第3話 お喋り女官、かく語り(過ぎ)き
「
そんな不敬な発言の主は、
物怖じせずに喋り続ける明明と、口数の少ない美玉。不思議と馬の合う二人が気安く話す仲になるのに、長くはかからなかった。
軽やかに口を動かしながらも、
一方
二人は司虫局にて、儀式に使う
それまでは陛下の御前に
理由としては、陛下は水龍の司る
そのため、篭に入れた蜻蛉を渡した後は、衝立の後ろで蜻蛉に命令を下すというやり方になっている。
唇を尖らせて
しゅん、と音を鳴らして美玉の手元の竹がしなる。
本日何度目かの竹の反抗を受けた美玉は、とうとう集中を切らして篭を放りなげた。
「
虫篭編みのコツを早々に覚えていた明明が、呆れたというように言った。
歳は美玉より一つ上だが、低い背丈に上向きの小さな鼻、そばかすの散った顔は歳よりも幼く見える。その印象を最も強めているのは、きょろきょろとよく動く丸い目だ。好奇心旺盛な性格が顔によく表れていた。
「私、苦手なものはとことんダメな
「苦手なものねえ。
「遠慮のない人ね」
肩を回しながらぶっきらぼうに答えてみるが、その実、彼女の性格が気に入っていた。
異質な
――私の蜻蛉で病を癒やしたら、すごく褒めてくれた男の子が居たわ。一度会ったきりだし、今では夢だったように思うけれど。
そのようにして目の前の仕事から逃避していた美玉だが、バシン! と背中を平手で打たれて我にかえった。
「なにするのよ明明」
「あなたすぐどっかに気を飛ばすんだもの。私の話だって右から左だったでしょう。後宮のことについて教えて欲しいと言ったのは美玉、あなたの方よ」
「篭編みがあまりに苦痛で……」
「まあいいわ。皆が皆あなたみたいだったら、私もおしゃべりが過ぎて司虫局に左遷されるなんて不名誉は無かったでしょうね」
そう自嘲するも、全く懲りる様子のない明明は、「いいこと? もう一度話してあげるわ。私は物知りなのだから」と顎を上げて言う。
「それならば、じっくり聞かないといけないわ。あなたの言う通り、私は不器用みたいだから」
と言うと、これ幸いと篭編みの仕事を放り投げて
それを呆れた目で見た明明だが、結局は喋りたい欲が勝ったらしい。気持ちよさそうに語りを始めた。
「後宮は本来、皇帝の『運命の
「それっていつの話なの?」
「ずっと昔よ。今は蜻蛉憑きなど、子供の病になってしまったもの。ただ蜻蛉の儀式を司る
ふむ、と美玉は思う。
説教を別にすれば、蜻蛉憑き関連の話はあえて父から遠ざけられていたらしい。自分で思っていたよりも何も知らないと気づいたのは、
先を
「あなたは浮世離れしているところがあるから、運命の番の話の前に歴史についても教えてあげるわ。いいこと? ちゃんと聞くのよ」
器用に篭を編み続けながら、彼女はよく回る舌で話しだした。
奴隷として迫害を受けていたところを逃れてたどり着いた
五匹の龍たちが、互いに譲らない争いを続けていたからである。
木龍、火龍、土龍、金龍、水龍の五匹の龍は、勝ったものが
他に行くところのない
交渉には勇気ある一人の青年が名乗り出た。
己がここに国を作り皇帝を名乗ることを認めてくれるならば、己の身の内に住んでよい。皇帝の身の内にあれば、五龍のすべてがこの土地を治めたと同じ事、と。
木龍が
『我らを取り込んで抑えきれると思うか。我が司りし心は怒り。他の四龍も、それぞれに心を司る。一人の人間が耐えきれるものか』
青年は答えた。
「私たち迫害されし民は、
『それならば、貴様が国を作り治めること、認めて助けてやろう。よく栄えよ』
そうして、
しかし龍が入り込んだため、青年が宿していた蜻蛉たちは残らず逃げてしまったのだ。
五龍により心を乱され苦しむ青年。
そのとき、彼の許嫁であった娘が寄り添い、
娘は、『運命の番』と呼ばれるようになった。
そうして。青年は五龍との共存を叶え、春蕾国の始皇帝となった。
その後、五龍は皇帝の子のそれぞれに分かれて憑き、五行の順に帝位を
五行の順とは木、火、土、金、水の順を言う。
それぞれの行に対応する龍を宿した皇子が次に国を治めることになるのだという。
今の代で言えば、皇帝陛下は水龍を宿し、次に位を譲り受けるのは木龍を宿す皇子となる、という理屈だ。
「そのとき、皇子のそばには特別な蜻蛉を出す『運命の番』と呼ばれる乙女が寄り添うのだそうよ。それこそ陰陽の調和を体現する皇太子の条件とまで言われていたの。今では信じられないけれど」
「それってもう今では全く無理な話よね。後宮に乙女を集める理由は無くなったのではないかしら?」
「だって、一度作られたものは壊せないわよ。それに今そんな事を言ったらあらゆる
「華貴人と朱美人?」
美玉がぽかんとして訊ねると、明明は頭を抱えてみせた。
「……本当に蜻蛉のことしか得意じゃないみたいね。貴妃の位よ。上から貴人、美人、賢人、才人、梨人に……」
「いいわ、とても覚えられなさそう」
「それでも、
「位が高いから?」
「……貴人は木龍の皇子を産みになって今の位についたのよ。もう一人の木龍の皇子、東の対に住む
真剣な顔で囁かれて、つられた美玉も真顔で頷く。
明明は他に奴婢しかいない部屋を見回してから、声を低めて言う。
「皇位継承権のある木龍の皇子が二人生まれるなど異例よ。そのうえ宇航皇子の方が年長。それをおしても空燕皇子を皇位継承の第一候補にした手腕の持ち主ということ」
いかにも複雑な後宮の内情を知らされて、美玉は眉をしかめる。
宇航皇子が軽んじられているというのは知っていたが、その背景は想像以上にややこしそうだ。
「面倒だわ」
思っていたことが正直に口をついて出た。
「そんな事言ってられないのよ。ただでさえ、皇帝の
「そんな。仕事をしているだけなのに、言いがかりみたいな……」
美玉は文句を言いたくなったが、明明があまりに深刻な顔をするものだから途中で引っ込めるほかなかった。
――とんでもないことを沢山聞いた気がするわ。
それにしても、おしゃべりがすぎて左遷されたというのに、こんなに何でもかんでも話して良いのだろうか。次の篭にとりかかる明明を眺めながら、どっと疲れた気持ちでそんなことを考えた。
* * *
白檀の香る部屋の中。丸い格子窓によって切り取られた夏の陽が
繊細な浮き彫りがふんだんに施された丸い
黒真珠のような瞳に、優雅に結い上げられた緑がかった黒髪。すらりと長い手足に象牙色の肌。
一目で位が高いと分かるその貴妃の名は、
「今朝はどうであった?」
華貴人がぽそりと
貴人の言葉に、部屋の入り口近くに控えている
「は。陛下の気鬱は重いご様子。いつも通り虫の女が黄色の
「フン。直接
「はい、様式を変えさせてございます」
「西の皇子――
「
宦官の言葉に、貴人は少し考えるような間を置いた。
「……よろしい。最後に、虫の女の力は
ゆっくりと
「はい。化け物じみた力を持っております。
「分かった」
宦官の言葉を止めて、貴人は言った。
「続けて見張るように。よいな
「は、はい!
「……さて、虫の女の働きで陛下はまだ持ちこたえておいでだ。西の皇子……
ゆったりと振り向きながら
衝立の裏から出てきたのは、部屋にそそぐ夏の日差しよりも明るい印象の
丸みのある垂れ目は生き生きとした光をたたえた空色、漆黒の髪はやわらかくうねり、少し赤みがかった肌。背は特別高くはないが、均整の取れた体格に堂々たる足取りで実際よりも高い印象を受ける。
手に下げた朱塗りの
「息子を指して東の皇子とは、他人行儀ですね」
愉快そうに言うと、
「俺は龍を……木龍を抑えている。そうでしょう? 焦ることなどありませんよ。次期皇帝は木龍を
そう言って空燕は口元を袖で隠すと、瓢箪に口をつけ一気に
酒の匂いが広がり、華貴人は顔をしかめて鼻を袖で押さえた。
「番の件がある。虫の女がどうにも
「運命の番ってやつですか。あの娘がそんな大したものでしょうか?」
皇子の言葉に、華貴人は無言をもって
「……まあ母上の
口の端をぬぐいながら、
そのまま退出しようとする彼の背中に、貴人の声がかけられる。
「
「おお、母として俺を気遣って下さるとはお優しい。と言いたいところですが、ついでの言付けでもあるのでしょうね」
「子供は黙って遣いをしておれば良い。母の言いつけを守れば、必ず幸運に見舞われよう」
「守らねば、真っ逆さまですからね。俺も、あなたも。ああなるほど、それで焦っているのか」
そう言葉を返されて、華貴人はふいと窓の方へと視線をやってしまった。
「やれやれ」
おどけたように肩をすくめると、
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