第60話

「え?」

 何が起きたのか分からなくて呆けていると、「大丈夫ですか、絃」と月人の声が聞こえた。

 声が聞こえる方に顔を向けると、そこには大きく眉間に皺を寄せて、冷たい眼差しで八尋を見下ろしている月人がいた。

「あ、ああ。平気だ、助かった月人」

「絃が無事なら何よりです」

 月人は穏やかな口調で言いつつも、その目は怒っているように見えた。吹っ飛ばされた八尋は、俊敏に起き上がってまた絃に向かって刀を下ろそうとしていた。

「させません」

 刀を握る八尋の手首を月人が握りしめ、そのまま背負い投げした。投げられても八尋はすぐに起き上がろうとする。けれど、月人が握ったままの手首を強く握り占めているのか、ミシミシと骨が軋む音が聞こえた。八尋には相当な痛みが走っているようで、痛みで顔が歪んでジタバタとのたうち回っている。

「八尋。操られているとは言えども、絃に手を出そうなどと身の程を知るがいい」

 思わず身震いをしてしまうぐらいに、月人は冷笑を浮かべていた。

 月人が凄く怒ってる、と心の中で静かに呟く。普段の月人は、穏やかで優しい一面が多いけど、怒る時は相手に同情をしてしまうくらいに怖い。でも、それは全部絃の為に怒ってくれていることを知っている。とはいえ、やりすぎなことが多いけれど。

「絃、八尋といずれやってくる海里は私が押さえます。なので、絃は他の妖たちをお願いします」

「わかった」

 月人に八尋を任せて妖たちに専念することにした。襲い掛かってくる妖たちを蹴散らしながら、前に進んでいく。

 ふと、月人が心配になって、月人がいた方向に目を向ける。月人と八尋が白熱した戦いを繰り広げていて、それに巻き添えを食らった妖たちが吹き飛ばされていた。強さはどちらも互角だけど、どちらかと言うと月人の方が優勢だった。劣勢の八尋に加勢するように海里が月人に向かって小刀を振り下ろした。月人は、それを軽々と避けて海里に向けて足蹴りをかました。二対一の構図になって今度は月人が劣勢になるけれど、それを感じさせないくらい月人は猛攻をしていた。

 月人の心配はいらないな、と心の中で呟いて、いち早くこの状況を打開する策を考え絃は思った。

 月人から視線を外すと、数十歩の距離で惣が妖たちと戦っているのが見えた。惣の背後から一人の妖が襲い掛かろうとしているのが見えた。危ないと思い、咄嗟に青い炎を作りだしそれを妖に向けて放った。それは見事に命中し、熱さから妖が身体を埋めた。

「惣、大丈夫か?」

 駆け寄ると、惣は額にじんわりと浮かんだ汗を拭きながら、「ああ、大丈夫だ」と呟いた。惣の無事に安堵するけれど、惣が疲れた顔をしているのが見えた。

 遠くで戦っている月人や蒼士や竜胆の方を見ると、三人とも疲れた顔をしていた。全員が身を粉にして戦っているから、どうにか耐えられてはいる。でもこれが数時間に及んでしまったら、全滅は免れない。

 どうやって、この事態を収拾させるか、と頭の中で考えた時。

 目の前に一本の境界線が引かれたのが見えた。境界線に気がつかない妖は全員、境界線によって阻まれた。境界線で身動きが取れなくなった妖たちは、耳を刺すような叫び声を上げていて、思わず耳を塞いでしまった。けど、その叫びを鎮めるような低く通る声が聞こえてきた。

「俺が境界線を引く!その間にどうにかしてくれ!」

 声が聞こえた方に目を向けると、境界線の外に吹雪が立っていた。吹雪は自分の回りに境界線を囲って身を守りつつ、絃たちに境界線を引いてくれたみたいだ。

「すまない!」

 矢継ぎ早に礼を言うと、吹雪は不敵な笑みを浮かべた。

 スーツの胸元から一本の煙草を取り出してライターで火をつける。煙草を口に加えてゆっくり息を吐いた。

 白い煙が吹雪を包みながら、「俺にできることがあれば言ってくれ」と頼もしい言葉を言ってくれた。この状況で吹雪の助けがあれば、全滅せずにどうにかできるかもしれない。

 とはいえ、有象無象に溢れかえる妖たちを押さえる境界線がいつまで保てるのかが疑問だ。絃はあまり境界線の事はよくわからない。けど、境界線が永久に保てるものではないことぐらいは予想が付く。だから、直ちに手立てを打つ必要がある。

 この状況を治めるには、やはり元凶の良世を止める必要があるか、と頭の中で考えた。

 良世は、ずっと地面に頭をこすりつけるように蹲っている。遠くではっきりとは見えないけれど、肩が微かに震えていて今も泣いているのかもしれない。止めるといっても、言葉で説得しようとすると、余計に状況が悪化してしまうかもしれない。言葉以外で止めるとなると、良世と戦うか。あと一つは。

「絃、俺に考えがある」

 惣が近くやってきて、真剣な顔つきをしながら呟いた。惣はまるで覚悟を決めたように真っ直ぐとした目をしていた、ざわざわと嫌な予感がした。

「なんだ?」と、問い返す。

 惣はゆっくり深呼吸をしてから言葉を口にした。

「俺と良世を封印するんだ。そうすれば、この事態は収まるだろう」

 ああ、やっぱりそうきたか、と心の中で呟いた。

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