第57話

「よく頑張ったな、絃」

 隣から聞き慣れた声が聞こえてきた。上を見上げるとそこには、笠を被り肩に小虎を乗せている男が立っていた。その男を見て、絃は心の底からほっとした。

「師匠!」

 そこには、不敵な笑みを浮かべている蒼士がいた。

「お前は、笠桐かさぎり蒼士あおし……!」

 良世は、蒼士のことを知っているようで、怨声を上げながら蒼士の名前を呼んだ。

「ん?なんだ、俺の事を知っているのか?」

 蒼士は良世のことは知らないようで、不思議そうに首を傾げている。その態度が気に食わなかったのか、良世は声を張り上げた。

「俺は、お前を知っている!母さんを……、俺の母親を連れて行った!」

 良世の言葉に蒼士は何かを思い出したようで、少し間をおいて喋り出した。

「ああ。お前はあの時の子供か。いやぁ、大きくなったなぁ」

 蒼士は昔を思い出しているのか、しみじみと思い出に浸っているようだ。

「そんなことはどうでもいい!母さんをどこへやった!幽世にいるはずだと父さんから聞いたんだ!なのに、なぜいない!」

 駄々をこねる子供のように良世は声を荒げた。

「あー、それか」

 蒼士は、明るい口調で呟くと、間を置かずに淡々と言い放った。

「お前の母親はいない」

 さっきまでの明るい口調は消え去り、蒼士は冷たい声音をしていた。その変わりように絃は、思わず驚いて蒼士の顔を凝視した。蒼士の目は、氷と同じくらいに冷たかった。

「は?」

 良世は、蒼士の言っている意味が分からないと言いたげに、顔を曇らせている。

「もう一度、言おう。君の母親はいない。なぜなら、俺が退治したからだ。なぜなら、君の母親は俺との約束を破ったからね。当然の報いだよ」

「な、なにを……。言って……、だって父さんが……」

 良世は受け入れられないと言うように、髪の毛を掻きむっている。

「どうした?良世」

 良世の豹変ぶりに惣は、明らかに戸惑いながら良世に視線を向ける。

「だって、だって……。父さんが、母さんは幽世で生きているって……」

 ぼそぼそと呟く良世に蒼士は淡々と言い放っていく。

「ああ、お前の父親は境界師だったな。君の父親には事実を伝えたけど、それが上手く伝わっていなかったようだね。なら、俺が教えてあげよう。君の両親が婚姻をする時に俺とある約束をしたんだ。愛する人と共に生きたければ、二度と人を騙してはならない、と。だが君の母親はそれを破った。当時閂様だった俺は、約束を破った妖は罰として退治すると決めていた。それは君の母親も了承したけど、天邪鬼の本能に逆らえず、人を騙して命まで奪った。俺は約束通り退治した。だから、君の母親はいない。どこにもね」

 蒼士の言葉に良世は絶望に満ちた声を上げて、地面に膝をつけた。信じないというように地面に頭をこすり付け、嗚咽を漏らしながら、「俺は、なんのために……、こんなことをしたんだ……。これじゃあ、意味がないじゃないか」と呟いている。辺りに良世が泣く声だけが響く。

 蒼士は境界線で動きを封じられていた月人とろいろを助けた。

「絃、大丈夫ですか!」

「大丈夫か!」

「大丈夫だ。月人、ろいろ」

 駆け寄ってきた月人とろいろに、絃は思わずほっとした。

「おい良世、どういうことだ!」

 息をつけたのはほんの束の間、惣が良世の胸倉をつかんで怒鳴っている。

「母さんがいないんじゃ、もうどうでもいいや」

 良世は涙を流しながら虚ろな目をしていて、惣の言葉はきっと届いていない。そのことに気が付いた惣は歯ぎしりをして、良世をドン、と突き飛ばす。良世は、抵抗することもなく壊れた人形のように地面にバタリと倒れた。惣は良世に駆け寄り、胸倉をつかむ。

「ふざけるなよ!俺の復讐はどうなる?人も妖もいらないって言った俺の言葉を肯定してくれたのはアンタだろ!お前が俺を誘ってくれて、俺の復讐は晴れると思ったのに!なんだこの低落は!なあ、言ったよな!俺の復讐は正しいってさ!今さら、どうでもいいと?ふざけるな!なぁ、答えろよ!俺の憎しみはどうすればいい?人も妖も憎いのに、百目鬼の血を引く俺はどうしたらいい?なぁ、答えろ!答えろよ!」

 惣は、怒りに満ちていて良世を揺さぶりながら声を荒げている。

「お前が言った通りに、そこらにいる人を幽世へ送り込んだし、妖を騙してお前の下に連れて行ったりもした!この作戦だって、お前の指示でやったんだぞ!」

 惣は、今までの行為を全て暴露している。絃の読み通り、実行犯が惣でその裏に良世がいて仕切っていたようだった。

 良世はピクリとも動く様子はなく、口は横一文字に閉ざしている。何も答えない良世に惣は絶望したのか、良世を突き飛ばした。良世に背を向けてフラフラと歩きながら、地面に膝をついて座り込んで頭を抱えた。

「俺は、どうしたらいいんだ……。これから、何のために生きればいい……。誰か、誰か。教えてくれ……」

 涙を流しながら、ぼそぼそと呟いている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る