第20話 冷宮送り

「なるほどね。あなたって、本当に変わっているのね。そんなに蜻蛉とんぼが好きだなんて」


 語りを聞き終えて、明明メイメイが言った。いたずらっぽい瞳は前方にむけられていて、少し上向きの鼻をした特徴的な横顔が日に照らされていた。

 

「だって、私が求めたら生まれてくれたのよ。おかげで皇子を助けられたし」


「ああ、蜻蛉と『皇子が』特別好きなんだったわね」


「なっ」


 反射的に明明の肩を叩こうとするも、身軽にかわされてしまう。

 おおいに空振った美玉メイユーは、そのまま地面に両手をついた。

 鈍くさいんだから、と言いつつ、腕をかかえて起こしてくれる。それから急に黙り込んだかと思うと、たまに彼女がする、変に真剣な目になった。

  

宇航ユーハン皇子の謹慎を心配している場合じゃないわ。きっとあなたの方にも何かある。そろそろ蜻蛉の塚を移すか、蜻蛉を捨てるかして隠しなさい。付け込まれる隙があっては駄目よ」


「そう、ね」


「話は朱美人様に伝えるわ、必ず」

 

 低い位置から目を刺す日差しが、明明の背後から差し掛かっていた。

 夏の盛りよりも日が短くなったとはいえ、まだあたりは明るい。ひたすらに、明るい。

 眩しさに目を細めながら、ぎゅっと明明の手を握った。



 

 陛下の夕の施術に出かける前、美玉はひとり司虫しちゅう局の外に出た。

 美玉に言われたとおり、蜻蛉とんぼの塚を隠すためだ。

 もう少し早く出たかったが、奴婢ぬひの子が減っているために実際的な人手が実は足りていない。

 美玉の動きを察した明明が、そっとこちらをうかがう気配があった。が、「大丈夫」と口の動きだけで伝えて、軽く手を振って出てきたのだ。

 

 ――塚は私の勝手で作ったものだし、死のけがれに触れさせるのは申し訳ないものね。


 薄明るい空のした、手早く周囲を見渡してから司虫局の裏手へと急ぐ。

 先日、蜻蛉よりも大きなもの――鳥を埋めたばかりの土は、まだ柔らかかった。

 いつもよりも深く掘ったからだろうか。

 土を掘り返すと、蜻蛉の死骸がある。

 形を残したもの、もう崩れているもの。土と一体になっているため、それだけを取り出すのは難しい。持参した麻袋に、土ごと詰めていく。埋めたばかりのころには日を照り返して輝いていた翅も、今は見る影もない。


 気の重い作業が終わった。

 麻袋を手に立ち上がろうとしたその刹那。人の争う声が近づいてくるのが聞こえてきた。

 甲高い声の男と、聞き覚えのある女の声。女の方は明明に相違ない。

 異変があったのだ。何か緊急の事態が。


暁明シァミン! 誰に許可を得てこんな勝手をするの⁉」


「落ち着かれませ、刑部官ぎょうぶかんに逆らってはなりませんよ。まるでやましいことでもあるようではないですか?」


 神経に触るいやらしい声は、尚儀しょうぎ局の宦官、暁明のものだ。

 

「ちょっと、乱暴にしないで!」


「そう言われましても、仕事の邪魔をされては困ります。我々はヤン女官の監督態度について調べねばなりませんので」

 

 明明の怒鳴り声に冷静に返しているのは、聞き覚えのない声だ。

 複数いるようで、漏れ聞こえる言葉を拾う限り刑部の宦官たちらしい。

 

「痛っ!」


 明明が手首をひねり上げられ、声を上げる。

 たまらず美玉は、麻袋を手に彼女の元へと駆け出した。

 明明を囲む刑部官は三人。うちの一人が彼女の手首を無理に引き上げているのが見える。

 乱暴にしているその刑部官に向けて、美玉は思い切り麻袋をなげつけた。


「おやめなさい! いくらでもお調べなさいよ、ほら!」


「ぶわっ! 何をする! ひ、なんだこの汚いのは!」


 土の入った麻袋は重く、華麗に相手の顔に命中というわけにはいかなかった。

 だが袋から零れたものは、相手に不快感を覚えさせるのに十分だったようだ。

 あるものは形をたもち、あるものは腐って崩れた蜻蛉の死骸が、土とともに大量に彼にかかったのだ。


 咄嗟とっさに手を離し、全身の土をはらう刑部官。その隙に明明はするりと抜け出し、駆けて逃げて行った。

 怒ったのは三人の刑部官たちである。特に、土を浴びせられた一人は、顔を真っ赤にしている。

 荒い鼻息を吐きながら近寄ってきたかと思うと、思い切り突き飛ばされる。


「あなたが楊女官か。奴婢に翅捥はねもぎをさせているのは、本当のようですな」


 土を被った刑部官が言うと、他の二人が転がる美玉の両手を抑える。


「取り調べに付き合って頂きましょう」


 有無を言わさぬ迫力だったが、美玉メイユーは彫像のようにすました顔を作ってみせた。


 明明が朱美人の保護の元へと逃げ延びれば、まずは良い。

 翅捥を見逃すように求めたのは自分なのだから。


「言い訳はいたしません。陛下の持ち物である奴婢に、勝手をしたことは事実です」


 ――後悔するとしたら、明明や皇子の忠告をもっと早く聞かなかった愚かさだけ。


 そして、愚かさはこの身に引き受けるだけ。

 翅捥を勧めたときから、翅を捥がれた蜻蛉の無念をこの身に受ける覚悟は、どこかで決まっていたように思う。




 押し込められたのは、冷宮れいぐうだった。

 冷宮送りの話を聞いたのはつい先日だったのに、自分がそうなっている現状が可笑おかしい。

 いや、心の底から可笑しいわけではもちろん無いのだけれど、笑ってでもいないと気がもたないほど体が辛いのだった。

 

 結局あのあとむちうち刑十二を受け、背中に出血と打撲を負い、手当もなしに冷宮に閉じ込められた。

 牢はじめじめとかび臭く、薄暗い。目を凝らすまでもなく不潔なので、あえて暗闇に目をならさないよう焦点を合わせず、柵の向こうの獄吏ごくりを眺めている。

 獄吏は不快だが、壁や天井、床を眺めた方がもっと不快なものを見つけるだろうと察してのことだ。


 背中は熱を持ち、全身から脂汗が出る。

 悲しくも悔しくもなく心は空なのだが、なぜか涙がこぼれてくる。

 そんな状況でへらへらと笑いながら眺めてくるのだから、獄吏としてはさぞ不気味なのだろう。

 時折こちらを振り向かれるが、すぐに目を逸らされていた。

 

 獄吏はあまりやる気が無いらしい。新入りの美玉が不気味ながら大人しいと分かると、すぐに興味を失ったようだ。踵を返すと、どこかへと行ってしまった。

 灯りを持った獄吏が去ったあとの牢の中は、ひやりとした暗さに包まれていた。

 

 半地下にあたるのだろう。手の届かない高い位置に壁を小さくくりぬいただけの窓があり、そこから月の光がわずかに差し込んでいる。

 指を折って月齢を考えてみると、ちょうど下弦の半月か、それより少し細った月の頃合いだった。

 

 見たくないものが多そうな牢内。ずっと暗闇に慣れぬ目のままいたいものだけれど、不本意ながら目というものは暗闇に慣れてしまうもの。


 諦めて牢の中に目を向けた。

 固い木の寝台……のようなものがあり、朽ちそうな布が丸めておいてある。

 寝台は壁に沿って二台あった。


 と、片方の寝台の上の布がわずかに上下していることに気が付いた。


 ――まさか、先客が居たの?


 一見すると丸められた布だが、意識してみれば丸まった人が頭から布を被って寝ているようでもある。

 だとしても、布の下にいる者は小柄な女性だろう。彼女は、美玉が入ってきてから随分と時間が経っているというのに一言も発さず顔も出していないのだった。


「あの、先にいらしたのはどなたですか? お名前を聞いても?」


 こわごわ話しかけてみても、答えは返ってこない。ただ、規則的に上下していた布がリズムを崩し、一瞬ぴくりと震えたのは見て取れた。

 

「あの、眠っているわけではないのでしょう? どこか具合が悪くて? こんなところに閉じ込められては、病気にもなるわよね。私も背中が痛くて痛くて」


 声を掛け続けても、相手は頑なに反応を示そうとしない。

 いい加減焦れて、足を踏み出す。すぐ横で声を掛けるか、布を取るか。強引だが、もしも病気なら放っておけない。

 と、その時。


「来ないでくださいっ!」


 やっと返答がかえってきた。

 布をつき抜けて届いた声は籠もっていたが、その声の主はすぐに察しがついた。

 嫉妬のなかで幾度も思い出した声。


「……小鈴シャオリン! あなた小鈴でしょう!? 冷宮送りになったと聞いて、心配していたのよ」


 思わず寝台に駆けつけようとすると、目の前を布が遮る。

 どうやら小鈴が先程まで被っていた布を投げつけられたらしい、と気付いたのは、床に落ちた布を認めてから。

 視線を床から寝台へと上げると、そこには憐れにやつれた小鈴が目だけをぎらぎらとさせて睨んでいた。


 小柄で表情豊かな彼女を、栗鼠りすのようだと以前に思ったことがある。

 痩せて髪の乱れた彼女は、いまやねずみのようになってしまった。それも、猫に追い詰められた鼠だ。怯えと敵意で歯を剥き出さんばかりの表情をしているのだから。


「心配していた? あなたが私をどう見ていたか、知ってるんですから! 宇航ユーハン皇子に薬を届けるのを鬱陶しく思っていたクセに! そうよ、鳥だって私が殺したんじゃないわ! あなたが憎さのあまり殺したんでしょう! 私のこと、ざまを見ろと思っていたのに自分もここに入れられるなんて、いい気味!」


 一息に言い切ると、小鈴は胸を押さえて荒い息をした。体力を失っているなかで興奮したものだから、体に負担がかかったのだろうか。

 色々と誤解があるのも気になるが、まずは彼女の体調が心配だ。

 

 ――とりあえず、布を掛けてあげなくちゃ。それでええと、横になって安静にしてもらって…… 


 足元に落ちた布を拾い上げようと屈む。と、布に触れる前からなんとも言えぬ悪臭が漂ってくる。

 布に触れかけた手を引っ込める。彼女が掛けていた布には膿や血が染み込んでいるのだろう。どのような刑を受けたのかまでは聞いていないが、ひどい怪我を負ったらしい。

 少しの逡巡しゅんじゅんのあと、身をひるがえす。空いている寝台の方の布を掴むと、小鈴の元へと駆け寄った。

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