第58話
その姿に絃は胸がギュッと苦しくなって、いたたまれなくなった。気が付けば、惣に駆け寄っていた。子供のように泣きじゃくっている惣を見ていると、ついこの間人か妖かどちらで生きていけばいいのか悩んだ自分をふと、思い出した。
「百目鬼惣」
惣は顔だけを上げて絃を見上げていた。涙で濡れている目は、絶望に打ちひしがれていて、金色の目が薄く濁っているように見えた。声を掛けたのは良いけど、何を話すかまでは考えていなかった。でも、今ここで惣に手を差し伸べなくてはいけない気がして、惣の前に手を差し出した。
頭の中で思いつく言葉を口にする。
「お前の復讐心は我には分からない。だが、一つわかることがある。なんのために生きるか、それは明白だ。自分の為に生きるんだよ。お前がそこまでの復讐心を持つことになった経緯を察することしかできない。それでも聞いてくれ。お前は、自分でも気づかない範囲で誰かに守られていたはずだ。生きる道も本当はあるはずなのに、それを何かと理由をつけてみようとしていないだけだ」
「うるさい!」
惣は絃の言葉を一蹴する。
「俺は、百目鬼の血を引く子で、小さいころからずっと、妖が見えていたし、盗みを働いていてしまったこともあった。本当はしたくなかったのに。両親はそんな俺を気味悪がって、俺が二十歳のころに捨てたんだ!俺を捨てた両親が憎い。俺をこんな風にした先祖の妖が憎い。人も妖もすべてが憎い。俺の生きるはずの道を歩ませてくれない!」
惣は子供のような言い訳をしているように聞こえた。でもそれはきっと、今まで言う機会がなかったのだろう。
なら、ここではっきりと言ってやらなくてはならない。
「歩ませてくれないのではない、お前が勝手に諦めているだけだ」
「違う!俺の所為じゃない!」
「違わない」
「違う!」
「違わない!なら、なぜ、戦おうとしなかったんだ!妖の血と百目鬼の本能と!」
惣は、目を丸くして絃を見つめた。
「は……、戦う?」
惣は茫然としているのか、口をポカンと開けている。
「惣、お前は百目鬼の血に苦労をしている。両親はお前を捨てたと言ったが、二十歳になるまでどうして勘当をしなかった?両親が百目鬼の血を引く一族ということを知っているかは分からないが、気味悪がっていたのに二十歳まで育ててくれるわけがないだろう。本当に気味悪がっているなら、とっくに捨てられているはずだ。違わないか!」
惣は、ボロボロと両目から大粒の涙を流して、「うん……、うん……」と何度も深く頷いた。
「そうだ、じいちゃんが言っていた。捨てたんじゃなくて、更生の機会を与えたんだって……。なのに、俺は……、こんな大事なことをなんで忘れちゃったんだ……」
惣は、家族を思い出しているのか、子供のように泣き喚いて、「ごめんなさい!ごめんなさい!」と謝っている。
復讐心が惣の心や大事な記憶を消し去ってしまったのだろう。復讐心に支配されなければ、きっともっと早くに答えを見つけていられたはずだ。それに、大きな企てを考える必要もなかった。そう考えると、胸が少し締め付けられる。もしかすると、生まれも立場も違っていたら、自分がこうなっていたかもしれない。
絃はゆっくり息を吸って吐く。
「惣、お前はお前のために生きればいい。自分が納得する生き方をすればいいんだ」
惣は前腕で涙を雑に拭うと、ゆったりと立ち上がって絃の手を掴んだ。
「閂様の役割をお前に返すよ」
片方の手で、血で真っ赤に染まってしまった襟巻を絃に差し出した。その襟巻を絃は受け取った。
「もう一度、見つめ直してみるよ。自分の生き方を」
「ああ、そうしろ」
惣は、決意に満ち溢れた顔つきになっていて、初めて普通に笑ってくれた。その笑顔は、幼い子供のようだった。
「これで、一つは決着がついたか」と絃が呟くと。
「自分の納得する生き方ねぇ。いい言葉だねえ、絃くん」
今までピクリとも動かなかった良世が操り人形のようにゆっくりと起き上がった。
良世の表情は今までよりも狂気に満ち溢れている。そのおぞましさに絃は、全身の毛が逆立つと同時に、凄く嫌な予感がした。
「じゃあ、俺は閂様を殺す!そして、母さんの下に行く!」
良世は狂ったように声を荒げながら駆け出した。その手にはいつの間にかナイフが握られていた。
「逃げろ!絃!」
「絃!」
蒼士と月人が、切羽詰まった声で叫ぶのが聞こえた。隣に立つ惣が動揺をしているのが横目で見えた。良世が持っているナイフが真っ直ぐ自分に向けられていることに気が付いて、足が震えた。逃げようにも足が底なし沼に嵌まってしまったようにビクとも動かない。
鬼のような良世が一歩、また一歩と近づく度、恐怖が身の内を支配して、脳が危険を察知したのか警鐘を鳴らし続けている。けど、足が動いてくれない。
足、動け!と心の中で叫んでいると、気が付けばナイフが眼前に差し迫っていた。
「絃!」
蒼士と月人と惣が名前を呼ぶ声だけが大きく聞こえたと思ったら、いきなり目の前が真っ白になった。
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