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 翌朝、兄はレンタル倉庫に出かけて行ったので、遼と二人だけで開店準備をした。今日の昼食はない。また中華料理屋にでも行くか、と考えながら窓を拭いていた。


「直美さん、コーヒーいれといたでぇ」

「あと二十分か。一服しようか」


 遼とカウンター席に横並びに座り、タバコを吸いながらコーヒーを頂いた。


「なぁ、遼って神に会ったことはあるのか?」

「ないで。まあどの辺りが神域や、っちゅーのは把握しとう。秋内海岸は……観光地でも何でもない田舎や。わざわざそのお母さんがそこに行ったっていうのは、何か理由がありそうやな」


 まだ時間があった。俺は秋内海岸を検索した。海水浴場でもなければ絶景スポットでもない。釣り人のブログが見つかったくらいだった。


「カズくん……本当に行くつもりなのかな」

「まあ、和美さんの意思は固いやろねぇ。何があったかは聞かへんけど、依頼者とは因縁あるんやろ?」

「まあ、うん……遼には話してもいいかな」


 そんなに長い話ではない。俺は語った。

 兄と二葉。彼らは友人だった。いや、兄は今も奴を「友達」と言ったし、友人であることには変わらないのだろう。

 しかし、当時……二人が大学四年生の頃。二葉が兄にぶつけたのは歪な感情だった。

 二人は大学に入学してすぐに仲良くなった。同じ文学部史学科。自然と講義がかぶって一緒に過ごす時間も多かったらしい。

 兄には友人が多かったが二葉は違った。兄だけが頼りで、兄に依存するようになった。兄は他人を見捨てられない性格だ。二葉に優しく接してやっていた。

 だが、二葉は兄をストーカーするようになった。兄が外出すれば尾行し、兄が出したゴミをあさったり、郵便物を抜いたりした。兄の情報を知りたかったのと、特定の誰かと親しくしていないか調べるのが目的でもあったようだ。

 そして……事の起こりは、高校生だった俺が、兄の住んでいた家に泊まりに行ったことだった。背格好だけでは兄弟だと判断できなかったようで、俺のことを故郷に残していた恋人だと勘違いしたのだ。

 二葉は猛烈に怒り、喫茶店に兄を呼び出した。兄はあれは弟だ、と説明したが、二葉は聞く耳を持たず、兄の顔にオイルをかけて火をつけた。


「殺す気はなかった。和美くんの綺麗な顔を台無しにしたかった」

 

 それが犯行の動機。兄の顔に傷がつけば、兄に恋人ができなくなるはず、という発想だったらしい。

 全てを聞き終わった遼はガシガシと自分の頭をかきむしった。


「なるほどなぁ……和美さんのこと、おれはまだよう知らんけど、そんだけされて許してしまうんは懐が広いというか、何というか……」

「俺、そこだけはカズくんのこと理解できない。さっ……そろそろ時間だ」


 俺は灰皿を片付けた。そして、ピシッと切り替えて今日の営業を始めた。

 休憩時間に中華料理屋に行き、青椒肉絲があったのでついあの二人のことを思い出してしまった。むーむーねこ事件。四門遥香も、殺されたのにも関わらず六角明日香のことを恨んでいなかった。


 ――やっぱり、わかんねぇよ。なんでカズくんも四門遥香も、自分を傷付けた奴を守るんだよ。


 兄は四時半頃に店に戻ってきた。


「カズくんお疲れ。お目当ては見つかった?」

「一応ね。今日は僕働かなくてもいいかなー? コーヒー飲みたい!」


 遼が返した。


「ほな持っていきますんで、バックヤードおってください」


 店には何人かの客がおり、俺は会計をしたり注文を取ったりと息つく暇もなく働いた。六時になり、片付けをした後、ようやく兄がいるバックヤードに戻ることができた。


「カズくん……?」


 兄はソファに深く沈んで眠っていた。


「カズくん。店閉めた。起きて」

「ああ、うん……ありがとう」


 大きなあくびをして、伸びをする兄。野良猫のようだ。


「それで、資料見つかった?」

「資料っていうか。何もない、っていうことがわかった」

「何もない?」

「うん。秋内海岸の神は伝承のない神。名前がないとややこしいから海の神とでも呼んでおくけど。そういう神」


 俺は何年か前にやっていたスマホのカードゲームのことを思い出した。


「……ポセイドン?」

「まあ、海の神にも色々種類があるんだよ。なーんにもわかんない、ってことがわかった!」

「それ、進展してなくない?」

「そうとも言える」


 兄はゆっくりと立ち上がった。


「冬になる前に行った方がいい。今日、準備をしてしまって、明日から行こう。店は閉める。遼くんにSNSのこと言わないと……」

「はいはーい! 聞こえとったで! 和美さん、何日閉める?」

「一週間」


 それを聞いた俺は声が裏返ってしまった。


「一週間?」

「念のため、ね。遼くん、七宮さんに伝えておいて。一週間経っても帰らなければ諦めてくれって」

「そんなに……危険なの?」

「そうだよ。だからナオくんのこと、本当は連れて行きたくない」


 俺は兄の手を握った。


「俺は行く。絶対カズくんと一緒に行く」

「……わかった」


 どんなことがあったとしても。俺が、兄を守ってみせる。

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