第59話
きっと、ナイフで刺されたのだろうと思ったけれど、お腹に刺された感触はない。それどころか、全身を包むように大きくて温かなぬくもりを感じた。
その温もりは、何故か懐かしくて覚えがあった。
「誰だ!お前は!」
困惑する良世の声が聞こえると同時に、低くて温かみのある声が聞こえた。その声は、昔よく聞いたことがある声だった。
「お前こそ、俺の息子に何をしている」
「息子だと?」
ゆっくり目を開けると、腹に刺さる寸前でナイフが止まっていた。ナイフを握る良世の手首を誰かが掴んでいるのが見えた。
手を掴んでいる人物に目を向けると、そこには白くてふわふわとたなびく長い髪の毛、両目を覆うほどに伸びる長い前髪で顔は口しか見えない。堅く口を噤んでいて、顔は見えないけど、きっと無表情を浮かべているのだろうと思った。
前髪の奥から見える真っ赤な目と合った気がした。その時、堅く口を噤んでいた口元が、花が咲いたように笑みを浮かべた。無表情に、僅かな表情が宿ったように見えた。
「大丈夫か?絃」
その声は、幼いころによく聞いたことがある気がした。ふと、脳裏に朧げな幼いころの自分が浮かんできた。
蒼士の隣に並んで立って優しい笑みを浮かべる男の姿。その男の姿はいつ思い出しても朧気でよく思い出せなかった。でも、今ならはっきり思い出せる。
その男が、今目の前にいる人と全く同じ容姿をしているから。不器用だけど、優しい手つきで頬や頭を撫でてくれた。そうやって撫でられるのがとても好きだった。
「大丈夫です。―――父さん」
目の前にいる男は、少し驚いたように奥に見える赤い目を見開いたように見えた。でも嬉しそうに口元に笑みを浮かべた。
「
竜胆と呼ばれた男は、目線だけ蒼士に向けていた。
「お前……、来るのが遅すぎだ」
「いいだろう。結果的には間に合っている。何か文句でもあるか?」
「いや、ないけどさ」
蒼士はあきれたようにため息を吐いているけど、楽しそうに頬を緩めていた。
「よく来てくれたよ、竜胆。本当に、タイミングもバッチリだ」
竜胆はふっと口元に笑みを浮かべながら、「当然だ。息子の窮地に駆けつけない親がどこにいる」と自慢げに答えた。
「絃くんの、親だと?」
良世は呆気に取られているのか、口があんぐり開いている。
「ああ、そうだ。俺の名は竜胆。紛れもなく、絃の父親だ」
竜胆の挨拶に、良世は悔しそうに唇を強く噛む。強く噛んだせいで、ぷつりと血が滲み出ている。
「なんで、絃には親がいるの?俺にはもう、どこにもいないのに」
良世は、まるで逆恨みのような言葉を言い放った。その言葉に、竜胆は、あざ笑うかのように鼻で笑った。
「まるで、子供のような口ぶりだな」と良世を煽るように口を開いた。
「何?」
その煽りに良世はまんまと乗っかっていた。良世のこめかみに青筋が立っている。
「そのままの意味だ。ああ、思い出した。お前はあの天邪鬼の子供か。憐れだな、お前の母親は蒼士との約束をまんまと破った。なのに、息子の成長した姿を見たいから無効にしてくれと、泣き叫んでいたな。母親がそれなら、息子もこうなるか」
「母を侮辱するな!」
良世は掴まれているナイフを抜こうとするけれど、びくともしないようだ。
「いいか、よく聞け」
竜胆は顔を良世に近づけた。
「お前の母親はいない。さっきも蒼士が言っただろう。約束を破った罰として蒼士が退治した。いい加減に現実を受け止めろ」
竜胆はもう一度良世に現実を教える。でも、それを受け入れることができない良世は、ナイフから手を離して頭を抱えて号泣している。
「嘘だぁ!母さんは、生きているんだ!嘘を吐くなぁ!」
その叫び声は、狂気に満ちていた。良世の叫び声に連動するように操られている妖たちが一斉に襲い掛かってきた。
「クソっ!」
竜胆は襲い掛かってきた妖たちを蹴り飛ばして、絃を抱えたまま蒼士たちがいるところまで飛んで下がった。すると妖たちは、束になって襲い掛かってきた。妖たちの力は、ひとりひとりの力であれば、どうにか対処はできる。でも束になれば話は変わってくる。
絃は襲い掛かってくる妖たちに蹴りを入れて薙ぎ払う。けど、有象無象に襲い掛かってくる妖の対処が追いつかない。
「どうしますか!師匠、父さん!」
「どうも、こうも、ない!妖を全て倒すしかない!」
「それじゃあ、俺たちの体力が持たないぞ蒼士」
「わかっ、てるよ!」
蒼士は襲い掛かる妖を華麗な足蹴りで蹴り飛ばしている。蒼士の動きをサポートするように、蒼士の守護獣のビャクが鋭い爪で妖にのしかかっていく。竜胆は、蒼士の背後から近づこうとしている妖を片手で投げ飛ばしている。蒼士とビャクと竜胆は先代の閂様と守護獣と式神で全く隙のない連携を取っていた。こんな所で先代たちの連携を見られるとは思わなくて、絃は目で追ってしまう。
「絃、後ろだ!」
蒼士が叫び声にハッとして後ろを振り返ると、そこには刀を振り下ろそうとしている八尋がいた。体を動かそうにも、反応に遅れて足が地面に張り付いてすぐには動かせそうにない。
しまった、ボケっとしすぎた、と心の中で呟いて、相打ち覚悟で唯一動かせる右手で真剣白刃取りをしようと意識を集中させた。その時、目の前にいた八尋が、突風に飛ばされたように横に吹っ飛んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます