2-10
肉のことに完全に頭が切り替わった兄の様子にたじろぎながら、焼肉屋の予約をした。湊中央駅から徒歩五分。今どき珍しく、座席で喫煙もできる店だった。
「ナオくん、生中いこう!」
「えっ、飲むの?」
これも九楽の血筋だろうか。父も兄も俺も酒が弱いので普段は飲まないのだ。
「大仕事の後だよ? ぱーっといこう! ぱーっと!」
俺も兄に付き合って一杯だけ飲むことにした。肉の注文は兄に任せた。
「かんぱーい!」
「乾杯……」
どこから話を切り出せばいいのやら、ぐるぐる考えていると肉がきた。生肉を見ただけでは質の良し悪しはよくわからないのだが……値段はかなりする。期待していい。
「僕が焼いてこっちのお皿に入れてあげる。ナオくんは食べてるだけでいいよ」
「じゃあお言葉に甘えて」
まずは塩タン。そう決まっている。あっという間に焼き上がり、レモン汁をつけて口に入れた。美味い。兄はカルビを網に乗せながら言った。
「いやぁ、こわかった。めちゃくちゃこわかった。おしっこ漏れるかと思った。実を言うとちょっと漏れてた」
「ビール飲んでる時にやめてくれる?」
兄のこわかった、は莉子ちゃんのことを指すのだろうと思った俺は言った。
「カズくん平気そうだったじゃない。俺には冷静に見えた」
「いや? 全然? 内心バクバクだよ? ナオくんが不安になるといけないから耐えてただけ。僕お兄ちゃんだもん」
俺はプッと吹き出してしまった。
「大人になったら兄も弟も関係ないでしょ」
「僕にはあるの。兄のプライドってやつ」
「でさぁ……何でそんなに割り切れるの? 今回のこと。兄貴だから?」
兄はしばらく視線を宙にさまよわせた後、カルビをひっくり返して言った。
「僕はさ。死というものに慣れちゃったんだよね。良くも悪くも。勝手なお願いだけど、ナオくんにはそうなってほしくない」
「……うん」
「一条さんと話す時もナオくんがいてくれてよかった。あのままだとガン詰めするところだった」
「俺は、これからもずっと、カズくんと一緒にいるから」
兄の左目がすうっと細くなった。
「ありがとう。嫌になったらいつでも辞めるんだよ。僕はナオくんの人生を縛るつもりはないから」
「嫌になんてならないよ。今回も大変だったけど乗り切った」
兄はササッとカルビを皿に取り分けた。
「ほら、焼き立て食べなよ」
次はハラミ。焼きながら兄はスポーツドリンクかのようにぐびぐびビールを飲むので心配になってきた。
「カズくん、ペース早いよ」
「一杯じゃ足りないな。追加頼んどこう」
「大丈夫……?」
俺はメニューを見た。締めのデザートを確認したかったのだ。シャーベット、マンゴープリン、杏仁豆腐の三択。迷っているうちに兄の二杯目のビールがきた。
「あー! 久しぶりの生はいいねぇ!」
「飲めなかったら残すんだよ?」
肉が乗っている大皿を見た。あとはホルモンが残っていた。しかし、それだけだとまだ寂しい。俺は店員を呼び、カルビと杏仁豆腐を注文した。
「はいナオくん、ハラミっ! いぇい!」
「……もう出来上がってるね?」
「うん、いい具合に焼けてるよ?」
「出来上がってるのはカズくんの方」
「酔ってない、酔ってない」
酔っぱらいの常套句である。兄の顔はすっかり赤くなっており、俺は二杯目は止めるべきだったと後悔した。
しかし、チャンスかもしれないと思い直した。酔っていれば口を滑らせる可能性が上がる。俺は直球を投げた。
「なんで三綿家のこと教えてくれないの?」
すると、兄はタバコを取り出して火をつけ、左手にタバコ、右手にトングという状態でホルモンを焼き始めた。タバコ、ホルモン。二種類の煙のせいで目がしみる。
「ねぇ、カズくんってば」
「ホルモンって焼き加減難しいよねぇ。ぐにゅぐにゅすぎるのは嫌だし、かといってやりすぎたら小さくなるし」
「はぁ……隠し事はもういいよ。諦めた。嘘は? 嘘はついてないだろうね?」
兄はタバコの煙を吐き出してから言った。
「僕は生まれてこの方嘘をついたことがないんだ」
「はいはい……それ自体が嘘ってわけでしょ……」
「その通り。なんかさぁ、僕も嘘つきすぎて、何が本当のことだったかわかんなくなっちゃったぁ」
パチン、ホルモンが跳ねた。兄はテーブルに右腕を置き、その上にアゴを乗せてうつらうつらとし始めた。
「はぁ……言わんこっちゃない……」
兄の左手からポトリと落ちたタバコを拾って続きは俺が吸い、網の上で踊るホルモンをかっさらい、追加のカルビと杏仁豆腐もキッチリ頂いた。
「ほら。行くよカズくん。立って」
「ううーん……」
兄の腕をぐいぐい引っ張って立たせると、よろけて頭を俺の胸にぶつけてきた。抱きとめた。引き剥がした後、兄の財布から勝手に金を抜いて会計を済ませて、幼稚園児の遠足みたいに手を繋いで夜の街を歩いた。
「カズくん酔ってるから言うけどさ。俺はカズくんが死んでも、忘れない。絶対に忘れない」
「年の順だからねぇ……ナオくんが僕の骨拾ってよねぇ……」
「拾う。約束する」
繋いだ手の温もりは、子供の頃と変わらなかった。
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