ダンゴムシとケチャップがもたらす化学反応

赤獅子

第1話

 階段を下りるとケンジは冷たいコンクリートの壁に手をやりスイッチを探した。手に凹凸を感じそれをパチンと切り替えると暗い部屋が一気に明るくなる。ケンジは明るくなった部屋に閉じていた目を少しずつ開いていった。そこにはい実験器具が乱雑に置かれていて、さらにいくつもの正方形の透けた容器がありその中には土や落ち葉で満たされていた。

「さぁ出てきてくれ」

 そう言ってトントントンと容器を叩くと土の中から数匹のダンゴムシが顔を現した。そんなダンゴムシを取り出してシャーレへと移した。ダンゴムシは丸まって動かない。ケンジはそんな様子を観察しながら母親の作ったサンドイッチを手に取る。中には卵とハムとレタスが入っていた。そこへ一緒に持ってきた残り少ないケチャップをかけて口の中に放り込んだ。全ての食材が絶妙にマッチしていて絶品だった。

「おい、それをわしにもよこさんかい」

 突然そんな声がした。驚いて辺りを見回したが誰もいない。念のためテーブルの下も覗いたがやはり誰もいない。

「どこを見ている。ここだ、ここ」

 ケンジが小首をかしげているとシャーレの方からそんな言葉が聞こえてきた。

「わしだ。ダンゴだ」

「え?……ダンゴムシが喋っている。……私は実験のやり過ぎでとうとう幻覚を見るようなってしまったのか。ああ、たまには健康のために外に出ろという母の忠告を無視するんじゃなかった」

「あほくさ。これは幻覚じゃない。わしが進化したんじゃ」

「は?しんか?」

 それこそケンジはあほくさいと思った。ダンゴムシがいくら進化しようが話せるようになるわけが無い。そう思って再びシャーレの中を覗く。見た目は何の変哲も無いダンゴムシ。羽もなければ角もない。

「なぁ、早いとこその最高にヤバいケチャップをくれよ。その味がたまらないんだ」

「ケチャップ?」

「ああ、お前さん一昨日にもそのサンドイッチを食べてたじゃろ。その光景を見て随分汚らしく食べるもんだとわしは思っとたのじゃ。そしたら、そのケチャップがわしらの巣の方に飛んできたのじゃよ。人間めもっと綺麗に食べないと作った人に申し訳が立たないだろと言いながら、勿体ないからそのケチャップを舐めてみたんじゃ。そしたら急に頭の中がピキーンってなって、なんか色々とわかるようになったんじゃ」

「ケチャップが……?」

 私は半信半疑にダンゴムシとケチャップの入った容器を交互に見た。

「はよ、そのケチャップをくれ!」

 訴えかけるようなその目にため息をつきながらもどうなるのかという好奇心には勝てずケチャップをシャーレの上に垂らした。

「これだ!」

 ダンゴムシはケチャップに顔をすり寄せて勢いよく舐めていた。その間にケンジはケチャップを調べはじめた。これは市販のものではない。料理好きのケンジの母親が作り中身を入れ替えたものだ。ケンジはケチャップを少量とり顕微鏡で観察した。

「なんだこれ?」

 そこには顕微鏡でもわずかにしか観察できない緑色のキラキラした物質があった。

「お前さんにも見えたか?それが特にうまいんじゃ」

「え?これなんなの?」

「……わからん」

「わからんて」

「だが、偉大なものに違いない」

 自信満々に言うダンゴムシ。

「それは同感だダンゴムシ」

「わしの名前はダンゴじゃ。さっきもそう言っただろう」

「わかったよダンゴ」

「それでいい。しかしお前さん。この部屋の惨状を見てみろ」

 そう言われてケンジは部屋を改めて見る。

「ろくに片付けられていない実験器具。埃は溜まり放題。挙げ句の果てに天井には蜘蛛がいて、いつわしたちのことを襲うか震えて夜も眠れなかった」

「……確かに。地下室だから換気が悪いんだよね。すまなかった」

「わしたちにも当然虫権はあるからの。いくら、実験される身として生まれてきたからといってもその権利を侵害されるわけにはいかない」

「……さいですか」

 そこからダンゴの言葉は止まらなかった。

「お前たちのような自分のやりたいことを優先させる奴はいつもそうだ。後先のことを考えずやりたいことだけをやり、後片付けは人に任せて。最後にここを掃除したのもお前さんの母親だった。少しはそういった者を労うのだぞ」

「……はい」

「ついでにな、ダンゴムシという陰の立て役者を忘れてはいかんぞ。わしたちが有機物を分解することでな……」

「長いよ!」

 説教モードに入ったダンゴの話が聞いていられなくなりケンジはつい声を出した。

「ダンゴの話は正しいけど私のずぼらのお陰で今のダンゴがあるんじゃないか」

 ダンゴは考え込む。

「確かにその通りじゃ。すまなかった」

「いや。わかってくれればそれでいいんだ。私もこの地下ラボを自分で掃除して快適な生活を保障するから、ダンゴも私の研究に協力してくれ」

「うむ。いいだろう」

「それでダンゴはケチャップを摂取してどうだった。その、何かダンゴムシが喋れるようになってできることとかはないの?」

「基本的にはただこうして喋れるようになっただけじゃ。しかし、生態についてを問診できるようになるじゃろ。何が楽しいとか、何が嫌いとか、本当はどこに住んでいたいとか、虫の気持ちがわかればより効果的な繁殖方法を解明できるじゃろ」

「なるほど」

「後はケチャップの効果がダンゴムシに効くなら、他の虫にも効くのではないかの。そうしたら一気に昆虫学が進歩して人類にとって有益な効果をもたらしてくれるかもしれん」

「確かに!それは凄い!」

「そしてその第一人者はお前じゃ」

 ケンジはそれを聞いて笑みがこぼれる。

「そうなるのかなぁ」

 そんなケンジに背を向けてダンゴは一人ほくそ笑む。このケチャップさえあれば昆虫革命が起こり人類を掌握できる日もいつか来る。その日まではこのケンジという虫よりも欲求がだだ漏れの人間をコントロールすれば良い。

 そうして一人と一匹が笑っている上の階ではキッチンでケチャップを使っている母親の姿があった。母親は長期間冷蔵庫の中で眠っていた最後のケチャップを使い切ろうとナポリタンに入れ鼻歌交じりにフライパンを揺すった。

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ダンゴムシとケチャップがもたらす化学反応 赤獅子 @akazishihakuto

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