどうも穢れがつくような気がしてよ」


 自分の部屋に戻ってすぐ、朱は下女を呼んで手洗いのための水を用意させた。

 手を拭っていると、音も無く寄ってくる侍女がある。

 二言三言耳もとで囁かれ、朱は口の端を歪につりあげた。

 侍女の肩を抱き寄せ、その耳に言葉を返す。


「なるほど、李 秀鈴の遺体は腐っていなかったと」


「はい」


「やはり毒殺よねえ」


「恐らくは」


 侍女の言葉に朱は眉をひそめてため息をついた。

 

「ああ、李 秀鈴。墓を暴いてごめんなさいね。あなたが愚かだからよ。毒を盛る方も、盛られて死ぬ方も、愚かとしか言えないわ」


 甘やかな香りを放ちながら身のくねらせる朱のそば、侍女はじいっと黙って控えていた。


「だから私、後宮ここをどうにかしたくてたまらないの。毒見で死んだあなたの妹をはじめとして、多くの女の恨みが溜まりきっているわ。きれいにしなくちゃ。そうでしょう? 无名ウーミィン


 無名の意味の名を呼ばれ、无名ウーミィンは無言のままうつむく。

 

「膿を出さなくてはね。愛しの陛下のため、そしてここで死んだ女たちのため」


 ふふ、と微笑みながら腹を撫でる朱の手を押し戻すような胎動がある。

 胎内では、長女となる夏雲シアユンが育っているところだった。

 

「ふふ、あの女に撫でさせるなどと言ったから怒っているのかしら。させないわよ、あんな毒婦に触れさせるなどね。李 秀鈴……私の可愛い、優しいお人形。あの子を奪った女狐を、私は許さなくてよ」


 傍らの无名に聞かせるような、ただの独り言のような、自分自身どちらともつかない気持ちのまま朱は呟いた。


 

 * * *


 

 しゃらら、と音を鳴らして、木製の扇子が広げられる。

 扇子に使われた白檀の香りが場に漂う。

 

「そういうわけで、私は姉のような気持ちで宇航ユーハンを影から見守ってきたのよ」


 口元を隠しながら、朱美人が言う。


ホア貴人と空燕コンイェンを落とすための駒の一つとしてですね」

 

「それもあるけれど、李 秀鈴リー シュウリンの大事な忘れ形見とも思っているわ」


「どうだか……ただまあ、美玉メイユーを見守ってくれていたのは感謝します。彼女はどうにも隙が多くて」


 宇航から両腕で抱きすくめられて、美玉はハッと我に返る。

 あまりの情報量に固まっていたのだ。

 

「そ、それで、えっとつまり、朱美人は明明メイメイを通じて、私を守ろうとしてくださっていた……ということですよね?」

 

 必死に絞り出した言葉だったが、その場にいる全員から向けられた反応は……『ぽかん』といったものだった。


「あ、あれ。私……」


「うふふふ!」

「はは!」

「やだわ美玉メイユー!」


 三者三様に笑われる。


「わ、私だけ何も知らずに連れて来られたんですよ!?」


 たまらず皇子に向けて頬をふくらませて見せるが、頬に溜めた空気を抜くように顔を掴まれてしまった。


「悪い悪い。あまりにも、話が遅れているもので……くっ、ははは!」

 

 しまいには目の端に涙まで溜める皇子に、ますますふくれっ面になる美玉だ。


「さて、では祭礼の日に何が起こったか、これから何が起こるのか。順を追って教えてあげましょう。私と明明が、あなたと利を同じくするものということは分かってもらえたようですもの」


 そう言って、朱美人が優美に扇子を扇いだ。


「全て、あの女狐・華貴人の周りから歪みは始まっていてよ」

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