第45話
絃は、いつものように自室で書き物をして過ごしていた。その時、境界内をドタバタと走っている気配を感じた。
「誰かが入ってきたけど、何でそんな走っているんだろう?」
まるで、何かに焦っているような感じもするし、もしかしたら現世で何か異変でも起きたのかな、と考える。
自室には絃の他にろいろがいる。ろいろは守護獣であるから、扉や現世の異変を察知できる。けど、ろいろはスピスピと鼻ちょうちんを作りながら寝ている。ろいろが反応しないということは、現世に異変は起きていないということ。
迷い込んでいることにびっくりして走っているだけかな、と思いながら腰を上げた。
「ろいろ、行くよ」
寝ているろいろに声を掛けるけれど、まったく起きる気配がない。寝坊助のろいろがここまで起きないのはかなり珍しい。それほどまでに警戒する必要がない人物という事なのだろうか。
疑問に思いながら、自室から出て地下室へ続く扉に向かう。
地下の階段に続く扉を開けて、暗い階段の中を照らすように手の平から青い炎をだす。暗い階段を下りた時、丁度扉が開いた。
「絃さん!よかった、会えた!」
「え、漣さん?」
扉から出てきたのは良世だった。良世は額に汗を浮かべ、肩を上下に揺らしながら息をしている。どうしてここに良世がいるんだ、と困惑しながら心の中で呟く。
「一緒に来てください!早く!」と急に手を引かれる。
「わっ、ちょ、待って!」
この状況をまだ呑み込めていないのに、急に手を引かれるとびっくりする。まずここに来た経緯を聞かなきゃいけない。良世の手を振り払いたいけど、細身の良世からは考えられない怪力で振り払うことができない。それどころか、良世はズンズンと前に進んでいくから、上半身は前に進むけれど下半身まで追いつけなくて、つんのめって転びそうになる。
「絃!」
後ろから月人とろいろの声が聞こえた。顔だけ振り返ると、月人とろいろの視線が後ろにいる良世に注がれていた。二人は良世を威嚇するように目を細めて睨みつけていた。
「絃をどこへ連れていくつもりですか」
月人は普段からは考えられないくらいに、低い声で喋った。人の姿から、本来の黒狐の姿へ変化して、ズカズカと速足で絃と良世の前にやってきた。良世を見る月人の目は、酷く冷たかった。
「今、現世は大変なんです。妖で溢れかえっているんですよ、だから絃さんに来て欲しくて」
明らかな敵意を見せる月人に対して、良世は気にも留めていないのか涼しい顔つきで淡々と言った。その口調は抑揚がなく、棒読みのように聞こえたのは気のせいなのだろうか。
「そうですか。なら、それを早く言ってください。勝手に絃を連れて行こうとしないでください」
月人は冷たい目を向けたまま、絃の手を掴んでいる良世の手首を握った。月人は言葉に出さないけれど、「手を離せ」と纏っている雰囲気からそう言っている気がした。
良世は、月人が纏っている雰囲気に観念したのか、すんなりと絃の手を離した。
「絃、大丈夫ですか?」
月人は心配そうな顔をしながら、絃の顔を見つめた。
「うん、大丈夫だよ月人」と、笑みを浮かべながら言うと、月人は安心したのかゆっくり息を吐いた。
「すみません。急を要するものでしたから、つい」と、良世が口を開くと月人は絃の肩を抱いて、良世から距離を取った。
「月人さん、そんなに警戒しなくても。あなたの大事な主様を取って食ったりはしませんよ」
良世は、はははと冗談交じりに言うけれど、月人の警戒心が緩む様子はなかった。それよりも、月人がここまでの警戒心を示すのは珍しい。前に現世で会った時は普通に接していたのに。月人の異様なほどの警戒心に絃は違和感を覚えた。月人は間違いなく良世を敵視し、警戒をしている。でも、絃から見た良世は前に会った時と何ら変わりはないし、警戒するところはないように感じた。でも、もしかすると、絃には感じないけど、月人には感じるものがあるのかもしれない。このまま良世を現世に返すのは、まずいような気がした。
「漣さん、現世に向かうので何があったのか教えてくれますか?」
良世は顔を明るくして「ありがとうございます」と礼を言った。
「絃!駄目です」
月人は血相を変えて絃の言葉を否定した。
絃の耳元で「この人について行くのは危険すぎます。それにそもそも、現世の異変は境界師の役割のはずでしょう?我々は管轄外、絃がわざわざ出向く必要なんてないんですよ?」と早口気味に耳打ちした。
「同感だ」と、ろいろが、ぴょんと月人の肩に乗って、小さな声で言葉を続ける。
「絃、俺も月人と同じだ。琥珀じゃないけど、アイツについて行くのはダメだと直感的に言える。それでも行くか?」
ろいろの黒い目が真っ直ぐと向けられる。月人とろいろの言葉は絃も理解している。それでも、行かなくてはいけない気がした。
「それは僕もわかってるよ。どう見てもおかしいことくらい。でも、このまま漣さんを現世へ戻す方が返って大事になる予感がしているんだ。だから、一緒に来てくれないか?」と、二人に耳打ちする。すると、二人はやれやれと言いたげに、小さなため息を吐いた。
「わかりました、絃について行きます」
「わかった」
二人は、少し不満げだったけど納得してくれた。でも、二人の忠告を無下にしてしまった気がして、少し罪悪感が湧き上がった。
「ありがとう、二人とも」と、小さく頭を下げた。
「頭を下げないでください、絃。それにそんなバツが悪そうな顔もしないでください。私は絃を信頼しています。だから、その判断について行くだけですから」
月人の口調は穏やかだった。ろいろは、月人の言葉に首を縦に振っていた。
「そうだぞ、絃。気にするなよ」
月人とろいろの言葉が嬉しくて、つい頬を緩んでしまう。
「話はまとまったかな?」
タイミングを見計らったように良世が問いかけてきた。
「もちろん。彼ら二人も一緒に現世へ行きます」
「そうですか。では行きましょう」
良世は人懐っこい笑みを浮かべて、背を向けて扉の前に立つ。それに続くように絃と月人とろいろも扉の前に立つ。
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