第14話 月夜に鳥を埋めること

 祭礼での騒動をきっかけに、明明は堂々と隠密めいた動きをするようになった。

 夕に陛下の元へ蜻蛉を届けたのち、どこかへ一人で出かけてしまったのだ。


「どこへ行くかなど訊ねるのは野暮というものよ」と言って。


 それが夕餉の時間になっても戻らない。

 やっと戻ってきたのは、寝る準備を整えた美玉が髪をかしているときだった。

 二人が寝起きしている室房へやに、猫のように音も無く帰ってきたのだ。

 高貴な人の焚くような香のかおりをさせて。


「不良娘ね。こんな時間に出歩いて、罰せられても知らないわよ」


「あら、ちゃんと許可は得ているもの」


 誰に、と訊ねる気はもはや無い。人というのは、特に後宮に務める者は、秘密を持つものなのかもしれない。と、人心ひとごころに疎いながらにさとり始めていた。

 それでも、彼女を遠ざける気にはならない。


 ――後宮ここで他に頼れる相手がいないのだもの……というのは愚かかしら。


 味方だと言ってくれたこと、偏見なく話し掛けてくれたこと、すべてが大切で手放せない思い出だった。

 

 そんなことを考えていると、明明は手早く着替えて寝る態勢に入っている。

 珍しく口数が少ないな、と思いながら美玉も体を横たえたのだった。




 夜半のこと。

 体は疲れているはずなのに、美玉は寝付けずにいた。

 寝息をたてる明明を恨めしく見やるが、夢に化けて出られるわけでもない。

 

「ふん」


 鼻を鳴らして目を逸らし、右に左に転がってみる。

 どうしても寝られないと覚った美玉は、そっと体を起こす。

 思い切って寝所から抜け出し、室房を出ることにした。

 自分も不良娘になってやろうというわけでもないが、夜の散歩に出ることで秘密を作りたくなったのだ。

 何気なく夜着やぎの襟の中に例の絹布けんぷを忍ばせる。自分でもなぜそうしているのか分からぬままに。

 

 月の大きい夜だった。

 夜警の目を避けたく、灯りを提げずに出てきた。慣れた道であれば問題なく歩けそうだが、室房からの慣れた道といえば、司虫局への道しかない。

 そうっと歩き出してみると、なぜか心が逸った。なにかにような感覚があるのだ。


 丸い月を見上げれば、昼間に見た蜻蛉とんぼの輪の残像が浮かぶ。

 目の前にちらつく数多の光の輪に導かれるようにして、美玉は夜道を歩いて行った。

 

 そうして着いた先の司虫局、の、裏手。

 夜空を埋めるほど迫る満月の下で、長身の男がたたずんでいるのが見える。

 蜻蛉の塚を見下ろして立っているのは、宇航皇子その人だった。

 足元の土は柔らかく、他と比べて色が濃い。掘り返されたばかりとすぐに分かった。


「ああ、美玉。不思議だな、俺は驚いていないようだ。……会える気がしていた」


 月と同じ色をした瞳を柔らかく細めて言われると、美玉の心に切なさが刺し込まれる。

 

「……私もです。なんとなく、呼ばれたような気がいたしました」

 

 駆け寄りたい気持ちを抑え、少し離れたところで立ち止まって目を伏せる。

 皇子の手が土で汚れているのが目に入る。


「埋めておられたのは、蜻蛉ではないのでしょう?」


 胸元の、絹布が収まっているあたりに手を当てて訊ねる。

 

鈴鈴リンリンだ。部屋に戻ったら死んでいた」


「そう、なのですね……」 

 

 予想通りの答えが返ってきて、美玉はぐっと拳を握った。


「私、知っておりました。これを拾って……中に小さな羽根が残っておりました」

 

 襟元から絹布を出す。皇子は布を目にした瞬間に、ひどく辛そうな顔をした。

 無言のまま手を差し出す様子がないので、美玉はまたその布をしまった。ずっと差し出していては、羽根を渡されたときのことを思い出させてしまいそうだったから。


「俺が見たときには、鳥はすっかり固くなっていた」


「殺されたのでしょうか?」


「そうだろうな。餌が片付けられていたからな」


「それはどういった意味ですか?」


「鳥の世話を任せている侍女が掃除したのなら、そのときに死骸を見つけて俺に知らせるはずだ。しかし彼女は知らなかった。朝に餌をやりはしたが、その後は近づいていないと。俺が祭礼に出るのが余程気に食わない者がいるようだ」


 ホア貴人と空燕コンイェン皇子ですか、とは訊ねなかった。

 明明メイメイに注意されたばかりでもあるし、加えてどうせ皇子も同じことを考えていると分かったから。

 足元にしゃがみ込み、掘り返されたばかりの土にふれる。ひやりとした水気を感じた。


「あの布に見覚えは?」

 

「ない。手触りだけでも高級な布だと分かった。侍女といえど簡単に手に入るものでもないし、下賜かしの品という線もあるが、少なくともあの侍女の持ち物には無かった」


「調べられたのですね」


「一応な。きつく問い詰めることもできるが、罪もない侍女をいじめるだけになりそうでな。見張りをつけて謹慎だけさせている。誰も通すなと命じてな」


 皇子の言葉ももっともだ。世話をした鳥が死んだとなれば、本来その罪を負って罰を受けねばならない。

 だが、他の誰かの悪意によって鳥が殺されたのならば、一介の世話係にそうそう厳しい罰を与えるのは哀れだ。それに。


「侍女が誰かにたばかられたとして、見張りをつけなければ、口封じをされるかもしれませんものね。お優しいです」


 美玉の言葉に、宇航がふいと視線を落とした。


「ただ巻き込まれただけの哀れな女だからな。……だが、犯人を見つける手立てがない。今は鳥を埋めてやることしか出来ず、まったく情けない限りだ」


「そんなことありません。私、出来る限りの助力をさせて頂きます……鈴鈴のためにも」


 土のわずかなふくらみの下、冷たくなった鈴鈴リンリンの『器』だけがある。

 魂の抜けた空の体が。

 そう想像すると、切なくて悔しくてたまらない。


「……とむらおうと思ったとき、ここしか思いつかなかった。お前が心を寄せる蜻蛉たちの近くなら、鈴鈴にも哀れみをかけてもらえるのではないかと勝手をした」


 そう言って、皇子が隣にしゃがんだ。裾の汚れるのにも構わず。


「勝手ではありませんわ。ここに来るたびに思い出すことに致します。それに、ここに哀れな生き物が埋葬されていると知る人が私のほかにいるのは……それが宇航様なのは、嬉しいです」


 慰めの言葉が見つからず、もどかしい。

 半端なことを言っては、余計に彼を傷つけるだろう。

 

「そうだな。しかし塚というものは見つかれば、お前の弱みになる。足を運ぶときは気をつけろよ。……まあお前が蜻蛉に愛されているのは、その甘さからかもしれないが」


 皇子の手が美玉のそれに重なる。土に触れていた手を、とられる。

 二人の手はともに土に汚れていた。

 互いのいたむむ心を表しているようで、胸の奥が、切なくしめつけられる。

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