4-6
目を覚ますと、兄と抱き合ったまま固い地面の上に寝転がっていた。身を起こし、兄を揺さぶる。
「カズくん、カズくん!」
兄も目を開け、のっそりと起き上がった。辺りは岩壁。洞窟のようだ。俺たちが寝転がっていた足先にぽっかり空いた出口が見え、ざぱぁん、ざぱぁん、と波が打ち寄せていた。太陽の位置からすると、俺たちが気を失ってからさほど時間は経っていなさそうだ。
寒気がした。背負っていた釣り竿やリュックサックはそのまま。上着を取り出して着た。兄と二人、立ったまま動かず辺りを見回した。むっとする潮の香り。
「カズくん、ここは」
「うん、まあ、来ちゃったみたいだね」
兄は光が差す出口に背を向け、歩き出した。俺も遅れることなく隣についた。巨大な生きものの腹の中に入った気分だ。湿っぽく、岩肌自体が呼吸をしているような、そんな錯覚にかられる。
五分ほどで行き止まり。大きな岩があった。その岩には、縄が何重にも巻かれていた。
「なんだこれ?」
「ナオくん、近付かないで」
りぃん。
また、あの音だ。俺は身構えた。
すうっ、と一人の男が俺たちの前に現れた。
日焼けだろうか。浅黒い肌の青年だ。顔は若いのだが、短い髪は真っ白だった。白い半袖のシャツを着ており、麻っぽい茶色のズボンをはいていた。裸足だ。
「えーと、その、こんにちは」
兄が間抜けな挨拶をした。男が吊り上がった目で俺たちを眺めながら口を開いた。
「用事があるのだろう。さっさと言ってみろ」
兄は言った。
「まずはご挨拶から。僕は九楽和美。こちらは弟の直美。二葉房子さんの件で来ました。あなたは海の神……とお呼びしても?」
「ああ。わたしには名がないからな。なんとでも呼べ」
「それでは。二葉房子さんがこちらに来られましたよね? その後のことについて聞きたいのですが」
海の神は岩場にあぐらをかいた。
「……貴様ら人間は牛を食べるな?」
「はぁ、まぁ、食べますねぇ」
「牛の名前など気にするか? 覚えているか?」
俺は兄の前に出て叫んだ。
「食ったってことかよ!」
「まあまあナオくん落ち着いて。確かにその例え話はわかりやすいですねぇ。僕も気にしたことないです」
「カズくん!」
「もー、ナオくん。話進まない。静かにしてて」
それでも俺は兄と海の神の間に立ち、海の神を見下ろした。兄が問いかけた。
「では、去年の十月頃の話なんですけどね。女性が一人でこちらに来られませんでしたか」
「あの女か。いい鈴になったぞ」
りぃん。
どこから取り出したのか、海の神は右の手の平にぴかりと光る黄金色の鈴を乗せていた。
「房子さんは……鈴になった」
「人間にもわかりやすく言うと、それが私の趣味だ。貴様らにも集めているものの一つや二つ、あるだろう」
「ああ、僕は本ですねぇ。きちんと分類していつでも読めるようにしています」
相手は明らかに普通ではない。人間ではない。確かに神なのだろう。それなのに、店の常連客と雑談するかのような兄の態度。さすが霊視をこなしてきただけのことはある。
「なぜここがわかった」
「その鈴になった方の記憶を辿ってここまで来ました。それで……」
「貸してやろう。特別だ」
「ありがとうございます」
兄が座ったので、慌てて俺もならった。兄は鈴を受け取り、目を閉じた。
「ん……時間かかるな。ナオくん、待ってて」
「うん……」
海の神は、兄ではなく俺の方をじいっと見つめてきた。
「な、なんだよ」
「聞きたいことがあるなら遠慮するな。私は貴様ら人間と話をするのは好きだ」
「じゃあ……あんたは人間ではないんだよな? 神ってことでいいんだよな?」
くすっ、と海の神は笑みをこぼした。屈託のない少年のような表情だ。
「私は元は人間だったよ。もう思い出せないほど昔の話だ。不漁が続き、生贄のためにこの洞窟に封じられた」
「それが、なぜ神に?」
「飽きた、らしいな。元々ここにいた神が。その神に役割を押し付けられた」
「そんなことができるのか……?」
ちらり、と海の神は目を閉じて黙っている兄の方を見た。
「……私もそろそろ飽きたし、兄の方は力が強そうだし、押し付けるか?」
「やめろ!」
「冗談だ。弟はからかい甲斐があるな!」
かっかっか、と海の神は白い歯を見せて笑った。
「それで? 弟よ。そんなに兄のことが大事か?」
「ああ……そうだよ」
「私も人間の頃は弟がいた。最初に鈴にしたのは弟だ」
りぃん。
海の神は、また新しい鈴を手の平に乗せていた。
「それが……弟さん?」
「ああ。まだ幼子だった。私を追ってここに来た。血の繋がりというのは不思議なものだな。魂も肉体も違う別々の人間。なのにこうして縛り合う」
「俺は……兄を縛っている気はないし縛ってもいない」
「果たしてそうか?」
トン、と兄が俺の肩を叩いた。
「……房子さんのことはわかった。友樹くんが想像していた通り、やっぱり自殺のためにここに来たみたいだ」
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