2話 竜骨寺

 騒乱の場、龍華の殺気すら微笑んで受け流すその老人は、彼女に向けて屈託のない笑みを投げかけた。

 死者への謂れなき言葉に怒心極まれり、といった表情だった龍華だったが。邪心のない老人の笑顔に己も曖昧な笑みを顔に張り付ける。

 既知の顔故怒らぬが、それでもこの場で怒れぬほど老けたと龍華は思ってしまう。

 それでも老人が放つ穏やかな覇気は、ともすれば依然あった時よりもずっと、ずっと濃い。──龍華の師匠である老人は寺での修業を極め、なおかつ武門も未だ侮りがたしといった様相に見えた。

 師匠の笑顔から視線を外し、龍華は足元の死体を見下ろす。物言わぬ二人の骸は、野ざらしにしていいわけがなかった。

 「お師匠様。彼らを弔ってやってください」

 「うむ。承った」

 師匠である禿頭の老人──玄突庵主は弟子の龍華の言葉に頷きを返し静かに近寄った。そして二人の哀れなる骸に、どこから出したか瓢箪を取り出し中身を振りかける。微かに漂う独特な香りが、瓢箪の中身が酒であることを龍華にも伝える。 

 ともすれば庵主が酒を持ち歩くその様は破戒僧に見えるが、龍華はよく知っている。酒は百薬の長にして傷薬であり、適量護れば臓腑に活を満たす気付けにもなる。

 そして。龍華は亡骸を見つめた。酒は清めの水でもあり、亡骸を少しでも永く現世に保つ防腐の薬でもある。

 「さ。天国でゆるりと酒を楽しまれよ」

 一口もつけてないだろう清らかな酒を、玄突は無垢なる願いを口にしながら二つの骸に飲ませ終えた。祝詞を口遊みながら手を合わせ、最後の別れを告げる。

 龍華ができることはここまでだ。事案の処理と遺体の検分など諸々、あとは西都の警衛たち……西朝の民たちが口走っていた「守り武」たちが適切に調べ墓に葬るだろう。

 斬り終えた先、華売りは手出し無用。それは東朝でも西朝でも変わらない。龍華は己の感情を割り切って、黙っている玄突に話しかけた。

 「お久しぶりです、お師匠様。──死んでなかったんですね、先の手紙以来2年も音信不通でしたから」

 「そうやすやすと死ねるか、痴れ者が。まぁそういうお前こそ、東の方で随分と無理な橋を押し通ってきたようだな。先に寺に向かっておれ、守り武には俺より話をつけておく」

 師匠の筆不精を揶揄したつもりが、己の無理行道を師匠はよく知っているようで。安易な言葉に皮肉を返された龍華は何も言えない。なにせ自分でもその実感があるかうえに、払った犠牲も大きかったからだ。

 「竜骨寺だ。龍華の武勇譚、思う存分聞かせてくれ。ああそれと、俺からもここの事情について話があるでな、心して待っておれ」

 「私の武勇伝なんて、酒の足しにもなりませんよ?」

 龍華の話はともかく、「ここの事情」。西朝、ひいてはここ貫雀かんじゃくの事情だろう。見当をつけた龍華は玄突がさした方向に向け歩き出した。

 玄突の柔らかな視線を感じつつ、龍華は云われた通りの角を曲がる。すぐ目前に、奇抜な形の寺が見えてきていた。


 ──竜骨寺──


 竜骨寺は玄突が庵主であり、講堂で西朝の人々や子供たちに読み書き算学を教えている。手紙の向こうで楽しそうに人々に学を教える玄突庵主を思い起こした龍華は自宅で吹き出してしまったもので。

 まじめな顔で龍華の武勇伝を聞いていた玄突の顔を見ているうちに、思い出し笑いが起きた龍華は思わず吹き出してしまった。

 「何が可笑しい」

 目の前で笑い始めた弟子を咎めつつ、玄突自身もにやりと笑う。本人が華売りを辞めていないのに寺の庵主とは、随分と良い身分で歓待されたようだ。

 「いやぁ、似合いませんわね!」

 「うるさいわ。お前が人助けをするほどではないわ」

 「失敬な。私だって人は助けます。誰かが襲われる場に居合わせれば、ですけど」

 「それ以外は助けに行かぬのであろう?」

 「場合によりますね。金子が弾めば脚は軽くなります」

 「うつけめ、如何様な場合も人は助けるものだ。もちろん俺も酒があればより良いが」

 「どっちがうつけですか、まったく」

 師匠と弟子、数年の時を埋め合わせる他愛ない会話が進むにつれ、龍華は目の前の師匠が先に見た時よりも老いていることに気が付いた。

 筋骨隆々たるその体は変わらない。だが物腰柔らかくなったその口調や穏やかながら満ち足りた気合に、龍華は師匠が当地で過ごす穏やかな日常を知る。

 「……なぜ私を呼び立てたか、分かった気がします」

 「そうか、ならばいいが」

 まじめな口調で龍華がそういうと、玄突もまじめに言葉を返す。それ以上は会話が進まぬまま、二人して用意した干し柿を加えるのみ。沈黙はこの二人にとって珍しいが、同時に長続きするものでもないことを二人ともよく知っている。

 「龍華」

 二つずつの干し柿を二人とも平らげたあと。嚥下し茶を口に含んだ玄突が不意に声を上げた。ここから先は華売りとしての話、龍華も背筋を伸ばして師匠の玄突を見つめる。

 「わしの後を継げ」

 「……分かりました」

 龍華が継ぐ稼業など一つのみ、華売りの仕事だけだ。穏やかに暮らす玄突がいうのだ、貫雀かんじゃくで築いてきた様々なツテを引き継げと言っている。

 それはつまり、東に生まれ東で育った龍華に西の地で骨を埋めろ、ということでもある。ともすれば残酷な宣告をしかし、龍華は逡巡も僅かに受け入れた。

 ──反論などない、もとより師匠から別れた後は流れの華売りだった。それがどれほど過酷か、身に染みて理解した。

 それに龍華とて20を少し超える歳となった。婚礼の契りなどは別にしても、華売りの商いとしてこの地に居所を定め、腰を落ち着けてもいい頃合い。

 ならば聞かないといけないことが複数あるが、まずはこの問いを正さねば龍華の商いが途絶えかねない。姿勢を正し、龍華は微笑む玄突に質問を投げかける。

 「この都──西都に、私以外の華売りはいますか?」

 龍華の質問は予期していたのだろう玄突が、それでも苦笑いを浮かべる。表情が答えとはよく言ったもの、率直に表情に出る玄突は如実に分かりやすい解を龍華に示していた。

 「ここを変えるならまずは都から、と思ったんだがな。どうも人とは、市井の流れとはそう簡単に変われぬらしい」

 西朝の都、貫雀かんじゃくから玄突は常識を変えようとしていた。龍華も予想していたとはいえ、それでも音を上げる玄突を龍華は初めて見た。

 華売りという仕事の重要性と、華の効能。どちらも広められれば、この国に広がる「ハナビト」という厄災を封じる手立てになるかもしれない。だのに、西朝の人々はハナビトを「骸」と切り捨てる。

 そういった安易かつ無知蒙昧な考えを捨てさせるための、学問を教えるこの寺なのだろう。龍華は竜骨寺の役割を把握して息を吐いた。

 「わかりました。──私が師匠の御意思、必ず継ぎ広げましょう」

 龍華がすんなりした許諾を述べたことに玄突はただ驚くだけ。だが龍華の覚悟を玄突もまた感じ取ったのだろう、「すまぬ」と言葉を返し頭を下げるのみ。

 もとより雑談戯言こそ多い子弟だが大事なことは言葉が少ないもの同士、その後はただ出された白湯と干し柿をつまむのみ。

 「今日は泊まっていけ、馳走もあるでな」

 「はい、さすがに私も野宿はこりごりです」

 「ほう。なら明日、子供らにあっていくか?」

 「いやぁ、私はいいです。この前も子供をいじめ過ぎました」

 「こらこら、何をやった」

 「実はですね……」

 ここに来る前の守屋の話をする。あるいはそこから国境を超える前のドタバタを手ぶり脚ぶり伝える。それを玄突は穏やかな笑みで聞き、笑い、呆れ。

 龍華と玄突の時間は、思ったよりも早く過ぎ去っていった。


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