3話 商いの初め

 翌朝。龍華は早く起きて今日行うべきことを瞑想を礎に考えていた。

 朝の静寂は靄の簾によって覆われ、通りを歩く喧騒もまた遠い。静かに息を吸いて吐いて。今日やるべきことを頭の中で纏めていく。

 そんな龍華の集中を削ぐが如く。竜骨寺の前通りを足音高らかに歩く存在がいる。定期的に来るその足音はやがて晴れてきた靄から足早に姿を現した。

 靄を掻き分けてくる一団が、縁側に座る龍華に目もくれず道を歩む。槍を持ち、弓を携えたその集団こそ貫雀かんじゃくの中を守護する「守り武」。この街の頼れる武力だ。

 龍華も玄突から聞いていたが、毎朝毎夜のように道の隅々まで見回っていき、西朝の都に闇に潜む闇狩りだす。彼らは貫雀かんじゃくの安寧を保ち、さらに改善すると豪語しているが。

 「できませんよねぇ、そんなこと」

 賊の類ならいざ知らず、言葉も話せぬハナビトは人語を解さないからこそ、強い。それもそのはず、華売りだけでなくハナビトすら華によって生きているのだ、たとえ己の意思を失くそうとも普通の人間では勝てない。

 では龍華が普通ではないかと聞かれると、その答えは否。とはいえ普通異常には鍛錬を積んでいるつもりであり、その点でいえば賊にもハナビトにも軽々に負けてやるつもりは毛頭なかった。

 そもそも、龍華の強さもまた不思議な話ではある。理由は簡明であるが不明瞭、彼女は子供のころの記憶が欠落している。

 分かっていることは、龍華は玄突に導かれてここまで来た。記憶に残っている10歳のころから走り回るのが好きな餓鬼女だったが、まさかここまで強くなれるとは龍華自身ですら思わなかった。

 玄突に曰く、華売りは成人の契りの後「華の契り」と呼ばれる儀式を行うと強くなれるのだとか。だが龍華は玄突に不要と言われ行っていない。ただ覚えているのは、10歳より若い時に何かの華を食べさせられた記憶。これが今の龍華の強さの秘訣ならば、皮肉でしかないと龍華は思っている。

 思索の波向こうから視線を感じる。龍華が目を開けると、狐の仮面をつけた守り武の1人が龍華に視線を向けていた。

 若い男だろうその視線にじっと応えながら、龍華はじっと彼の瞳を見る。やがて龍華の視線に耐えかねたか仲間に呼ばれたか、彼の方から視線を逸らして元の道に戻っていく。それを見届けて、龍華はため息をついた。

 悩みの原因は守り武の視線ではない、己の師匠から感じた老いのことだ。

 玄突はそれこそ10年前、賊からハナビト、あるいは敵対的な華売りから見ても敵なしだった。それが引退を考えるまで老いるとは、人の一生は短いものだ。

 「あるいは、貴種ならば……無駄な考えだな、やめよう」

 貴種ならば、という願いは無駄な話だ。玄突は人間でしかない。

 不老と呼ばれるほどの長い寿命を持つ耳が横に長い種族、それが貴種。

 東西朝には少ないものの、北の大峰道にはそういった種族の集落も存在する。

 秘里ひりと呼ばれるその土地は乳白色の霧が深くたちこめ、まるで今の西都のように靄がかっていると聞く。

 年がら年中そのような有様故、耳が長く育ち目も鋭く育つのだそうな。だが玄突は人間であり、機種ではない。想像するだけ無駄な考え、とはそのことだ。

 やがてまた一団、武装した守り武たちが霧の中に消えていく。繰り返す景色を見飽きた龍華はやおら立ち上がり、霧向こうに消えていく守り武たちを見届けて竜骨寺へと戻っていった。


 竜骨寺は鯨の頭蓋を天井に掲げた不思議な寺だ。西朝は南に海がある地理の関係上、時々だがクジラのような大物を捕えることがある。この鯨の骨もその折の代物だが、飾った理由は単に玄突庵主の趣味だそうな。

 「鯨を見たことはあるか?大きく力強く海原を泳ぎ、大口で魚を喰らい、時に船すら襲う傑物だ」

 玄突の宗教説法──には程遠い知識自慢。その途中にこういった言葉が投げかけられる。龍華は何度となく聞いているため耳に多胡、ならぬ痣でもできてそうだが。

 今ここにいて聞いている側、子供たちは様々な反応でその言葉に応じた。遠めに見たことがあるもの、船でこの街についた時見たもの、骨──竜骨寺の天井に鎮座するそれしか見たことないもの。

 だが言葉を尽くして偉大さを語れる子供はほぼいない。ほとんどが骨のみの知識であり、無知だ。尤も龍華とて実際に鯨を見たことはない、書物の彩色絵図で流し見したくらいか。

 「うむ。見たことあるものはほとんどいないか。──視よ、この大きな骨を」

 そう言いながら法衣の玄突が天井の骨を指し示す。龍華から見ればまるで大きな鳥の嘴みたいなその骨は、見たこともない怪物の象徴。このようなものが世界にいるならば、まだまだ世界は大きく広がっている。そういう想像を龍華にすら思い起こさせる。

 「己の小ささをこの骨で知ることだ。そしてそこから、己をどう大きくするのかよく考えること。それがこの世で生きる糧となろう」

 玄突の言葉の難しさはしかし、大人である龍華にとっては懐かしさを感じる者。それと共に、子供の頃の己の態度にただただ苦笑しか出てこない。そして10もいかぬ子供らは昔の龍華よろしく、玄突の言葉は分からなかろう。

 それでも龍華と違い、素直な子供たちは「はーい」と元気よく応じる。西朝の子供だからだろうか、純真な子に玄突も見たことのない笑顔を見せる。

 「うむ、うむ。では今日の習いを始めるぞ。文字の帳簿は持っておるな?無いものは申し出よ、新しく与えるでな」

 玄突の周りがにわかに騒がしくなる。それを確認して龍華は経堂を離れた。

 外に出て、母屋に向かう。いまだ霧は晴れないが、見たおきたいものがあった。本当ならば玄突に西都を案内してもらいたかったのだが、日課とあれば致し方ない。

 いつも通り護槍を持ち、腰にも護刀も佩く。籠と中身の華は玄突が見てくれるそうなので、必要以上のものは持ち歩かない。最後に銭が入った財布を懐に入れて、竜骨寺を出た。靄が晴れた後の水っぽさが龍華の鋭敏な鼻を突く。

 朝早いというのにすでに多くの人々が出歩いている。龍華は群衆に自然に溶け込みつつ、槍を杖にしてずんずんと人の流れを切り裂く。ともすれば目立つその行動も、籠がないせいか容易く受け入れられた。

 「こうしてみると、西都にも活気があるわね。出回ってる珍奇も多いし、見ごたえがある」

 人々の衣装を東都のそれと見比べて、この都の繁盛ぶり窺い知れる。それに決定的な違いとして、貫雀かんじゃくには大水路が3本しかない。

 東都は網のように水路が組まれ、近くの海に繋がっていた。逆に西都は陸路に活路を見出し、多くの馬宿と御厨を無料で開放している。

 いうならば東都は水の都、西都は馬の都か。船の代わりに馬が、水路の代わりに大きな道が。人夫の代わりに大八車が荷物を引いて行きかうあたり、都市に比較はできない考えを龍華に植え付ける。

 同時に、木板が並ぶ通りには貧民も多く見受けられた。春だからか、ところどころに蠅の集った動かない貧民もいる光景が西都の現状も突き付けている。少なからず数が多いのはしかし、東都ならばすぐに水路に放り込まれるからだろう。どちらがいいかは、龍華に判断しづらい。

 本当なら葬ってやりたいが、死体は陰の卦を纏う。西朝に来たばかりで緊張している龍華は陰卦に纏われやすい。

 それに今、龍華は竜骨寺の客人。病に当たっては玄突にも迷惑をかけることになる。

 (ごめんね)

 そう心の中で、何にもならない言葉をつぶやきながら死体から目を逸らした。


 「……ここよね。玄突の紹介してくれた大店おおだな

 木板の通りを抜けると、そこはひときわ大きな目抜き通りとなっていた。この通りは南北に西都である貫雀かんじゃくを貫く通りで、この区画は土地を買って店を開くことを許されている。必然、金子が集まるためこの区画は大きな店しかない。

 龍華が大通りから出た角、そこから右に見て三軒目の薬屋。玄突が築き上げた人脈の一つを龍華は頼ってみることにした。

 「もし」

 暖簾を押し上げ、静かな店内に龍華が声をかける。綺麗に正装された平屋の薬屋には男性が一人黙って帳簿を付けていた。薬の数か、金勘定か。何にせよ商いではなく仕事の最中、男は龍華をあしらうかの如く声を上げる。

 「はいはい。今忙しいんで──」

 「玄突の紹介で来ました」

 追っ払おうとした男の声に重ねて龍華が声を出す。玄突、その名前で漸く男は顔を上げた。

 「……なんだい、玄突さんの使いかい」

 「いいえ、使いってわけではございません。玄突庵主の、華売りとしての弟子です」

 龍華の言葉に男は目を見開いた。何かに驚いたか龍華はすぐに判読できなかったが、彼から文字通り驚きの声が漏れてようやく理解し苦笑する。

 「へぇ。嬢ちゃんが弟子かい?」

 「試してみますか?私だって玄突庵主の愛弟子ですよ?」

 「い、いや。悪いな、女の華売りと会うのは久しぶりで。しかも庵主の弟子っていうから山賊めいた粗野な男を想像しちまった、すまんすまん」

 どうやらこの男は華売りとの面識もある様子だが些か失礼。心の中で憤慨しつつも顔色は冷静に、龍華は腰を入れて店に入り、陳列された壺の中身を見渡した。

 見たことのない品だ。華ではないものの、かといって効能がなさそうなものは一つもない。

 蛇殻と呼ばれるキノコに、大きな虹色のうろこは海に住む魚人のうろこ。どちらも毒を打ち消す、めったに手に入らない珍薬だと聞いたことがある。

 「……珍しい品しか、ないわね」

 「うちはそういう店だ。そして、その中には西朝では珍しいハナビトの華も含まれる」

 なるほど、そういうことか。龍華は目の前の男の人脈の広さを容易に察することができた。

 珍薬は平民には出回らない。手にするのは王侯貴族のみ。つまりこの男は貴族とも、様々な珍薬を持ってくる商人ともつながりがあるということ。いい気はしないがそれでも、玄突がこの男とつるむには訳があるだろう。

 「それで?玄突の弟子さんが何か御用で。用があってきたんだろ?何が欲しい、何が聴きたい」

 男が本題を龍華よりも先に聞き出す。せっかちな言葉だが心理、男の言葉に姿勢を正して龍華も男を見た。

 「話をしたいんです。──西都にいる華売りを教えてくださいな」

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手向け、ハナビトへの華を  @idkwir419202

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