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 四月。喫茶「くらく」がオープンした。

 兄の目論見通り、喫煙所代わりに使う客で賑わい、それなりにいいスタートを切った。

 営業時間は朝八時から夕方六時。早起きなら慣れているから問題ない。夜はゆっくり兄と夕食を取れるのがいい。

 飲み物の他に簡単なフードも出す。ハムタマゴサンドやチーズトーストなど。皿が大きなもの、ハンバーグやパスタまでは出さない。カウンターもテーブルもそんなに大きくないからだ。

 飲食業をしたことがなかった俺だが、注文を取る時は紙の伝票に書いて兄に渡すというアナログな方式だし、レジ打ちもすぐに覚えた。気心の知れた兄が雇い主のおかげでストレスがないので、工場よりもはるかに楽しく仕事をしていた。

 そして、オープンから二ヶ月以上が経ち、俺も店員仕草がすっかり板についてきて、湊市にある他の飲食店なんかも把握してきた頃だった。


「ナオくん、今夜はアレのお客さんが来るから。飲み物出すのだけ手伝って」

「ああ……いいよ」


 六月の中旬。梅雨入りしており、朝からしとしとと雨が降り注いでいた。客入りはそこそこといったところ。夕方六時に一旦クローズの札をかけ、そこから「アレ」のお客さんが来るのを待った。


「カズくん、タバコ吸っててもいい?」

「別にいいよ。六時半くらいに来るように言ってあるし。っていうかナオくんったらすっかり喫煙者に戻ったね」

「カズくんのせいでしょ」


 六時半ぴったり、遠慮がちに扉が開かれた。


「ごめんください……」


 顔を出したのは、三十代くらいの細身の女性だった。兄がにこやかに礼をした。


「九楽和美です。そちらの席にどうぞ」


 兄と女性は向かい合って座った。兄が言った。


「飲み物は一杯サービスです。何がいいですか?」

「ホットコーヒーで……」

「かしこまりました」


 俺はホットコーヒーを作りながら、ちらちらと兄と女性の方を見ていた。女性が言った。


「済みません……どうも、緊張してしまって」

「見ての通り、ここは普通の喫茶店でもありますから。楽にしてください。電話でお伝えしていたものは……」

「はい、持ってきました」


 女性はハンドバッグからネックレスを取り出した。


「これが、婚約者のネックレスです。わたしがプレゼントしたもので……これを置いて彼は消えました」

「ああ、いいですね。肌に近いほどいいので」


 兄の霊視。それは、対象者が「普段身につけていた物」を使って行う。兄がどうやってこの店に霊視の客を呼んでいるのかは知らないが、その辺りも説明済みのようだ。

 俺がコーヒーを運ぶと、兄の説明が始まった。


「いくつか注意点を。僕がわかるのは死者だけです。亡くなっていたら視えます。生きてたら視えません。視えなかった場合は、視えなかった、とだけお伝えします。その場合でも代金は頂くので」

「……視えた場合は」

「死者とどの程度のやり取りをしてほしいかによって金額が加算されます。明確な料金表はなくて、僕のさじ加減といったところですね。そんな怪しさいっぱいの霊視になりますが、それでもやりますか?」

「……やります!」


 急に女性の語気が強くなった。


「わたし、彼がどうして居なくなったのか、ちゃんと突き止めたいんです! 式場の下見も済ませて、挨拶の日取りも決めて、これからだっていう時に……何かが起こったに違いありません。ぜひ、お願いします!」

「わかりました。少しお待ちを」


 兄は目を閉じ、テーブルに置かれたネックレスに右手をかざした。ぴくり、と兄の頬が時折動くのだが、どういうことかはわからない。僕も女性も、黙って兄の様子を見守った。


「……うん。視えませんね。生きてますよ、彼」

「よ、よかった!」

「ただ、成人男性の捜索は事件性がない限り積極的にはされないとは聞いています。お辛いでしょうが、気を確かに持ってください」


 女性は分厚い封筒を渡し、雨の中に消えていった。兄はのんきに言った。


「ナオくん、今日のご飯何にするー?」

「マルゴのお惣菜でいいんじゃない?」


 マルゴというのはスーパーの名前だ。価格がそれなりにする代わりにお惣菜が美味しい。兄と一緒に買って帰った。

 電子レンジでお惣菜を温めて食べながら、俺は兄に言った。


「カズくんの霊視久しぶりに見たよ。まあ、あっさりしたもんだよね。よかったね、生きてて」

「ああ……本当は死んでた」

「へっ?」


 兄によると、婚約者の霊が現れ、借金を苦に自殺したこと、女性はその事実を受け入れられず行方不明だと思い込んでいることを告げられたのだという。


「な、なんで嘘ついたの?」

「だって、僕のことインチキ呼ばわりされそうだったんだもん。人間の思い込みはこわいよ。それにさぁ、リピーターになりそうだと思ってね。そっちの方が長くお金取れる」

「詐欺じゃん……」

「霊視自体、非科学的なもんだからねぇ」


 素知らぬ顔でエビフライをかじった兄は、尻尾の部分をひょいと僕の皿に放り込んだ。


「もう。カズくん」

「ナオくん尻尾好きでしょ?」

「好きだけど」


 片付けと風呂を済ませて、自分の部屋で寝ようとすると、兄が勝手に入ってきた。


「はぁ、霊視使ったから疲れた。寝かしつけして」

「ええ……こっちで寝るの?」

「別にいいじゃない。子供の時はナオくんが僕の布団に入ってきてたんだよ?」

「お互いアラサーなんだけど」

「いいから、いいから」


 強引に兄は俺のベッドに寝転がった。


「はぁ……仕方ないなぁ……」


 兄に腕枕をしながら、思い出していたのは、兄が十歳、俺が五歳……兄の霊視能力が目覚めた時のことだった。

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