第55話

「オレはずっと、現世に来てみたかったんだ!」

「これで思う存分、生きられるぞ!」

 たったの数秒で妖たちの心の声を引き出した良世は絃を見て、ほくそ笑む。

「なぁ、それは本当に絃が言ったことなのか?」

 歓喜に満ち溢れた空気の中、鋭い言葉が一瞬にして場を静まらせた。

「ええ、本当に疑問ですね。あの絃様がそれを望むとは思えません」

 その言葉に、良世は小さく歯ぎしりをしたのが見えた。

「八尋!海里!」

 異議を唱えたのは情報屋の八尋と海里だった。二人の眉間に皺が寄っている。

「なぁ、教えてくれよ。本当に絃が言ったことなのか」

 良世は涼しい顔をしたまま、「ええ、そうです」と言い放つ。

「違う!俺はそんなことは言っていない!」と、境界線を叩いて叫ぶ。

「そうか」と、八尋は頷くだけだった。

「違うんだ!八尋!俺は、そんなことは望んではいない!」

 いくら叫んでも、境界線に邪魔をされて八尋と海里には届かない。でも、わかっていても否定をしないと、自分がおかしくなる気がした。

「あいつなら、違うと叫ぶと思うがな」

「ええ、私もそう思います」

 八尋と海里は、唯一絃が行ったという事実に否定をした。その言葉に動揺するのは、妖たちだ。

「何を言っているんだ、八尋の兄貴!」

「あいつが、絃様がやったって言ったんだぞ!」

 八尋は小さくため息を零した。

「そうか。お前らは、十年間も閂様を全うしている絃よりも、さっき出会った胡散臭いアイツの言葉を信じるということか」

 八尋に賛同するように海里は言葉を紡ぐ。

「滑稽ですよ。れっきとした証拠もないのに信じるなど、相手の思う壺ですよ」

 八尋と海里は、ズバッと言い捨てる。その言葉に妖たちの中で動揺が広がっていく。

「お前ら、見てわかんねぇのか。アイツは、絃を貶めようとしているんだ。そのくらい、この状況を見ればわかるだろ」

 八尋の一喝で、妖たちを取り巻く空気が変わったように感じた。

「それに絃がこの場に居ないのがそもそもおかしい。絃は逃げたりするような奴じゃない。そんなだったら、とっくのとうに見限ってる」

 八尋はそこで言葉を切ると、閉じた扇子を良世に向けた。

「お前が絃を隠しているんだろ?答えろよ」

 絃からは八尋の横顔しか見えないけど、珍しく八尋が怒って良世を睨みつけているように見えた。

 良世は、小さく笑みを浮かべた。

「これだから頭のキレる奴は嫌いなんだ」と八尋を睨みつけながら悪態をついた。

 八尋は嘲笑を浮かべる。良世に向けていた扇子を懐に仕舞う。

「悪かったな、頭のキレる奴でさ。で、絃はどこにいる。この件は絃から直接聞く」

「どこかに絃様を隠しているのでしょう?なら、早く出すことです。そうすれば、痛い目に合わずに済みますよ」

 海里は、懐から小刀を取り出して目にも止まらない速さで鞘から刀剣を抜き、良世と惣に向けた。

 海里の明らかな敵意に良世は、ただ笑っていた。

「それはできないね。そしたら、俺たちの計画が崩れる。なぁ、惣」

「ああ、そうだな」

 良世と惣の態度に揺るぎはなかった。

「そうかよ」と呟いた八尋は懐から扇子を取り出す。閉じた状態の扇子を縦に振ると、一振りの刀へと変わる。その刀身は、月の光に当てられて異様な輝きを放っていて美しい。

「その刀は、確か……。鬼切丸か。となると、君は酒呑童子になるのかな。となると、小刀を握る鬼は、茨木童子かな?」

「そうだ」

「ええ、そうです」

 八尋と海里は、動揺せずに良世の言葉に頷く。

 良世は鼻で笑って、「皮肉だな、かつて酒呑童子を斬ったとされる鬼切丸を酒呑童子が持つなんて」と煽るように言う。その煽りに八尋は涼しい顔で淡々と述べる。

「俺もそう思う。まぁ、この刀はいろいろあって、譲り受けたものでな」

 八尋は刀身を良世に向けた。

「お前は、危険だ。絃がいないなら、俺がお前を斬る」

 八尋は良世に向けて明らかな敵意を見せるけれど、良世は、楽しそうに笑みを浮かべた。

「君にできるかな。やってみろよ」

「そう言えるのも今の内だ!」と、八尋はダッと駆け出した。それに続くように海里も駆け出した。

「やめろ!八尋、海里!」

 八尋と海里は、十分強い。それは知っているけれど、今回は相手が悪い。

「なに!」

「刀が!」

 今回は、盗みが得意な百目鬼がいる。惣はあっという間に、鬼切丸と小刀を盗みだしていた。呆気にとられている八尋と海里に、良世は静かに近づいた。

「残念、君たちじゃ絃くんの代わりにもなれなかったね。でもいい、君たちはこれから主導権を握るのだから」

「何を言ってるんだ」と、八尋が良世に向けて大きく拳を振りかぶる。良世はその拳を片手で受け止めると、八尋に顔をぐっと近づけた。

「酒呑童子。今から、お前は俺の駒だ」と良世が呟いた。

 不思議なことに良世は異議を唱えることなく、「わかった」とだけ呟いた。

 海里は、「八尋、何を言っている、のですか?」と明らかに動揺をしている。その動揺を突くように、良世は今度海里に近づいた。

「茨木童子。今からお前は俺の駒だ」と呟くと、「わかりました」と海里も素直に従った。

「お前ら、こいつに従うぞ」

「この人の言うことが正しいです」

 八尋と海里はさっきまで、良世の言葉を否定していたはずなのに今は肯定をしている。八尋と海里の変わりように妖たちは一瞬ざわざわと騒いでいた。でも、良世が妖たちに目を向けると何かが伝播したように「わかった」と全員が納得した。妖は自我が強く、誰かの命令に基本的に従うことはない。その中でも八尋と海里は特に自我が強く、たった一言だけで直に従うことはない。それなのに、良世のたった一言だけで八尋と海里をはじめとした妖たちは、懐柔された。

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