第3話 お喋り女官、かく語り(過ぎ)き

春蕾しゅんらい国の始皇帝陛下は五匹の龍を宿されていたと聞くけれど、まるで夢物語ね。今となっては毎日の朝夕の蜻蛉とんぼの儀式が欠かせないのだから」


 そんな不敬な発言の主は、一月ひとつき前に新たに司虫しちゅうの女官となった明明メイメイだ。

 司虫しちゅう女官としては美玉が先輩だが、女官としては明明がずっと先輩である。

 物怖じせずに喋り続ける明明と、口数の少ない美玉。不思議と馬の合う二人が気安く話す仲になるのに、長くはかからなかった。

 

 軽やかに口を動かしながらも、明明メイメイの手は休まず動き、竹を編んでいる。

 一方美玉メイユーはというと、しなる竹に苦戦してもたもたと不格好な編み目を作っている。

 二人は司虫局にて、儀式に使う蜻蛉とんぼを収めるための虫篭むしかごを編んでいるのだった。


 それまでは陛下の御前にはべって術を使っていたが、明明という人手が増した途端に儀式のやり方に注文がついたのだ。

 理由としては、陛下は水龍の司るきょうに憑かれているため、虫の女の術を目の前にすることを恐れておいでだ。ということだった。

 そのため、篭に入れた蜻蛉を渡した後は、衝立の後ろで蜻蛉に命令を下すというやり方になっている。


 唇を尖らせてかご編みに集中している美玉メイユーは、明明メイメイの言葉に返事をする余裕がない。

 しゅん、と音を鳴らして美玉の手元の竹がしなる。

 本日何度目かの竹の反抗を受けた美玉は、とうとう集中を切らして篭を放りなげた。


美玉メイユー、あなた不器用すぎない?」


 虫篭編みのコツを早々に覚えていた明明が、呆れたというように言った。

 歳は美玉より一つ上だが、低い背丈に上向きの小さな鼻、そばかすの散った顔は歳よりも幼く見える。その印象を最も強めているのは、きょろきょろとよく動く丸い目だ。好奇心旺盛な性格が顔によく表れていた。


「私、苦手なものはとことんダメな性質たちなの」


「苦手なものねえ。一月ひとつきあなたを見てきたけれど、蜻蛉以外に得意なものってあったかしら?」


「遠慮のない人ね」


 肩を回しながらぶっきらぼうに答えてみるが、その実、彼女の性格が気に入っていた。

 異質な蜻蛉とんぼ憑きである美玉に対して、恐れることもいとうこともなく、ずけずけと思ったことを言ってくれる。対等に会話を出来る相手というものは、今まで居なかったように思う。

 宇航ユーハン皇子はなぜか美玉メイユーをからかいに来るけれど、対等というわけではないし。と考えたところで一人の少年を思い出す。


 ――私の蜻蛉で病を癒やしたら、すごく褒めてくれた男の子が居たわ。一度会ったきりだし、今では夢だったように思うけれど。


 そのようにして目の前の仕事から逃避していた美玉だが、バシン! と背中を平手で打たれて我にかえった。


「なにするのよ明明」


「あなたすぐどっかに気を飛ばすんだもの。私の話だって右から左だったでしょう。後宮のことについて教えて欲しいと言ったのは美玉、あなたの方よ」


「篭編みがあまりに苦痛で……」

 

「まあいいわ。皆が皆あなたみたいだったら、私もおしゃべりが過ぎて司虫局に左遷されるなんて不名誉は無かったでしょうね」


 そう自嘲するも、全く懲りる様子のない明明は、「いいこと? もう一度話してあげるわ。私は物知りなのだから」と顎を上げて言う。


「それならば、じっくり聞かないといけないわ。あなたの言う通り、私は不器用みたいだから」

 

 と言うと、これ幸いと篭編みの仕事を放り投げて傾聴けいちょうの姿勢に入った美玉だ。

 それを呆れた目で見た明明だが、結局は喋りたい欲が勝ったらしい。気持ちよさそうに語りを始めた。


「後宮は本来、皇帝の『運命のつがい』と呼ばれる娘を探す場だったの。つがいは特別な蜻蛉を出せるとされていて、蜻蛉憑きの娘たちを後宮に集めていたのよ」


「それっていつの話なの?」


「ずっと昔よ。今は蜻蛉憑きなど、子供の病になってしまったもの。ただ蜻蛉の儀式を司る司虫局しちゅうきょくが後宮に置かれているのは、その時代の名残かもしれないわね。ここまでは常識よ」

 

 ふむ、と美玉は思う。

 説教を別にすれば、蜻蛉憑き関連の話はあえて父から遠ざけられていたらしい。自分で思っていたよりも何も知らないと気づいたのは、明明メイメイに出会ってからだ。

 先をうながすように彼女を見つめると、明明は小さな鼻をひくひくとさせた。


「あなたは浮世離れしているところがあるから、運命の番の話の前に歴史についても教えてあげるわ。いいこと? ちゃんと聞くのよ」


 器用に篭を編み続けながら、彼女はよく回る舌で話しだした。



 春蕾しゅんらい国の民の祖は、西方からやって来た。

 奴隷として迫害を受けていたところを逃れてたどり着いた肥沃ひよくな土地。しかしそこは人の住めぬ土地であった。

 五匹の龍たちが、互いに譲らない争いを続けていたからである。

 木龍、火龍、土龍、金龍、水龍の五匹の龍は、勝ったものが肥沃ひよくな平野を、負けたものは東西南北の山河のそれぞれを治めようと決めていたのだ。


 他に行くところのない春蕾しゅんらい国の祖はこの平野に住まえないかと考え、交渉に出ることにした。

 交渉には勇気ある一人の青年が名乗り出た。

 己がここに国を作り皇帝を名乗ることを認めてくれるならば、己の身の内に住んでよい。皇帝の身の内にあれば、五龍のすべてがこの土地を治めたと同じ事、と。

 

 木龍がたずねる。

 

『我らを取り込んで抑えきれると思うか。我が司りし心は怒り。他の四龍も、それぞれに心を司る。一人の人間が耐えきれるものか』

 

 青年は答えた。


「私たち迫害されし民は、蜻蛉とんぼの民とも呼ばれています。心を蜻蛉として放ち、逃がすことが出来ます。身の内の混乱にもきっと耐えて見せましょう」

 

『それならば、貴様が国を作り治めること、認めて助けてやろう。よく栄えよ』

 

 そうして、春蕾しゅんらい国皇帝の祖となる青年は、その身のうちに五龍をとりこんだ。

 しかし龍が入り込んだため、青年が宿していた蜻蛉たちは残らず逃げてしまったのだ。

 

 五龍により心を乱され苦しむ青年。

 そのとき、彼の許嫁であった娘が寄り添い、を捧げた。


 娘は、『運命の番』と呼ばれるようになった。


 そうして。青年は五龍との共存を叶え、春蕾国の始皇帝となった。

 

 その後、五龍は皇帝の子のそれぞれに分かれて憑き、五行の順に帝位を禅譲ぜんじょうすることにより公平に春蕾国を治めることになった。

 五行の順とは木、火、土、金、水の順を言う。

 それぞれの行に対応する龍を宿した皇子が次に国を治めることになるのだという。

 今の代で言えば、皇帝陛下は水龍を宿し、次に位を譲り受けるのは木龍を宿す皇子となる、という理屈だ。



 

「そのとき、皇子のそばには特別な蜻蛉を出す『運命の番』と呼ばれる乙女が寄り添うのだそうよ。それこそ陰陽の調和を体現する皇太子の条件とまで言われていたの」


 明明ミンミンは語り終えると同時に、かごを編み上げていた。まったく見事な技である。

 

「それってもう今では全く無理な話よね。後宮に乙女を集める理由は無くなったのではないかしら?」


 美玉メイユーの疑問に、明明はわざとらしく周りを見回してから声を潜めて言う。


「だって、一度作られたものは壊せないわよ。それに今そんな事を言ったらあらゆる貴妃きひから目を付けられるわよ。特に後宮で一番力を持つホア貴人と、私の仕えていたチュウ美人。この二人の耳になんか入ったら、大変なんだから」


「華貴人と朱美人?」


 美玉がぽかんとして訊ねると、明明は頭を抱えてみせた。

 

「……本当に蜻蛉のことしか得意じゃないみたいね。貴妃の位よ。上から貴人、美人、賢人、才人、梨人に……」


「いいわ、とても覚えられなさそう」


「それでも、ホア貴人とチュウ美人くらいは絶対に覚えておかなくては駄目よ。ま、より嫉妬深いのは朱美人かしら。陛下のちょうあついそうよ。……でも底知れぬ恐ろしさがあるのは華貴人ね」


「位が高いから?」


「……貴人は木龍の皇子を産みになって今の位についたのよ。もう一人の木龍の皇子、東の対に住む空燕皇子よ。いい? 現皇帝は水龍。次は木龍を宿す男子が帝位を継ぐ決まりなのは説明したわね」


 真剣な顔で囁かれて、つられた美玉も真顔で頷く。

 明明は他に奴婢しかいない部屋を見回してから、声を低めて言う。


「皇位継承権のある木龍の皇子が二人生まれるなど異例よ。そのうえ宇航皇子の方が年長。それをおしても空燕皇子を皇位継承の第一候補にした手腕の持ち主ということ」


 いかにも複雑な後宮の内情を知らされて、美玉は眉をしかめる。

 宇航皇子が軽んじられているというのは知っていたが、その背景は想像以上にややこしそうだ。


「面倒だわ」


 思っていたことが正直に口をついて出た。


「そんな事言ってられないのよ。ただでさえ、皇帝の気鬱きうつを治めるためにはべるあなたは敵視されやすいのだし、宇航皇子にも治療でよく接しているでしょう?」


「そんな。仕事をしているだけなのに、言いがかりみたいな……」


 美玉は文句を言いたくなったが、明明があまりに深刻な顔をするものだから途中で引っ込めるほかなかった。


 ――とんでもないことを沢山聞いた気がするわ。


 それにしても、おしゃべりがすぎて左遷されたというのに、こんなに何でもかんでも話して良いのだろうか。次の篭にとりかかる明明を眺めながら、どっと疲れた気持ちでそんなことを考えた。


 

 * * *


 

 白檀の香る部屋の中。丸い格子窓によって切り取られた夏の陽が杲杲こうこうと差し込んでいた。

 繊細な浮き彫りがふんだんに施された丸いたくにつき、侍女におうぎで風を送らせてくつろぐ美女がいる。

 黒真珠のような瞳に、優雅に結い上げられた緑がかった黒髪。すらりと長い手足に象牙色の肌。

 一目で位が高いと分かるその貴妃の名は、華 林杏ホア リンシン――ホア貴人である。彼女は皇太子の位に一番近い皇子を生んだとして貴人の位についている。


「今朝はどうであった?」


 華貴人がぽそりとこぼした。独り言のような声量であるが、低く響く艶のある声である。 声を掛けながらも、その相手には一瞥もくれない。視線は格子窓の向こうに重なる濃緑の葉に向けられていた。

 貴人の言葉に、部屋の入り口近くに控えている宦官かんがんかしこまった。

 

「は。陛下の気鬱は重いご様子。いつも通り虫の女が黄色の蜻蛉とんぼを五十匹、虫篭むしかごにて運び治療を」


「フン。直接はべってはおらぬのだな?」


「はい、様式を変えさせてございます」


「西の皇子――宇航ユーハンの様子はどうだ?」


かんの発作は予定通りひどくなってきておりますが、虫の女の治療にて持ちこたえている様子でございます」


 宦官の言葉に、貴人は少し考えるような間を置いた。


「……よろしい。最後に、虫の女の力はまことか?」


 ゆっくりとこうべを回し、宦官を見据みすえながら問う。


「はい。化け物じみた力を持っております。いやしい先祖返りの……」


「分かった」


 宦官の言葉を止めて、貴人は言った。


「続けて見張るように。よいな暁明シァミン


「は、はい! かしこまりましてございます」

 

 暁明シァミンと呼ばれた宦官は、華貴人から名を呼ばれたことに感激した様子で深く礼を返し、退室していった。

 

「……さて、虫の女の働きで陛下はまだ持ちこたえておいでだ。西の皇子……宇航ユーハンもまだ龍に飲まれないと。東の皇子としては、どう見る? 空燕コンイェン


 ゆったりと振り向きながら衝立ついたてのむこうに声を掛ける。

 衝立の裏から出てきたのは、部屋にそそぐ夏の日差しよりも明るい印象の溌剌はつらつとした美青年だ。

 丸みのある垂れ目は生き生きとした光をたたえた空色、漆黒の髪はやわらかくうねり、少し赤みがかった肌。背は特別高くはないが、均整の取れた体格に堂々たる足取りで実際よりも高い印象を受ける。


 手に下げた朱塗りの瓢箪ひょうたんだけが、どことなく彼から浮いている。


「息子を指して東の皇子とは、他人行儀ですね」


 愉快そうに言うと、空燕コンイェンは断りなく華貴人の正面の椅子にどかりと腰かけた。


「俺は龍を……木龍を抑えている。そうでしょう? 焦ることなどありませんよ。水龍を宿す陛下の後は木龍を宿す皇子が継ぐと決まっている。木龍を御しきれぬ宇航ユーハンなど、なぜ気にするのですか」


 そう言って空燕は口元を袖で隠すと、瓢箪に口をつけ一気にあおる。

 酒の匂いが広がり、華貴人は顔をしかめて鼻を袖で押さえた。


「番の件がある。虫の女がどうにも気懸きがかりだ。あれを宇航に近づけぬようにせよ。奪うなり、処分するなり」


ってやつですか。あの娘がそんな大したものでしょうか?」

 

 皇子の言葉に、華貴人は無言をもって肯定こうていした。


「……まあ母上のうれいの種であれば、俺がどうとでもしますよ」


 口の端をぬぐいながら、空燕コンイェンがニィと笑う。

 そのまま退出しようとする彼の背中に、貴人の声がかけられる。


尚薬局しょうやくきょくに言って、また薬を持たせよう。もうそろそろ、薄まってきたであろ?」


「おお、母として俺を気遣って下さるとはお優しい。と言いたいところですが、ついでの言付けでもあるのでしょうね」


「子供は黙って遣いをしておれば良い。母の言いつけを守れば、必ず幸運に見舞われよう」


「守らねば、真っ逆さまですからね。俺も、あなたも」


 そう言葉を返されて、華貴人はふいと窓の方へと視線をやってしまった。


「やれやれ」


 おどけたように肩をすくめると、空燕コンイェンは今度こそ部屋から退出していった。 

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蜻蛉憑きの娘と龍を宿す皇子~桃琥珀の蜻蛉飛ぶとき、運命の番は現れる~ 髙 文緒 @tkfmio_ikura

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