1-8
異界に行った翌日。まだどこか夢見心地のまま開店準備をしていた。店の前をホウキではきながら、一連のことを思い返す。どれもこれも衝撃的なことではあったが、一番引っかかるのは母のことだ。
――三綿家は蛇と関係している。
母方の親戚とは会ったことがない。母の葬儀の時に来ていたかもしれないが、当時俺は五歳。ほとんど記憶がなかった。
母の実家に行ったこともなく、それを疑問に思ったこともなかった。父からも特に何も聞いていない。父が母の遺品を処分して以降、母のことを聞くのは子供心にはばかられたのだ。
俺がヘビ娘なんていうコンテンツにハマったのも、元を辿れば母の血筋だった、と思うと納得はしてしまう。俺は知らず知らずのうちに蛇に惹かれていたらしい。気味が悪いが、新キャラのティタノボアは可愛いしあのゲームをやめるつもりはない。
外の掃除を終え、今度は窓拭き。元々肉体労働ばかりこなしていた俺だ。こういう仕事に抵抗はなかった。調理や経理といったスキルが必要な作業は兄にこなしてもらっている分、こちらを俺が担当するのは自然な流れだった。
「ナオくん、一杯いれといたよー」
開店十五分前。コーヒーを頂きながら一服し、お客が来るのに備える、というのがルーティンの中に入っていた。
「カズくん……ちょっとずつでいいから教えてよね。異界のこととかさ」
おそらく今の時点で母のことについては兄は口を割らないだろう、と思ってそういう言い方をした。
「うん、いいよ。ただ、僕がわかる範囲でね。僕もそんなに知識があるわけじゃない」
また煙に巻く気だな、と感じたが口には出さなかった。
そして、その日の営業終わり間際である。痩せぎすの黒髪の男がひょっこり入ってきた。背は兄よりは高く、俺よりは低いくらい。全身黒尽くめの恰好が気になった。男は席につかず、カウンターにいた兄につかつか寄っていった。
「なぁ、あんたが和美さんやんなぁ?」
俺はすかさず男の間に割って入り、ドンと男の肩を押した。
「兄に近付くな」
男はぱちぱちと瞬きした後、あっと叫んで俺のことを指した。
「そんで、こっちが直美くんかぁ」
「どうして俺たちの名前を知っている!」
俺が凄むと、兄がトントンと俺の背中を叩いた。
「まあまあナオくん。多分、七宮さんの関係だよ。そうだよね?」
「そうでぇす! 当主さまからお手紙預かってますぅ。おれ、
「……はぁ?」
男は肩にかけていたショルダーバッグから封筒を取り出した。七宮慶香の文字。男の言うことは本当らしい。俺は一旦引いた。兄が手紙を読み始めた。
「ああ……そういうこと。君は
「はぁい! 遼でぇす!」
「ナオくん。七宮さんがね、この遼くんを貸してくれるって。七宮家との連絡役でもあるし、喫茶店で働かせても問題ないって」
「は……はぁっ?」
俺は兄に手紙を読ませてもらおうとしたのだが、達筆……といっていいのだろうか。あまりの独特の字に目が滑ってしまった。やたらと崩し字が多いのだ。兄はのんびりした顔で笑った。
「いやぁ、タダでこき使える労働力があるのは助かるよ。僕もナオくんも楽できる。まあ、その代わり、君はお目付け役ということだね?」
「まあ、せやね。さすがにそこはお分かりのようで。和美さんの動きは定期的に当主さまに報告させてもらいますぅ」
俺は食ってかかった。
「カズくん、本当にこいつ、店に入れるの? 僕は嫌だよ?」
「いいじゃないか。人手は多い方が。しかもタダだよタダ。遼くんは人間じゃないから労基に駆け込めないし」
兄は金のことになるとこれである。
「それにさナオくん、異界のことについて知りたがってたじゃない。遼くんに教えてもらいなよ」
「まあそれは……そうだけど」
どのみち、ここの経営者は兄だ。俺は渋々遼を受け入れることにした。俺は遼に言った。
「じゃあさ……そろそろ閉店だから。片付け手伝ってよね」
「はい喜んでー!」
――うわっ、こいつ、苦手なノリの奴だ!
俺は学生時代から無駄に陽気な奴は嫌いである。どうしてもぶん殴って大人しくさせたくなるが、さすがに兄の手前我慢した。
遼に店のことをあれこれ説明し、掃除をさせたのだが、案外細かいことに気が付く奴だった。眷属といったっけな。七宮さんの従者、という意味の言葉なのだろう。
「遼。色々聞いていいわけ?」
「おれが答えられる範囲やったら何なりと」
「七宮さんって……男? 女?」
一番答えやすそうな質問にしてみた。
「ああ、どっちもやで。あのお方は男性であり女性でもある。慶香、っちゅーのは当主の役職名みたいなもんやねん。あの方個人の名前はない」
「えっ……そうなの?」
「戸籍がないんやなぁ。社会的にはおらへんはずの方なんよ。せやから、あまり外には出ぇへんの」
性別を聞いただけなのに、七宮家の複雑な事情が明かされてしまった。
それから、遼は毎日来ることになったのだが、寝る時は鴉の姿らしく、ねぐらにしている雑木林に帰ると言って行ってしまった。
「……なんか、面倒なことになってない?」
「そう? 遼くんが慣れたらナオくんの空き時間増えるよ。こっちに来てから遊んでないでしょ、どっか行っておいでよ」
「ああ……うん……」
仲良く、とまではいかなくても、意思疎通は取れるようにしないと仕事に支障が出るな、と思った。
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