第4話 司虫女官、皇子皇女の往診をすること

「さて、美玉メイユーはそろそろ行きなさいよ。ひるまでに皇子と皇女のお加減をうかがうのでしょう」

 

「休む暇もないわね」

 

「あなたは随分と休んでいたように思うけれど?」


 美玉の前には作り始めの形の虫篭むしかごが一つ。

 明明メイメイの前には完成したのが一つと、あともう少しで出来上がるというものが一つ。

 とはいえ美玉はずっと作業を怠けていたわけではない。

 指には、篭を編むのに使った竹によってできた擦り傷が複数出来ている。手の甲にはしなった竹に打たれて出来たみみず腫れの跡までもがある。

 限界を迎えた手を休めていただけのこと。


「働き者の手でしょう?」

 

 手を見せつけるも、しらけた顔で無視をされた。

 そのうえ、両脇に手を入れられて、子供にするように立ち上がらされる始末。

 

「猫ではないのだけれど?」

 

「確かに猫より重いわね。そんなことより、さっさと行きなさい。奴婢ぬひも連れてく?」


 そう言うと明明メイメイは、部屋の隅で篭を編む子供たちに目をやった。

 美玉メイユーはゆったりと首を振る。

 

「いえ、結構よ。あの子たち全員でも一時いちどきに二十匹程度の蜻蛉とんぼしか出せないもの」

 

「流石ねえ。じゃ、あなたが出ている間はここで篭を編ませながら監視しておくわ。勝手に翅捥はねもぎをしないようにね」


 左遷されてきた女官明明メイメイは、翅捥はねもぎをさせぬよう監視する役目を負っているのだろう。尚儀局の宦官、暁明シァミンが美玉を警戒していることからも、容易に察せられる。


 ――奴婢の子らの蜻蛉憑きを、少しでも早く治してやりたいのに。


 明明は悪くないが、彼女が来てから子供たちが翅捥はねもぎを出来ていないのは気懸りだ、

 

「あなたは少し寝ておいたら? 篭作りで疲れたでしょう。丁度よい長椅子もあるし」


 と長椅子を指すと、明明メイメイはとんでもないというように目を丸くした。

 

「そんなに暇ではないわよ。第一あれは皇子の椅子でしょうが! ほら、下らないこと言ってないでさっさとに出なさい」


 ぷりぷりと怒る彼女に背中を押されるようにして、司虫局の外に出た。

 と、すぐに尚儀局の嫌味な宦官、暁明シァミンとすれ違う。

 向こうとて彼女に良い気持ちなど持っていようはずもない。互いに目を細めて行き会った。

 司虫局に行くのであろう。明明と奴婢の子供らは気の毒なことだ。そう思いながら、美玉は往診へと急いだ。


 ひるまえだというのに日差しはかんかんと照り付け、露出したうなじや手にはひりひりとした痛みを覚える。


「暑すぎるし広すぎるわ。ほんとうにこんなに広い必要があるのかしら」


 口の中で愚痴を転がしながら、まずは皇女の住まう西花さいか殿をおとなう。

 皇帝には三人の皇女がおり、年齢順に夏雲シアユン文月ウェンイェ雪慧シュフゥイ、という。それぞれに火龍、金龍、水龍を宿し、その龍の司る心――喜、悲、恐に悩まされている。

 とはいえ皇族の男子ほど龍の力は強くないらしく、簡単な治療で済んでいる。女子に宿る龍の力が比較的弱いのは、帝位に関わらぬからだろうというのが最も指示されている見解だが、人には龍の考えなど分からない。

 ただ事実としてその傾向がある。


楊 美玉ヤン メイユー、参りました」


 手を組んで深く礼をすると、檀上に座る皇女たちは三様さんようの反応を示した。


「ああ来たか! 私は今日も調子がいいぞ! 心配性のお前はまた蜻蛉を出すだろうがな!」


 燃えるような赤い髪をした押し出しの強い美女がまず声を掛けた。夏雲シアユンだ。

 本人はいつも調子がいいと言って聞かないが、声は上ずり目は爛々らんらんと輝いて、今にも椅子から立ち上がりそうに落ち着きがない。

 

 ――火龍の喜の心が強いようね。そうの気が出ていらっしゃるわね。


 美玉はそう判断した。


 続いて口を開いたのは文月ウェンイェだ。

 彼女は三人の皇女の中で最も線が細く、色が白い。薄茶色の髪を不安げにいじり、目は伏せたままどこも見ていない。

 

「どうにも……気が晴れぬ……」

 

 ぼそりとそう呟いたきり黙り込んだ。

 

 ――金龍の悲の心ね。ゆうの気が増していらっしゃる。

 

 美玉の診断は続く。


 最後の雪慧シュフゥイは皇帝と同じ水龍を宿しているが、彼女だけは衝立ついたての後ろにおり裳裾すそしか見えない状態だ。

 侍女が雪彗に変わり声を出す。

 

「早くご自分の部屋に帰りたい、と仰っておいでです」

 

 ――水龍による恐の心ね。陛下よりは軽いけれど、気鬱きうつには違いないわ。

 

 そこで美玉は両腕を前に出し、自らの体から蜻蛉を生み出すための術を展開した。

 

「恐の心よりでしは黒琥珀、喜の心より出でしは赤琥珀、嫉の心より出でしは黄琥珀。蜻蛉たちよ、相克そうこくことわりに従い龍を鎮めよ」

 

 すると美玉の袖がぶわりと広がり、黒琥珀、赤琥珀、黄琥珀の蜻蛉が一斉に飛び立つ。

 黒琥珀の蜻蛉は水の属性。火龍を宿す夏雲シアユンの元へ。

 赤琥珀の蜻蛉は火の属性。金龍を宿す文月ウェンイェの元へ。

 黄琥珀の蜻蛉は土の属性。水龍を宿す雪慧シュフゥイの元へと飛んでいく。


 水は火にち、火は金にち、土は水につ。龍の属性を打ち消す蜻蛉を遣わしたのだ。


「軽い症状ですので、五匹程度が適量かと思われます」


 美玉は頭を下げて伝える。蜻蛉の停まる様子をまじまじと見ては失礼かと考え、いつも蜻蛉を放った後は見ぬようにしているのだ。

 そのまま淡い光が檀上から発されるのを目の端で確認し、退出の許可を待った。

 これで、皇女の往診はしまいである。


 次は皇子の住まう萬樹まんじゅ殿である。後宮の敷地に隣接するが、敷地外にある。そのためさらに美玉は長い距離を歩くことになる。

 

 いよいよ天辺近くまで昇りつつある陽に焼かれ、蒸し物にでもなった気分でようやっと辿り着いた萬樹まんじゅ殿。

 その西のつい宇航ユーハン皇子が住んでいる。

 

 だが美玉はまず東のついに向かった。そちらには空燕コンイェン皇子が住んでいる。

 

 ここには木龍を宿す二人の皇子が住んでいる。五行の順に位を委譲いじょうする決まりに従えば、皇太子となるのは木龍を宿す皇子である。

 だが今は木龍を宿す皇子が二人居る。

 と、なるとどうなるか。

 龍を宿しながらも症状の落ち着いている空燕コンイェン皇子が、次期皇帝である皇太子にもっとも近いとされている。西に対してより位の高い東の対に住んでいるのはそのためである。

 歳は宇航ユーハン皇子の方が上であるにも関わらず、だ。


 ――東の対を先におとなうのが道理とされているのは助かるわ。散々歩いて疲れた体で、すぐに宇航皇子の木龍に対峙たいじするのは大変だもの。まあ、西の対もすぐに追い出されるのだけれど。


 そう考えながら、西の対の入り口で挨拶を行う。すると予想のとおりに女官にすぐに退けられた。


空燕コンイェン皇子殿下は司虫の往診など不要。ご自分で龍を抑えておいでです」


 鼻で笑う女官が、「ああ虫臭い虫臭い」と袖で払うので、美玉は無表情のまま礼を深くして、その場を退出した。

 

 萬樹殿の中庭には日よけのための木が繁り、回廊も日陰になっていくらか涼しい。それでもどうにも体が怠いので、東の対で宇航皇子を治療した後は少し休ませて頂けないだろうか。と歩きながら考えていたときだ。

 

 くらり、と突然視界が揺れたと思うと、透き通っていくように景色が白く変ずる。


 ――いけない……暍病えつびょう、だ、わ。


 暍病、つまり熱中症である。

 長らく家に隠されていた美玉は、夏の盛りに歩き回るなど経験がなかった。日々の務めの疲れもあり、無自覚のうちに熱中症の症状を表していたのだ。

 

 床に打ち倒れそうになったその時、男の片腕が美玉を支えた。絹の袍衣ふくの感触から、咄嗟とっさに口をついて出た名前、それは。


宇航ユーハン、皇子……?」


 そうとだけ呟いて美玉は意識を手放した。


 

 * * *

 


「抱かれて義兄上あにうえと間違えるとは、随分と親しいようだね」


 口の端を上げて呟いたのは、東の皇子空燕コンイェンであった。

 空燕は、美玉を支えていない方の手で朱塗りの瓢箪ひょうたんかかげると、中身を自らの口に含む。

 そして、そのまま唇を美玉の口に寄せた。


「ふふっ」

 

 空燕が吐息の形をとった笑いをこぼす。

 

 今にも触れ合おうかというその瞬間。

 空燕の肩を乱暴に掴む手があった。


「何をしようとしている? 空燕コンイェン


 無言のままに手の主を振り向いた空燕は、含んでいた酒をごくりと飲み干した。


「あぁ、宇航ユーハン義兄上あにうえ。恐ろしい顔をしてどうしました? 俺はえつ病の女官を介抱しようとしたまでのこと」


 口を拭い朗らかな笑顔を作る空燕を、宇航が金の瞳で睨みつける。


「おかしな酒を口移しして、何が介抱だ。第一、ただの女官にお前自ら介抱など、普段ならばしないだろう」


「ただの女官? 義兄上がご執心の司虫しちゅう女官の間違いでは?」


 その言葉に、空燕の肩をつかむ宇航の手の力がぐっと強くなる。

 手の甲にうっすらと鱗が浮かぶのを見て、空燕は笑みを濃くした。


「おや、いけませんよ。虫の女が気をやっているというのに、ここでかんを起こされては誰も止められません。恐ろしいので俺は退散するとしましょう」


 体をひるがえした空燕は美玉を宇航に押し付けると、軽い足取りで去って行く。

 その背中を睨んでいた宇航だったが、空燕が見えなくなるとすぐに腕の中の美玉に目をやった。

 

「大丈夫か? 美玉」


 くったりとした美玉の体を横抱きにすると、宇航は彼女の額にそっと口づける。

 汗で額にはりつく髪を整える指先は優しく、見つめる瞳は穏やかだ。

 手の甲に浮かびかけた鱗は消えていった。

 

 愛しげに美玉を抱え直して立ち上がると、彼は西の対へと彼女を運んで行った。

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