1-7
時刻は夕方六時を過ぎていた。俺、兄、七宮さん。湊中央駅から電車に乗り、
「こちらです」
俺たちは住宅地を抜け、雑木林のようなところに来た。七宮さんはずんずん先を行く。細い路地を通り、ぽつんと建っていた一軒家にたどり着いた。瓦屋根で和風ではあるが、そんなに古くはなさそうな家だ。当主、という言葉から、豪華な屋敷を想像していた俺は拍子抜けした。そんな俺の考えを読んだかのように七宮さんは言った。
「悪目立ちするといけませんからね。住居部分はごく普通にしてあるんですよ」
中に入ると、懐かしい香りがした。俺は記憶をたぐりよせた。これは……線香だ。母の月命日になると、父があげていた線香。廊下を通り、和室へと通された。
「これが異界に通じる鏡です」
そう言われても、とても信じられなかった。特に凝った意匠はなく、ネット通販で買えそうな木製の姿見だったからだ。またしても七宮さんが説明してくれた。
「昔は井戸でした。その機能を移し続けて、私の代でこれにしました。これも、目立たないためです」
七宮さんは俺の顔を見上げてきた。
「そんな顔なさらないで大丈夫ですよ。散歩のようなものです。私から離れなければ安全ですから」
「は、はい」
どうやら緊張が顔に出ていたらしい。
「では……私の後に着いてきてください。たとえどんな姿になっても」
「えっ?」
「さぁナオくん! 行こう行こう!」
七宮さんが、すうっと鏡の中に入ってしまった。俺はたじろいだが、兄にぐいぐい背中を押され、腹を決めて足を踏み出した。
ぐわん……ぐわん……ぐわん……。
視界が大きく揺れた。俺は目を開けていることができず、きゅっと閉じてしまった。一瞬、気が遠くなり、気付いた時には兄に見下ろされていた。
「あー、ナオくんそうなっちゃったかぁ」
兄の髪は短くなっていた。顔には火傷の痕はなく、着流しのような黒い着物を着ていた。そして、俺だ。手も足も動かせない。しかし、今までにはなかった妙な感覚があった。お尻の先が、動かせる。
「えっ、俺、どうなったの?」
「んーとね、蛇になっちゃった」
「蛇ぃ?」
驚いて俺は身体をくねらせた。ちろりと見えるこれは、黒い尻尾だ。
「ぎゃぁぁぁ!」
「ナオくん、落ち着いて、落ち着いて。異界でだけそうなるだけだから」
今度は七宮さんも俺を見下ろしてきた。彼……彼女? は先ほどと容姿も服装も変わっていなかった。七宮さんは言った。
「生きた人間が異界に来た場合、姿が変わることがあります。魂の姿……とでも言いましょうか。事前によく説明しておくべきでしたね」
兄が腕を差し出してきた。
「それじゃ満足に動けないだろうから、僕の肩にでも乗りなよ」
「う、うん」
兄の肩にしゅるりと這い、周りを眺めた。夕暮れ時だろうか。空は赤かった。兄と七宮さんが立っていたのは舗装されていない砂地の道で、道の左右には田畑が広がっていた。方角はわからないのだが、遠くの方に大きな山が見えた。七宮さんが言った。
「ここが異界です。といっても、田舎にしか見えないと思いますけど。ただ、ここの時の流れは特殊でして、いつでも夕暮れ時のような感じですね」
「へぇ……」
「ついでなので、異形の様子を見に行きましょうか。最近異形になってしまった女性がいるんです」
七宮さんはブツブツと何かを唱えた。また、ぐわんと視界が揺れ、小さな小屋の前に来た。
「アリサさん、いらっしゃいますか」
七宮さんが声をかけると、小屋の中から鶴のような大きな鳥が出てきた。
「はい……当主さま……」
「ここでの暮らしはどうですか。慣れましたか」
「ええ、なんとか。これも当主さまのおかげです。そちらの方は?」
「九楽家という七宮家の分家の方々です。大丈夫、味方ですよ」
それから、いくつかの異形の住処を回った。自分が蛇になってしまったことだし、最初の鳥はそれほど驚かなかったが、河童や天狗が出てきたのには言葉を失った。
「妖怪って……実在していたんですね」
七宮さんが言った。
「ええ。ここではまとめて異形と呼びますけどね。日本社会が暮らしにくくなってこちらに移住してきた者は多いんですよ。そろそろ戻りましょうか」
七宮さんがまた何かを唱え、気付けば俺は和室の畳の上に立っていた。手足をぶんぶんと振ってみた。元に戻れたようだ。
七宮さんに見送られ、家を出た。帰り道で俺は兄に尋ねた。
「なんで俺、蛇になっちゃったわけ? 七宮さんは魂の姿とか言ってたけど。ヘビ娘プリティスネークのやりすぎ?」
「ああ、心当たりはある。ゲームは関係ないね。ほら、和美。直美。み、のつく名前でしょ」
「うん」
「それって蛇の
「九楽家って色々あるんだね」
「えっと……それは
「ん? 母さんの方?」
母の旧姓は
「えっ、母さんの方も何かあるの?」
「その時がきたら教えるよ。その時が来ない方がいいけど」
「もう、何なのさ! 秘密ばっかり!」
「こればっかりはなぁ……その、ナオくんを守るためだからさ」
それ以降、兄はそうめんのことに露骨に話題をそらし、俺も疲れていたので追及しなかった。
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