霊視喫茶くらく

惣山沙樹

一章 喫茶「くらく」開店

1-1

 喫茶店を開く。その手伝いに来てほしい。

 そう兄の和美かずみに誘われて、俺は迷わず辞表を出した。

 住み込みの工場の仕事は、いずれそうなるものと思って適当にこなしていただけだった。ようやく、兄が「いつかは一緒に住もう」という約束を果たしてくれたのだ。

 三月の下旬に社員寮を引き払い、電車に揺られて兄のところへ。湊市みなとしという大きな都市だ。俺たちの家とは何の縁もゆかりも無いはずの場所だが、なぜ湊市なのかは、落ち着いてから兄に聞いてみることにした。


「ナオくん、こっちこっちー」


 駅の改札を抜けると、兄がぶんぶん手を振っているのが見えた。直美なおみ、という名の俺のことを、「ナオくん」と呼ぶのは世界で兄一人だけである。

 ここは湊中央駅。複数の路線が乗り入れている湊市の拠点のようなところらしい。そんな大きな駅の近くに兄は喫茶店を構えるという。

 兄は背が低く華奢で、黒髪長髪も相まって、後ろ姿だけだと女性に見える。ただ、顔立ちは男性的で、目鼻立ちがしっかりしている。俺も顔は似たようなものだが、身長は百八十センチをこえており、顔をじっくり見比べられないとまず兄弟だとわかってもらえない。


「カズくん、元気そうだね」

「元気だよ。ナオくん相変わらず派手だねー! 似合ってるけど!」


 俺は髪を金色に脱色し、派手な柄シャツを着ていた。これが俺の「いつもの」格好である。学生時代からの癖で、外見だけはなめられたくないのだ。一応、この髪色でいいかどうかは兄に確かめてはいた。さすが個人営業の店。全く問題ないという。

 階段を降りながら、兄がこう言った。


「まずはちらっとお店見て行く? オープン前だけど内装はできてる」

「うん」


 駅を出て徒歩三分ほど。兄に案内されたのは、いかにも純喫茶、という佇まいの落ち着いた外観の店舗だった。扉にはガラスがはめられていたが、電気がついていないので中はよく見えなかった。そして、まだ看板はなかった。俺は兄に聞いた。


「店の名前、何ていうの?」

「平仮名で、くらく」

「そのままじゃん」


 俺たちの苗字は「九楽くらく」という。


「意味は込めたよ? ここを訪れるお客さんと苦楽を共にしたいなぁって」

「なるほどね」


 兄が鍵を開け、店に入ると、真新しい木材の香りがした。ダークブラウンの色調で整えられた二人がけのテーブル席が二つ。カウンター席には椅子が六つ。そんなに大きな店ではないらしい。壁はレトロなタイル張りで、俺はそれが気になった。


「壁……お金かかってそうだね」

「ああ、そこだけは前のまま。前もここは喫茶店だったんだ」

「居抜きってやつ?」

「半分は。設備は古かったから新調したよ」


 俺はテーブル席に腰掛けた。椅子は新品なのだろう、クッションにはハリがあり座り心地が良い。ここからだとカウンター越しに厨房が見えるか見えないか、という感じだ。兄も俺の向かい側に座った。

 しょっちゅう連絡は取っていたが、こうして兄と顔を合わせるのは本当に久しぶりだった。とはいっても、兄の顔の右半分は前髪に隠れて見えないのだが。火傷の痕があるのだ。


「それでねナオくん。ここであっちの仕事もするつもり。事務所代わりだよ」

「ああ……そういうこと」


 兄は霊視能力を持っている。死者と話ができるのだ。

 俺も詳しくは知らないが、九楽の家系にはそうした能力を持つ者がたまに生まれるらしく、兄もその内の一人だ。ちなみに俺は全くそういうのはわからない。

 兄は続けた。


「今まで色んなとこ転々として稼いでたんだけどね。そろそろ居場所を決めてあちらから来てもらった方がいいと思って。僕も節目の年だしね」

「ああ……直接言ってなかったね。三十歳おめでとう」

「ありがとう。ってことはナオくんは二十五歳かぁ。お互い大人になっちゃったね」


 兄はタバコとライターを取り出した。テーブルの上に灰皿があるとその時気付いた。


「カズくん、ここ喫煙可にするの?」


 タバコに火をつけ、兄は言った。


「うん。湊中央駅の喫煙所がなくなったからね。喫煙者を呼び込めるっていう魂胆」

「……俺にも一本」

「やめてたんじゃなかった?」

「目の前で吸われちゃ我慢できないよ」

「悪い悪い」


 俺は兄にタバコをもらった。久しぶりの喫煙でハイライトというのは少々キツかったかもしれない。多少気だるさに襲われた。兄の想定しているこの店の客層は大体わかったが、どんな雰囲気にするのか知りたくて、こう尋ねた。


「音楽かけるの?」

「いやぁ、僕、そういうのセンスないからさ。なくても別にいいかなって。静かな空間にするよ。ただ、接客は愛想よく頼むよ?」

「任せてよ」


 二人ともタバコを吸い終えて、兄が立ち上がった。


「まぁ、詳しい話はゆっくりね。家に行こうか」


 店を出て、住宅街を十分ほど歩いたところに小綺麗なマンションがあった。入口はオートロック。こちらも金がかかっていそうだ。兄が言った。


「ここの九階ね」

「相変わらず九にこだわるね」

「たまたまだよ。リビングの他に部屋が二つある物件探してたらここになった」


 そして、俺の新しい住処になる部屋に通された。既に俺が送った段ボール四箱が運び込まれていた。社員寮にあった生活用品はあらかた処分しており、服くらいしかなかったのだ。家具は兄が用意してくれていたシングルベッドだけだがそれで十分である。


「カズくん、このままの勢いで荷解きするよ」

「僕も手伝う」


 段ボール箱を開け、備え付けのクローゼットに服をかけていった。ずらりと並んだ俺のコレクションを見て、兄は顔をほころばせた。


「……柄シャツばっかりだね」

「好きなんだよ。けっこう高いんだぞ?」

「店で働いてもらう時は白シャツ黒エプロンね? それはもう用意してる」


 あっという間に荷解きは終わり、リビングでコーヒーを頂くことにした。リビングには二人がけのダイニングテーブルとソファがあった。これも兄らしい落ち着いた色調の家具だ。俺は椅子に座り、コーヒーを一口飲んだ後、兄に尋ねた。


「で、カズくん。霊視ってそんなに稼げるわけ?」

「まあ……税務署に申告してない真っ黒なやつだからね。そこの辺りよろしくね?」

「はいよ。普段は普通の喫茶店装えばいいわけでしょ?」

「そういうこと」


 湊市での新しい仕事。雇い主は兄だし、霊視は特に手伝う必要もないし、注文を取ってコーヒーを運べばそれでいい。気楽な生活が幕を開けた。

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