五章 依頼者・三綿博美
5-1
ネットで買ったツリーが届き、他の細々とした小物も置いて、喫茶「くらく」はクリスマスモードになった。外の扉には俺が選んだリースをかけている。鈴がついており、出入りの度にシャランと鳴る。
十一月も下旬になり、すっかり冷え込んだ頃、俺はバックヤードで休憩中にヘビ娘のアプリを開いたのだが、「緊急メンテナンスのお知らせ」という文言が目に飛び込んできた。ログインできない不具合が起きたらしい。終了時刻は不明。
――嘘だろ。せっかくキングコブラのクリスマス衣装ゲットしたのに。
キングコブラはヘビ娘の看板キャラ。自信家で努力家。他のヘビ娘を引っ張るお姉さん的な立ち位置だ。リリース以来、数々のヘビ娘を育ててきたが、彼女が一番のお気に入りである。
ヘビ娘ができないとなると暇だ。俺はダウンジャケットを羽織り、駅前を散策することにした。どこもかしこも飾り付けられ、華やかな雰囲気。街路樹には電飾が巻かれており、夜になると光るようになっている。俺はベンチに腰かけて、ぼんやりと空を眺めた。
湊市に引っ越してきてからもうすぐで八か月。色んなことがあった。
異界。探偵。神。
特に海の神の時は危なかった。俺はあの時、もう自分は死んだものと諦めた。
――でも、約束したもんな。カズくんの骨は俺が拾うって。
兄は酔っぱらっていたし、覚えていないかもしれないが、俺は一方的にその約束を守ることに決めていた。兄といつまで「くらく」ができるかわからないが、最後の時は必ず俺が側にいる。
スマホで時間を見た。あと十分。もうそろそろ店に戻っておいた方がいいだろう。裏口からバックヤードに入り、ダウンジャケットを脱いでソファに置いた。
遼と交代。店内は満席だった。カウンターとテーブル合わせて十席あるのだが、その全てが埋まっている状態だということだ。兄はせわしなく洗い物をしていた。
「カズくん、代わるよ」
「じゃあよろしく」
遼が休憩に入ったので、フードを作れるのは兄一人だ。注文があった時のために兄の手は空いていた方がいい。グラスを掴み、スポンジでこすろうとした時だった。
「あっ」
グラスはぬるりとすべり、シンクに落ちて割れてしまった。俺は慌ててガラス片を拾おうとしたのだがそれがまずかった。指先をぱっくりと切ってしまったのだ。
「ナオくん! 大丈夫?」
「ごめん、やっちゃった……」
兄が俺の手を掴んだ。
「ケガしてるじゃない! バックヤードに救急箱あるから行っておいで、片付けは僕がやる」
「ごめん、カズくん……」
情けない。俺はしょぼくれながら絆創膏を指に巻いた。遼は鴉の姿でくつろいでいた。
「はぁ……俺、カズくんの手助けがしたいのに、また足引っ張った」
遼が俺の肩に乗ってきて、じいっとケガをした指先を見つめてきた。
「なんだよもう。どうせ俺は不器用ですよ」
店に戻ると、兄はグラスを片付け終わり、会計をしているところだったが、列ができていた。どういうわけか、来る時間はバラバラでも、帰る時間が重なる、ということがたまに起こる。とはいえ、レジは一つしかないし、会計は兄に任せて俺は客席の片付けを始めた。
――視線を感じる。
カウンター席の一番奥。そこに座っているスーツ姿の男性が、俺を気にしている。ホットコーヒーを出しているはずなのだが、追加でフードの注文か。俺が男性の方に顔を向けると、スマホに目を移されてしまった。年のころは俺たちの父と同じ六十手前くらいか。身なりが整っていて上品そうだが、どうも動きが気にかかる。
遼の休憩時間が終わり、今度は兄と交代。あれからちらほらと新しいお客がやってきて、やることも次から次へとわいてきた。ヘマをした分、洗い物には慎重になったし、店内全体のことを気にする余裕ができたのは、夕方五時半頃になってからだった。
――あのオッサン、まだいるな。
俺に視線を向けていたスーツ姿の男性である。あれからもう一杯ホットコーヒーを注文、遼が出していた。うちは勉強や仕事で居座るような雰囲気のところではなく、飲み食い喫煙をこなして帰るお客が大多数だ。こんなに長居するのは珍しい。
――あれか。霊視の客か。
今のところ、兄から霊視の予約が入ったとは聞いていなかったのだが、兄が伝え忘れているのか、飛び込みの客か、といったところだろう。
とうとう、お客はそのスーツの男性一人だけになった。時刻もそろそろ六時。閉店だと声をかけねばならないが、なんとなくためらわれる、そう感じていた時だった。
「……九楽直美くんだね」
「は、はい」
スーツの男性に声をかけられた。兄ではなく、俺?
「長髪の方が和美くんだね。もう一人はバイトの子?」
「まあ……そうです。何のご用件でしょうか」
「私は
三綿家。
その真相が、ようやく明かされようとしている。
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