第46話

「絃さん、扉を開けてくれますか?」

「わかりました」

 絃は、普段通りにろいろと共に扉を開けた。扉はギィと音を立てて開いていく。扉の向こうでは、黒い絵の具を塗りつぶしたような真っ暗闇が広がっていた。

 その中を良世は、怯える様子もなく先に暗闇の中に足を踏み入れた。絃は暗闇を照らすために青い炎を作り出す。どこからともなくやってきたぶら提灯が青い炎をパクリと食べると、提灯の中に青い炎が灯る。提灯から青白い光が暗闇の境界を照らし出した。

「月人、ろいろ。行こう」

 月人とろいろは、静かに首を縦に振った。絃は扉の向こう側の境界に足を踏み入れた。

 提灯を照らしながら歩いていると、良世の後ろ姿を見つけた。先を歩いていた良世の足が止まって、ゆっくりと振り返った。

「待っていましたよ、絃くん。遅かったですね」

 提灯が暗闇を照らしているとはいえ、はっきりとは分からない。だから、今良世がどんな顔をしているのかも分からないけれど、笑っているような気がした。

「遅くなりました。それよりも、こんな暗闇の中をよく迷わずに歩けますね」

 絃は少しカマを掛けるように言うと、良世は人懐こい口調で「まぁ、暗い所には慣れているので」とだけ言ってそれ以上は何も言わなかった。

 カマを掛けたつもりだったけど上手くいかないか、と心の中で呟く。

「それで現世に何があったの?」と、良世に問いかける。

「それがですね、私たちもよくわからないのです。気が付いたら、妖が現世に溢れ返っていたのです。この事態を閂様に知らせるために、幽世との接点に入り込みここまで来ました。絃さん、幽世に何か異変は起きていませんか?」

 一つ聞いたことに対して、良世から十の答えが返ってきた。話しているときも意気揚々としていて、どこか自慢げな様子だ。はじめて良世と会ったときは理知的な印象があったけど、今は初めて買ってもらったおもちゃで喜んでいる子供のように見えた。どうにも拭えない違和感を絃は呑み込んだ。

「異変か……」

 絃は月人とろいろと顔を合わせると、二人とも首を横に振る。絃にも幽世での異変に心当たりはない。いつもと全く同じ日常で、妖たちの動きに異変はない。もしあれば、八尋と海里から知らせが入るし、猫又の琥珀が何かを言うはず。そういえば、八尋と海里から特に連絡は来ていない。頼んでいた惣の件はどうなったのだろうか。

「幽世には何ら異常はなかったと思うけど」

「そうですか」

 前を歩く良世の顔が暗がりでうまく見えない。けど、どこか笑っているように見えたのは気のせいで片付けていいのだろうか。

 長い道のりを終えた先に、重厚な扉が佇んでいた。この扉を開ければすぐ現世へとつながる。

その前に妖の姿へ変化しておくか、と絃は妖の姿へと変化した。変化するろいろと顔を見合わせる。すると、ろいろが一声鳴き声を上げた。それに呼応するように扉と閂がガタガタと動きはじめ、怪しい光を放っている。扉には閂があり、その閂に絃が手を向けると、ガチャン、と音を立てて外れた。

 ギィィと扉はひとりでに開き、その間から眩い光が差し込んできた。その光が眩しくて思わず目を閉じてしまう。光は徐々に収束していくと同時に、明るさに目が慣れた。

 目を開けると、その光景に絶句した。

「なんだ、これは」

 そこには現世の街並みが広がっていた。けど、おかしな点がある。道を行き交う人の中に多くの妖が紛れていた。人の数よりも妖の数の方が多く、良世の言う通りに妖だらけだった。現世に百鬼夜行が出現していた。

 妖たちをよく見ると、全員現世で生活する妖たちだった。

「何をしているお前たち!」

 絃は咄嗟に声を荒げて問う。絃の声に妖たちが反応して全員絃を見る。けど、妖たちが絃の問いに答えることはなかった。

「どういうことなんだ」

 状況が未だに呑み込めない。現世で生活する妖は全員心優しい妖たちばかりで、彼には信条がある。人を傷つけるものではなく共に生き、時に助けることだ。中には悪戯好きな妖もいるけど、人を傷つけるようなことはしない。それが今は別だ。

 現世の人に妖は見えない。けどたまに妖が見える人がいる。見える人を妖たちは面白おかしく、追いかけまわしている。逆に見えない人には、見えないことをいいことに悪戯をしている。

「やめないか!」

 これ以上優しい妖たちを暴れさせるわけにはいかない。絃は声を張り上げる。威嚇するように妖力を放つ。閂様の力は、どんな妖よりも圧倒的な力を持っている。閂様の妖力に当てられた妖のほとんどが怯える。けど、一切の効果はなかった。

「なにが、起こっているんだ?」

 閂様の力が妖たちに一切届かない状況に思わず動揺してしまう。閂様は、妖たちとって頼れる相談窓口であり、リーダー的存在。そのリーダーに対して、無視をするのは明らかにおかしい。それに現世の妖たちは、閂様である絃を無碍にするような者たちではない。動揺しつつも、妖たちを観察する。すると、全員が狂暴化した妖と同じように目が赤く光っていることに気が付いた。

「まさか、狂暴化しているのか、全員」

 それを確信させるように普段穏やかな座敷童子が獣のような雄叫びを上げた。それに続くように、全員が雄叫びを上げた。まるで狼の遠吠えだ。遠吠えを終えると、全員が絃に目を向けた。その目は獲物を捕らえた狼そのもので、明らかに絃を警戒していた。

「絃どうします?」

 月人が近くに寄ってきて耳打ちする。月人の言葉に返す言葉が見つからない。この状況をどうしたらいいのか、絃自身もわからないから。けど一つはっきりすることがあるとしたら、この状況が偶然に起きたものではなく、誰かの手によって引き起こされていること。

 これから大きな事件が起きる。お前に俺が止められるかな、と脳裏に惣の言葉がよぎる。

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