第22話 木龍の皇子に『施術』すること
少しの間のあと、
腕で目をこすり、手の平の付け根のふくらみで
その彼女の表情にもはや迷いは見えなかった。
「……はい。貴人は、私の心を知って、宇航様に薬を届ける仕事に推薦してくださいました。それに、宇航様を心配して鳥も買ってくださいましたし、帯も……
そう言うと小鈴は、こんなことになるなんて、思わなかったんです。と、やっと耳に届くほどの声で付け加えた。自分に言い聞かせるかのように。
「分かるわ」
美玉は、彼女をそっと引き寄せて、言葉を続ける。
「皇子はいまとても難しい立場にあるの。助けるのに、協力してもらえないかしら。証言もして欲しいし、薬について教えて欲しいことが他にもあるの」
「でも、私の言葉など誰も聞きません」
「あなたが話してくれるというのなら、力を貸してくれる人は居るの。宇航皇子を落としたいと思う者もいれば、助けたいと思う者もいる。木龍を宿す二皇子の派閥、というところね」
はばつ。と、またしても小鈴が小声でつぶやく。
「私、また切り捨てられたりしませんよね? だって、貴人だって派閥というもののために私を利用したのですよね?」
「聡いのね。もちろん、これからあなたが協力する方も、あなたの証言と能力を利用しようとするでしょう。ただ、これだけは約束するわ。捨て駒にするようなことは、宇航皇子自身が決して許さないと。皇子のお人柄は、分かるでしょう?」
美玉の言葉をうけて、小鈴は両頬を手で
寝台から垂らされた脚は交互にぱたぱたと揺れ、急に落ち着かなくなる。
「……はい。ずっと以前に助けて頂いたことがあります。恐ろしい噂を聞いていたのに、実際はお心がひろくて、素敵で、……憧れたんです」
「ふふ、私も同意見よ。気が合うじゃない」
隣から身を乗り出して、顔を覗き込むようにして言ってみる。
――頭を撫でるくらいはいいかしら? 野生の
牢中だというのに、のんきなことを考えていた。そのときだった。
故意に鳴らしているのではないかと疑うほどの足音をたてて、石造りの階段をおりてくる者がある。固い壁に靴の音が反響し、ひりひりと空気を揺らす。
傍らの小鈴が、袖を掴んできた。
小さな手は震え、美玉の陰にかくれるように背を丸めている。
「どうしたの?」
「
「あの、方?」
「やァ、虫の女。背中の傷はどうだい?」
やって来たのは
そんな様子でも獄吏が見て見ぬふりをしているのは、皇子という立場もあるだろうがが、おおかたたっぷりと賄賂を握らせもしているのだろう。
「空燕皇子。どうされました? 夜の散歩でしたら、もっと空気の良いところがあるでしょう」
背後に小鈴を隠し、睨みつけながら問うてみる。
空燕は「ハッ」と酒臭い息を吐くと、音を立てて牢の柵に片腕をかけて寄りかかった。
「鳥殺しの娘と随分仲良くなったようだね。あァ、あの鳥は君も邪魔に思っていたのかな」
「小鈴は鳥を殺してなどいません。誰かにはめられただけです。誰かにね。やっていないという訴えは聞き入れられなかったようですけれど」
美玉が睨みつけても、空燕はいやらしい笑みを浮かべるばかり。
そのとき、いくら睨んでも視線が合わないことに気づいた。視線の先を追うと、肩の先をかすめて背後の小鈴に差し向けられている。
振り向くと、美玉の衣を掴んで震えている小鈴が居た。尋常でない怯えように、自然と体が動いた。
上体をひねり、片手で肩をさすってやる。
「ねえ鳥殺しの娘。君は何も言っていないよね。虫の女に言いくるめられて、適当な嘘を答えてなんていないよねェ?」
小鈴の肩が大きく跳ねる。
――私が
威圧的な態度に、自分の眉間に皺が寄るのが分かる。
落ち着かせるために小鈴にどう声を掛けようかと考えていたときだ。
歯を鳴らしながらも、小鈴が口を開いた。
「わ、私、は何も知りません。何も言っておりません。お許しください空燕様」
言いながら、目は美玉を見つめている。
言葉の裏をとってくれというように。
その瞬間、ガシャン! という大きな音をたてて空燕が牢の柵を揺らした。
ヒッ、と叫んだ小鈴が一瞬視界から消える。下を見ると、腰を抜かしたらしく床にへたりこんでいた。
「くれぐれも、おかしな作り話をするなよ。何を訴えようと、お前はここを生きて出られないんだから。どうせ死ぬにしたって、これ以上痛くされたくないだろ?」
「乱暴なことをなさらないでください。彼女はもう刑を受けています」
「そんなこと、俺の
そう言うと、空燕は柵の隙間から手を差し入れてきた。
「何をなさるのです!」
思い切り体をひいてみても、指が食い込むほどに強く掴まれていてはどうしようもない。
「出してやろうっていうんだ、よ!」
空燕から聞いたこともない低い声が出て、肩から腕が抜けるのではないかという勢いで引かれる。額から肩から、半身をしたたか鉄の柵に打ち付けることになった。
衝撃で目の前が歪み、意識が遠くなる。
と、鍵穴に鍵が差し込まれる特有の音が聞こえた。
訳も分からないまま、柵に寄りかかって姿勢を保っていると、唐突にその柵が動いた。
牢の戸が開いたのだ。
勢い、倒れ込むように外へと引き出される。扉である柵の間に挟まったままの右腕に、おかしな方向から力がかかった。骨がきしむ嫌な音がする。
うずくまったまま顔だけを上げると、しゃがみ込んで見下ろしてくる空燕が居た。
その背後には、鍵を持った獄吏が見える。先ほどまでは置物のようにただ成り行きを見守っていただけの獄吏が。
「何を考えているのです?」
「言っただろ。ここから出してあげるよ。俺の運命の
「そして、断れば殺すと」
「そうなるね」
短く答えた彼の、空色の瞳の奥に闇がゆらめいている。
殺す、つもりならば……。美玉は痛む頭を必死に巡らせる。
考えはある。宇航皇子を排除しようとする空燕のその企みを暴き、加えてこの状況から脱するための考えが。
――でもあの子たちは、許してくれるかしら。
「鳥を殺したのはあなたですよね? 指示は華貴人? 証拠になった帯は貴人から下賜されたものだと小鈴が言いましたよ」
「あの小娘が何を言おうと、誰も信じないよ」
「それって、告白したも同然ですわよ。……あなたはずっと、何を焦っているのです? あなたには番など不要でしょう。優秀な木龍の皇子なのですから」
「焦る? 君、あんまりくだらないことを言うなよ。
「木龍の皇子という称号も、奪ったですものね?」
土龍を宿す皇族の不在。高齢の皇帝。
木龍を宿す二皇子。
薬酒は手放せないが、蜻蛉の施術は固辞する空燕。
華貴人の天をも畏れぬ企てについて聞いてから、ずっと考えていた。
やはり空燕は木龍の皇子ではない。
事実だとしたら、あまりにも
対して空燕は不気味なほどに静かだった。
小鈴も、獄吏すらも息を殺し、空気の流れる音が聞こえるほどの沈黙が訪れ。
唐突に破られた。
獣じみた唸り声を聞いた。と同時に、痛めたばかりの右腕に再び激痛が走った。
背に馬乗りになった空燕によってひねり上げられていたのだ。
「ひっ……ぐぅ!」
肉の中で骨が折れる鈍い音が、やけにゆっくりと耳に届いた。
「君、ここで死んだほうがいいね」
「あら、図星、でしたの? ……っ!」
――思った通り、たかが女ひとりと侮っておいでね。
額にはりつく髪の隙間から、空燕を見上げて笑ってやる。
もっと、もっと煽ってやらねばならない。
無防備な首筋以外は目に入らないほどに。
「また、首を絞めますの? 牛は殺せなくても女は殺せますわね」
「ぬかせ!」
怒号とともに、ひねり上げられていた右腕が解放される。
次の瞬間、うなじの側から両手をかけられ、喉を潰すように交差された指が食い込んだ。
そのまま上半身を持ち上げられ、海老反りにされる。
喉から自分でも聞いたことのない声、になるまえの、音が響く。
だが、今こそ美玉が狙っていた機会だった。
「施術をっ……開始、いたし、ます」
その言葉を合図に、胸から、腹から、左腕から、白琥珀色の蜻蛉が飛び立っていく。
「何、を!」
首を掴む手を離し、身をひるがえそうとする空燕の裾を掴む。勢いあまり、ざらつく石の床で爪が割れた。
「
「離せッ!」
美玉を蹴り飛ばそうと持ち上げられた空燕の脚に、蜻蛉が一斉に群がっていく。
ぎいぎいと音を立て、一斉に口を鳴らす蜻蛉たち。
「や、やめ」
「
息を継ぎ継ぎではあるが、美玉は術を唱え終えた。
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