4-5
店を出て、俺と兄がまず向かったのはレンタカー屋だった。俺も兄も、車は持っていないが運転はできるのだ。今回は兄がハンドルを握った。着いたのは釣具屋。そこで釣り人の装備を一式買い揃えた。
「釣り人のフリをして行くってわけだね」
「そう。釣りくらいしか秋内海岸によそ者が来ることはないからね」
大きなクーラーボックスも買った。これが今回の肝心な道具である。
翌朝、装備を整えてマンションを出ると、一羽の鴉が俺たちを待っていた。遼だ。兄がクーラーボックスのフタを開け、遼がその中に入った。
「カズくん、俺が持つよ」
「丁寧にね? ぶつけちゃダメだよ? 時々はフタ開けて空気入れてあげてね?」
「大丈夫だって」
湊中央駅からさらに大きな駅へ。特急に乗り換え、北に。さらに乗り換える駅のホームで立ち食いそばを食べた。
「カズくん……遼ってエサっていうかご飯あげなくて大丈夫?」
「鴉の姿なら平気って七宮さんに聞いてる。ナオくんったら、遼くんのこと気にかけてあげられるようになったんだね」
「まあ……借りがあるし」
ローカル線は人もまばら。俺はペットボトルをクーラーボックスのフタに挟んで空気が入るようにしてやっていた。遼は静かだ。寝ているのだろうか。
「あのさ……カズくん」
「なぁに?」
「二葉のこと。責任って言ったじゃん。だったら僕にも責任がある」
「えっ? ないよ?」
「二葉は俺がカズくんの恋人だって勘違いしてあんなことしたわけでしょ」
俺と兄は、世間の他の兄弟よりも距離が近いという自覚はある。互いにけっこうなブラコンだ。それはきっと、母が亡くなり、父が仕事で家を空けることが多く、俺が兄に過度に甘えていたからだとは思う。
兄が大学を卒業し、やりたいことの準備をするから、と遠方に引っ越すことになった時。俺は泣きついたのだ。あんなことがあったんだ、一緒に暮らしたい、と。それで兄は喫茶「くらく」を用意した。
「俺とカズくんは確かに恋人と間違われても仕方ない仲だ。だからさ、俺があの日泊まりに行ったりなんてしなきゃ……」
「ナオくんは悪くない。これは、僕と友樹くんの問題」
「でも」
「今回の件はさ。僕の自己満足でもあるんだよ。一条さんと同じ。自分のためにしてるの」
――なんでだよ。話せば話すほど、カズくんのことがわからなくなる。
胸が詰まり、もう何も言えなくなってしまった。兄は嘘も隠し事も上手い。俺に話す言葉が本音なのかどうか、全く読めない。兄弟なのに。兄弟なのに。
「さっ……ナオくん、次で降りるよ」
俺はクーラーボックスにはさんでいたペットボトルを外してリュックサックに入れた。今の俺たちは、どこからどう見ても釣りの客。釣り竿を入れたケースを持っているのだから。加えて、夜に備えて上着もリュックサックの中にパンパンに詰め込んである。
その駅で降りたのは俺たちだけだった。時刻は昼の二時過ぎ。日が照っていた。大荷物を抱えて歩くと汗ばんだ。兄は時折立ち止まり、風景を確かめてからまた歩く、ということを繰り返した。
坂道をどんどん下っていく。民家も店もなく、辺りはとても静かだ。アスファルトで舗装された道はずっと続いているが、車が一台も通ることがない。
そして、海が見えてきた。
「カズくん、これが秋内海岸?」
「そうみたい。今日の海は……穏やかだね」
兄は階段の方に進んだ。コンクリートがところどころ欠けていて、かなり老朽化した階段。しかも急。錆びついた手すりには抵抗感があったが、足を踏み外す方が危ないので握っておりた。
階段が終わり、砂浜までもう数歩、という時に、クーラーボックスの中の遼がくわぁ、くわぁと鳴き声をあげた。
「カズくん、遼が」
「ん……一旦止まろう」
クーラーボックスをおろしてフタを開けると、遼がバサバサと羽根を広げて飛び出してきた。
「遼くん、ここから神域だね?」
くわっ、くわっ、と鳴き続ける遼。そういうことらしい。
「ナオくん、クーラーボックスはここに置いていこう。遼くん、この上で待ってて。一週間経ったら……よろしくね」
神域。そう言われても、俺は何も感じなかった。寄せては返す波の音。ゆらゆらと心地よくなる。ふわりとした潮の香りは、懐かしささえ感じる。本当にここはおそろしい場所だというのだろうか。
「さっ! 行くよナオくん。といっても、ここからノープランなんだ! 房子さんの記憶で見えたのはここまで!」
「ええ……」
「ただ、七宮家の血族が二人も入り込んだからには神も黙っちゃいないと思う。何らかの干渉をしてくるはずだよ」
俺たちは波打ち際まで行ってみた。ハッキリ言って汚い海水だ。リゾート地のような透明さはない。とても入ってみる気にはならなかったし、その準備まではしていない。
「カズくん、どうする?」
「どうしようかなぁ……」
りぃん。
高い鈴のような音がした。
りぃん。りぃん。りぃん。
それはどんどん近付いてくる。
「カズくんっ!」
俺は急いで兄に抱きついた。
りぃん……りぃん……。
そして、意識が途切れた。
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