2-9

 こちらの世界では本当に三日間が過ぎていた。ヘビ娘の連続ログインボーナスが途切れたことに気付いたが、そんなことどうでもいい。

 七宮さんによると、莉子ちゃんの力は確かに弱まっており、数年で里に出せるようになったらしいのだ。

 莉子ちゃんは二度とアイドルにはなれない。その事実は変わらない。しかし、莉子ちゃんが少しでも安らかに異界で暮らせるようになった。これは、成果といってもいいような気がした。

 七宮さんの家を出て帰宅する間、兄はぼんやりと虚空を見つめていた。こんな兄の姿は見たことがなかった。考えるべきこと。伝えるべきこと。俺たちは、大きな荷物を抱えてしまった。

 ほとんど話さないまま翌日を迎え、俺は兄に揺さぶられて起こされた。


「ナオくーん。朝ごはん食べよ?」


 まぶしい兄の笑顔に、俺もつられて笑った。昼食はサンドイッチだから、朝は米にすることにしていて、俺は卵かけご飯を作ってかきこんだ。兄はお茶漬けだ。


「カズくん、考えまとまった感じ?」

「うん。バッチリ。でさ、とっとと成功報酬貰いたいから、今日一条さんに来てもらうよ」


 その日の営業が終わり、一条先輩がキャリーバッグをひいてやって来た。兄と一条先輩が向かい合わせに座った。


「一条さん。僕も考えたんですけどね。ありのままをお伝えするのが一条さんのためだと思って言います。まず……応援メッセージですが。莉子さんは、あれは一条さんだとわかっておられました」

「あっ……そ……そんな……」


 一条先輩の顔色がみるみるうちに白くなり、膝がガクガクと震えだした。俺は水を差し出した。兄がそう決めたのなら、一条先輩には受け入れてもらうしかない。全てを。

 枕営業。解散。莉子ちゃんの絶望と恨み。一条先輩は、時折水を口に含みながら、黙って兄の話を聞いていた。

 俺にとっても辛い時間だった。多くの人に愛されるアイドルになりたい。そう願っただけの一人の女性が、異形に成り果てるまでに恨みをつのらせてしまったその経緯。


 ――使い捨て。本当にその通りだよな。


 莉子ちゃんの言葉を思い出す。売れなくなったアイドルグループは解散させればいい。しかし、その後もアイドルの人生は続いていく。その事実から目をそらし、アイドルの若い瞬間だけを消費しているのが今の世間だ。

 おおよそのことを話し終わった兄は、ふうっとため息をつき、こう質問した。


「一条さん。あなたはなぜ、多数のアカウントを作って投稿していたんですか?」


 ギリッ、と一条先輩が歯ぎしりをした。


「オレはただ、莉子が話題になってほしかっただけなんだ。莉子にはファンもいなければアンチもいなかった。莉子のためだったんだ……」


 兄はピシリと言った。


「それ、一条さんの自己満足ですよ。結果的に莉子さんのためにはならなかった。嘘つきな僕だから言えます。嘘をつくなら徹底的にやるべきでしたね」


 さすがに俺も声が出た。


「カズくん! 言い過ぎだよ!」

「そんなことないよ。異形になるほどの恨みはよっぽどのものだ。その中に一条さんへの恨みが入っているんだから」

「直美くん……お兄さんの言うことは確かだよ。オレが。オレが悪かったんだ!」


 そして、俺は大の男が嗚咽を漏らして叫ぶ姿を見せつけられた。一条先輩は、何度も何度もテーブルを叩き、ついには椅子から転げ落ちてしまった。


「一条先輩!」


 俺は一条先輩を抱き起こし、椅子に座らせた。ひっく、ひっくと一条先輩は鼻をすすった。それが治まる頃、兄が口を開いた。


「最後に大事なことを。莉子さんはこう仰っていました。莉子さんがアイドルだったことを、お兄さんだけは忘れないでほしい、と」


 そして、兄はタバコを取り出して火をつけた。ふしゅう、と紫煙を吐き出し、こう続けた。


「まあ……ここからは僕の勝手な推測ですけど。莉子さんは、他でもない実の兄に推されていること自体は嬉しかったんだと思いますよ? 忘れないでほしい、ってそういうことかと」

「ああ……そ……そうなんですかね……」

「仮にナオくんがアイドルになったら僕も複アカ作ると思いますし、一条さんの気持ちはわかります。まあ、その時は完璧にやりますけど」

「あのねぇカズくん……」


 それ以上言葉が続かなかった。兄はからっと声を張り上げた。


「はい! ということで成功報酬頂きますね!」

「あっ、これです……」


 一条先輩はキャリーバッグを兄に渡した。兄は即座に中を開け、札束を数え始めた。一条先輩は前の俺と同じく工場勤務。これだけの額を揃えるには……考えるのはよした方がいい。


「きっちり頂きました! 領収書なんて当然ないですからね。こんなこと普段は言わないんですけど、リピートはお断りします!」

「わ、わかりました。お兄さん、直美くん……ありがとうございます」


 一条先輩が店を出てから、兄は両腕を天井に突き出して叫んだ。


「よっしゃー! 大金ゲット! ナオくん、肉食べに行こう肉!」

「いいけど……」

「もちろん喫煙スペースあるところ!」

「探すけど……」


 俺はスマホで焼肉屋の検索を始めた。

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