和菓子屋シノハラ編 第四話 ヘラクラ
迷宮は不思議な場所だ。何十人と人がおしよせても、基本的に彼らが迷宮で出会うことは無い。しかし、迷宮に現れるモンスターはみな共通だ。
私も、かなり昔に迷宮の奥で生まれてからこれまで何度となく人間と戦ってきたが、見たことないやつが私の対策をしっかり練って、襲いかかってくるのには苦戦した。
それに、生まれて数年はこんなにハッキリとした意識も無かったし、考え事をすることも無かった。ある時ふわっとした意識が生まれ始めて、気づけばこの迷宮のボスとかヌシと言われていることを知った。
まぁ、それほど長く生きているからこその悩みも多いが、最近は一つ楽しみがある。
それは、ある一人の酔狂な冒険者との交流だ。
死んだ冒険者の死体と装備のほとんどは、迷宮が分解し、取り込んで、モンスターや宝物に変えてしまう。しかし、たまにそのまま残される、人間のドロップアイテムもある。
その中の一つで、私の宝物の、一冊の本。絵柄付きのその本を、何とかして解読し、読もうとしていると、背後から迫ってきたあの男は、
「そこ、間違えてんぞ。ランゴじゃなくて、リンゴだ」
と、声をかけてきた。
その男の名はクロウ。モンスターである私に声をかけ、言葉と文字を教えた酔狂なやつ。
クロウは、私の住む迷宮の最奥から二つ上の階層までを、一人であっさりと超えてくる。声をかけられた時、びっくりしすぎて襲いかかった私の一撃も受け止め、そのまま投げ飛ばされた時は、悪い夢でも見てるのかと思った。
だが、あいつは悪いやつじゃなかった。色んな本を持ってきては言葉を教えてくれて、今では普通に会話できるようになった。
そんなやつの面白いところは、いくつかあるが、その中で興味深かったのはあいつが来た時は必ずといっていいほど私が引っ張り出されること。それと、迷宮に求めることがなかった事だ。
迷宮のモンスターを倒し、その素材を持ち帰るだけでも十分な稼ぎになる。だが、普通ならそれだけじゃ足りないと金銀財宝や、力を求めるのが冒険者というものだ。なのに、あいつはそんなものを求めやしなかった。
だから、私は彼に色んなことを学び、一緒に話をしていたのだが、ある日少し事情が変わった。
彼が来たことは、直感でわかった。しかし、私の部屋に、謎の宝箱が現れた。
開けてみると、そこにあったのは瓶に入った、硬いスライムのようなもの。
何度見てもよくわからないそれを宝箱にしまい、彼を待つことにして、眠った私が目を覚ました時、クロウは確かに来ていた。だが、もう一人人間がいた。
「お、起きたかヘラクラ。突然だが、こいつはシノハラ。今度俺と菓子屋をやるんだ」
シノハラ。菓子屋……
「菓子というのは、お前がまれに持ってくるあの、甘くて美味しいやつか?」
「そうだ。こいつはそれを作る職人でな。だが、材料が市場に出回ってないもんで、迷宮に取りに来た。お前のとこにもないか?」
ちらりと後ろの宝箱を見る。なるほど、あれは菓子の材料か。
宝箱を開けて、中身の瓶をシノハラとやらに渡す。
「それでいいのか?」
「えぇ、ありがとうございます」
シノハラはにこっと笑い、頭を下げてきた。ふむ、悪いやつでは無さそうだ。
「えと、ヘラクラ……さん?」
「ヘラクラでいい。どうした」
「クロウから、甘いものがお好きだと聞いたので、良ければこれも食べてみてください」
シノハラは、瓶を開けると懐から取り出した二本の棒で瓶の中身をつまみ出し、器用に伸ばしては絡めてを繰り返し始めた。
「これは、水飴っていうお菓子なんです。甘くて、にょーんって伸びるのが面白いんですよ」
水飴。どんな味なのだろうか。
「はい、どうぞ」
差し出された水飴は、匂いこそしないが、とても魅力的に見えた。前脚で棒を固定し、一口舐めてみる。
「……! 美味しい。甘くて、これはいいな」
しばらく二人の前で食べていると、クロウがふと言った。
「お前が人間なら、一緒に店の手伝いをしてくれって頼んだんだが……ま、これからも迷宮での暇つぶしに付き合ってくれ」
と、言われた。私が、人間なら……ふむ。
それから三人で語り合い、二人が帰ってから、私は移動を始めた。この迷宮で望みを叶える条件は、入口から入り、最奥に辿り着くこと。本来ならありえない奇跡のような望みは、奥まで辿り着け無ければ、叶えられない。
不老不死や蘇り、あらゆるものを即死させる能力など。そして、モンスターが人間に変わる、そんな奇跡さえも、叶えられる。
私は、始めて迷宮の外に出た。青く、眩しい空。遠くから聞こえる、人間の喧騒。
待ってろ、クロウとシノハラ。そして、水飴を含む、美味しいお菓子たち! 私は、きっとこの望みを叶えてみせる!
海海刻鈴音の子供たち(短編集) 鈴音 @mesolem
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