第25話 審議の場にて・1

 外廷がいていにある紫龍しりゅう殿は皇帝により政が行われる宮殿である。

 そこに、美玉たちは連れられて来ていた。

 後宮の外、どころか、内廷の外にまで来たところで、これから起ころうとしていることの大きさを思わせられて気が落ち着かなかった。

 

 檀上には御簾の向こうに皇帝陛下が座している。

 さらに檀下にはホア貴人と空燕コンイェン皇子が立っていた。

 朱美人はその脇に立ち、預かりとなっている小鈴は壁際で朱美人の侍女たちとともに膝をついている。

 檀上には皇帝の最高補佐官である丞相じょうしょうの姿までみとめられる。


 美玉は宮殿内の隅に跪かされているが、宇航皇子は中心の壇の下で膝をついていた。宮殿の警備を担当する、体格のよい衛尉えいいたちに挟まれて。


「審議について申し上げます」


 丞相じょうしょうが重々しく告げる。


大暑たいしょの祭礼前に空燕コンイェン皇子の右手を負傷させ、引弓いんきゅうの儀の進行を妨げた件にで謹慎となっておりました宇航ユーハン皇子につきまして。さらに天をあざむく大罪を犯しているとの訴えがありました」


 その言葉に紫龍殿内はおおいにざわめく。

 天をあざむく大罪、というほどの言葉を皇子に向けて使うということは、これから始まるのは弾劾だんがいである。

 美玉は思わず顔を上げそうになる。が、衛尉えいいに強く肩と頭を掴まれ、おさえこまれてしまった。不審な動きは見逃さぬという次第である。


 ――証人と言われてきたけれど、私も裁かれる側のような扱いね。まあ、予想はついていたけれど。

 

「宇航皇子は木龍でなく、土龍を宿される皇子であり、竹割たけわりの儀を偽装していた。母君の李 秀鈴リー シュウリンは、その罪の恐ろしさに病にかかり死んだということです」


「ちょっと待っ……ぐぅ!」 

 

 続く言葉に美玉は思わず声を上げるが、衛尉によって封じられた。

 

「何を言う! 戯言ざれごとで母を侮辱するな!」

 

 宇航皇子の声が響き、彼を抑えようとする物音が聞こえてきた。

 視線だけを持ち上げて、袖の隙間から様子をうかがう。

 怒りのあまり気色を失い唇を震わせる皇子が見えた。


 その様子を眺めながら、空燕が落ち着かない様子で腰の瓢箪をもてあそんでいる。いつもの朱塗りの瓢箪は美玉たちの手にあるためか、木の色をしたものだった。

 

「よ、よろしくないですよ、義兄上あにうえ。木龍を、か、かたるなど」


 蜻蛉の影響だろうか、呂律ろれつの回らぬ口で空燕が言う。

 唇が歪み、美丈夫びじょうふの面影はもはや薄い。

 

「何を証拠にそんなことを!」


「空燕を落とし、皇太子の座につこうと画策をしているからです。土龍の子が生まれぬこと、私はずっと不思議に思っておりました」


 ホア貴人が口を挟み、しゃあしゃあと言葉を続ける。


「たまたま蜻蛉憑きの娘が後宮に入ってきたからといって、帝の持ち物である女官に手をだし、運命の番とたばかる気です。珍しい先祖返りの娘が現れたから、利用することを考えたのでしょう。皇太子の位への欲が出たのでしょうか」

 

 その言葉に、なんと恐ろしい、という囁き声が虫の羽音のように響いていく。

 丞相じょうしょうが静粛をうながすまで、それは続いた。

 

「陛下、これが証言書にございます。二人が親しくしていること、空燕コンイェン皇子の東の対で宇航ユーハン皇子が暴れたこと、宦官かんがんから宮女、女官まで証言をとっております」


「見せてみろ」


 陛下の声に疲れが滲んでいるように、美玉には聞こえた。

 今朝も蜻蛉の施術は出来ていない。薬での治療はされているにせよ、そちらの体調も心配だった。

 御簾みすの向こうに書面が渡されるのを見て、美玉は何も出来ない無力に頭を振る。

 

「あら、虫の女が何か言いたげです。丞相じょうしょう、あれに証言をさせてみるか?」


「貴人のおっしゃる通りに」

 

「では虫の女。発言を許す」

 

 華貴人がにたりと笑って美玉に顔を向けてくる。

 どんな腹かは分からないが、ここぞと美玉は顔を上げた。

 

「宇航皇子が木龍をかたっているなど、ありえません。私は木龍のかんをおさえる蜻蛉を飛ばしております。相克そうこくことわりに反する蜻蛉を植えれば、正気ではいられません。それが証拠です」


 先日の、空燕皇子の錯乱を思い出しながら告げる。

 しかしホア貴人は証言を一笑にふした。

 

「ハッ。宇航ユーハンと恋仲なのはまことのようだ。土龍に対応した蜻蛉を出していたのではないか? 奴婢らの蜻蛉憑きを治して追い出したのも、自分だけが蜻蛉の治療にあたるため。どの蜻蛉を出しているかなど、術者であればいくらでも虚言をはけるものな」


 ぜんたい、これは恋仲であることの告白にしか過ぎない、と貴人が付け加えた。

 

「のう、空燕コンイェン。どう思う?」

 

「つ、つがいをでっちあげて皇太子になろうとしているようだが、そもそも、ユ、宇航ユーハンが木龍の皇子でなければ、虫の女を番と言い張ろうとも皇太子とはなれない。伝承の、う、運命の番は、皇帝の龍をなだめたからこそ、運命のつ、番とされたの、だからな」


 華貴人と美玉の間で忙しく視線を動かしながら、空燕は拙い口調で言った。

 その指はせわしなく腰の瓢箪をで続けている。

 

「宇航皇子は間違いなく木龍を宿していらっしゃいます。嘘など申しません。それに……女官として節度失った行いもしておりません」

 

「嘘をついていないという証拠がない、と言っている。お前は蜻蛉憑きの奴婢ぬひに勝手に翅捥はねもぎをさせていた罪で罰をうけていたろう? 宇航ユーハンはよくお前を訪ねていただろう? 状況が全てを語っているぞ」

 

 貴人の言葉に、「そうだ」「そういえば」、という声が辺りから漏らされる。

 今度は、静粛を促すものは居なかった。

 

 ――このままでは堂々巡りだわ。いえ、貴人の手回しだけで、宇航皇子は罪を着せられてしまう。

 

 証拠が必要だった。

 貴人によっていくらでも操作できるであろう証言など、覆せるような決定的な証拠が。

 そのとき、隅から声が上がった。

 

「ち、違います!」

 

 小鈴の声だった。

 ちっぽけな体は、離れて見ても分かるほど震えている。しかし、その言葉は明瞭だった。

 

かんの発作を抑える強い薬……西方の植物である芥子ケシの実を材料とした薬を、宇航皇子にはお届けしていました。一方で、空燕コンイェン皇子が冷宮れいぐうで落として行かれた瓢箪に入っていた薬酒ですが……」

 

 そう言いながら、小鈴は朱塗りの瓢箪を袖から出した。

 両手で捧げながら、言葉を続ける。

 

「この瓢箪に入っていた酒はかんを抑える薬ではありません。カラスビシャクの塊茎かいけいとサイコの根が入っています。どちらかと言いますと、」


 そこで小鈴は息を小さく吸う。

 

「……土龍のおうによる症状を軽減するでしょう。それにしてもすごい濃度でした。常飲するとなると、副作用が強く出ているはずです。この瓢箪につきましては、証拠としてお納めいたします」

 

 彼女の証言に、場はしいんと静まりかえる。丞相じょうしょうが無言のままに壇を下り、小鈴の手から朱塗りの瓢箪を受け取った。

 すると、遅れて周りから声が漏れ聞こえてくる。

 

「あれは確かに空燕皇子の瓢箪だ」

「皇子がいつもと違う瓢箪を提げていると思ってはいたが」

「しかし冷宮になど何をしに行っていたのだ」

 

 場の空気が変わりつつあるのを肌で感じ、美玉はほっと息を吐いた。

 それが面白くないのは華貴人である。

 黒曜石の瞳は切っ先鋭い石器のように光り、怒りの感情を隠さず表している。

 そのまま、ハッ! と嘲笑の声を上げ、貴人は小鈴を睨みつけた。

 

「見習い薬師ごときが何を言うか。鳥を殺したときは、薬と毒とでもまちがえたのか? 帯を盗んだ次は瓢箪を盗んだか? こいつの見立てがどれほど正しいやら疑わしい。尚薬しょうやく局の本物の薬師はどう証言するかな」

 

 その言葉に、小鈴はさっと顔を伏せた。下賜された帯を、盗んだ、と言われた。はっきりと切り捨てられたのだ。

 肩を震わせる彼女の姿は、常よりもさらに小さく見える。それはひどく頼りないように周囲にも映るだろうというほどに。


「見習いのげんだからなあ」


 誰かの呟きが届き、小鈴が肩を落とすのが見えた。

 

「小鈴……」


 そう呟いて飛び出したくなるけれど、衛尉えいいに腕を固められている。

 今すぐ肩を叩いて慰めたいというのに。

 

丞相じょうしょう、その瓢箪の中身をあの娘の師の薬師に調べさせるとよい。小娘の言う酒の中身と、空燕に処方している薬が一緒かどうか確認せよと」


 貴人の言葉に、丞相が頷きかけたときだ。

 

「信用なりません。ホア貴人、尚薬局はあなたに有利なことしか言わぬでしょうが」


 宇航皇子が止めようとするが、その言葉は丞相によって聞こえないものとされた。華貴人が袖で口元をおさえて、ふん、と笑う。それを見た瞬間、美玉は己の怒りが弾ける音を聞いた。


 皮膚がぞわりと粟立つ感触がある。

 蜻蛉が生まれたがっていた。

 

「その必要はありません!」

 

 腕を固められ、口をふさがれそうになりながら、声を上げる。


「陛下! 今朝は治療が出来ておりませんでした。施術をさせてくださいませ!」

 

 告げるやいなや、すっと顔を上げた美玉の首から、胸から、肩から、数多の蜻蛉が生まれ出る。

 黄琥珀の蜻蛉たちが入り乱れて飛びかう。

 驚く人々の騒めきを飲み込むような、羽音。羽音。羽音。

 虫たちがかき混ぜる空気の渦のなか、美玉は詠唱をはじめる。


「誰が施術を許したか! その女を抑えろ!」

 

 華貴人の言葉に衛尉えいいが手を振り上げる。が、蜻蛉をまとわりつかせた美玉が視線を向けると、その態勢のまま動きを止めた。


「詠唱の邪魔をなさらないでください。蜻蛉がので」


 その言葉に、ひぃ、と息を飲む衛尉。龍に対応する施術以外で蜻蛉を植えられては、精神にどのような変化が起こるか分からないのだ。美玉は空燕との一件により知っている、が。

 美玉の冷たい視線とともに蜻蛉を向けられて、衛尉は本能的に恐怖を覚えたようである。

 場に緊張が走った、そのときだった。

 

「よい、寄越せ。施術がなくてまったく今朝から気鬱が晴れぬ」


 檀上から声が降ってきた。

 皇帝が直々に施術を許したのである。

 こうなれば誰も施術を止めることは出来ない。

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