4-3
兄の左手を七宮さんが繋いだ。兄は右手をブローチにかざした。兄の吐く息は徐々に荒くなり、俺は気が気ではない。
「くっ……あっ……」
兄の右手はプルプルと震えている。額からは汗が流れ、ぽたりと床に落ちた。俺は思わず声が出た。
「し、七宮さん、これ大丈夫なんですか?」
「まだいけます。まだ。ただ、あまり長くは……」
ピシッ、とブローチにヒビが入った。兄はバッと右手を上げた。
「あー! もう限界!」
兄はどさりとソファの背もたれに身体を預けた。そして、七宮さんに言った。
「……夕飯ここで食べてもいいですか?」
「構いませんよ。まあ、その、ピザとかでよければ」
ピザを待っている間、俺は兄に尋ねた。
「房子さんの居場所はわかったの?」
「うん。
「取られた?」
「表現が難しいんだけど。神が人間を自分の物にしてしまうこと。取り返せるかどうかは、やってみないとわからない」
兄が探っていたのは、房子さんの記憶だった。去年の十月、房子さんは一人で電車を乗り継ぎ、秋内海岸へ向かったらしい。
「それで、神が支配する領域。神域のことまでは視えない。実際に行ってみるしかないね」
「えっ……行くの?」
「行く。もう少し下調べしてからにするけどね」
七宮さんが口を出した。
「行かれるなら遼をつけましょう。七宮の力は神域までには及びませんが、ギリギリのところまでなら」
「ありがとうございます。助かります」
俺は勢いをつけて立ち上がり、叫んだ。
「そこまでする義理はない! よくわかんないけど、危険なんでしょう?」
兄は落ち着き払った様子だった。
「僕がしてあげたいんだ。今回はナオくんはついてこなくていい。僕だけで解決する」
「それはダメ! どうしても行くって言うんなら俺も行く!」
インターホンが鳴った。ピザだ。遼が取りに行った。
「ほいほーい! 秋といったら月見! 月見ピザやでー! これ食って落ち着こうなぁ!」
腹は減っていたので、大人しく座ってピザを取った。遼がハロウィンフェスタの話を始めた。
「当主さまぁ、一緒に仮装しましょうやぁ! 魔女と鴉はどないですか?」
「ええ……遼が出るのを見るだけならいいですけど、私までするのはちょっと。それに鴉ってそのままじゃないですか」
「あ、やっぱりあきませんか?」
遼との付き合いでわかってきたことだが、遼は空気を読めていないわけではない。むしろ読んでいる。アホらしい話を持ち出すのも場を和ませるためなのだとさすがの俺も気付いていた。それに俺も乗った。
「カズくん、出ようよ。カズくんにフリフリメイド服着せたい」
「えっ、ナオくんそんな趣味あったの?」
「線細いし髪長いし着ると似合うんじゃないかな」
「女装か……興味なくはない……」
それから、兄でも着れそうなメイド服をスマホで検索した。さすがハロウィンシーズン。男性用の物もいくつか売っていた。兄が足は出したくないと言うので、ロング丈のメイド服をその場で購入した。
「これだけじゃ仮装っぽくないな。ネコミミつけようネコミミ」
「ええー?」
黒いネコミミカチューシャも追加だ。
そんなことをしていたら、すっかり遅くなり、終電間際になった。人の少ない電車内。座席に並んで座り、俺は兄に問いかけた。
「ねえ。なんでカズくんはそこまでして二葉のために尽くすの?」
「尽くすっていうか……責任かな」
「なんで? カズくんは二葉に人生狂わされたんだよ?」
「僕だって友樹くんの人生を狂わせた。その責任だよ。友樹くんってさ……」
兄が話したのは、二葉が教師になるという夢を持っていたということだった。大学で教職課程を取り、教育実習もこなした後。二葉は兄の顔に火をつけたのだ。
「刑務所に入ったのは二葉の自業自得じゃん。わかんない。あーわかんない」
「こればっかりは、上手く言葉じゃ説明できないね」
帰宅して風呂に入り、髪を拭いていると、兄が言った。
「明日の営業はナオくんと遼くんに任せていい? レンタル倉庫行ってくる」
「わかったけど……何で?」
「秋内海岸の伝承。その資料を調べたい」
そこで初めて俺は兄の大学時代の研究のことを聞いた。民間伝承を集めていたらしい。伝承とは、その土地の言い伝えなのだと説明された。
「カズくんってそんなことしてたんだ」
「面白いからね。小説の元ネタになってることもある。元ネタ知ってると楽しいでしょ?」
「まあ……ヘビ娘でも元がどんな蛇か確認するのは面白い」
兄が風呂に入ったので、そのシャワーの音を聞きながら、俺はベッドに寝転がっていた。
神。
どんなものかはまるでわからない。だが、俺は神だろうと何だろうと、兄を害する者がいるのなら守ってみせる。そう心に決めた。
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