第43話

 蒼士が閂様となった当初、一人の野狐と出会った。

 白い髪の毛は腰にまで届くほどに長く、くるくると毛先が丸まっている。前髪が長く、間から見える目は赤い炎のように見えた。

 その目が蒼士を睨みつけていた。

「なにをしているんだ?」

 問いかけるのも空しく、野狐はそっぽを向いてしまった。話しかけるな、とでも言っている雰囲気を感じたけれど、そのまま見過ごすことができなかった。そっぽを向いたまま野狐は歩き出した。

「待て」

 気が付けば引き止めていた。野狐は、制止の言葉に答えるように顔を蒼士に向けた。まるで、運命を引き合わせのように頭の中で浮かぶ言葉をそのまま口にする。

「一緒に来ないか?」

 手を野狐に向けて手を差し伸べる。

 野狐は、困惑しているのか前髪の奥にある目が揺れている。野良猫のように警戒しながら、歩み寄ってきてその手を掴んだ。

「行く」

 そのたった一言が、きっと運命の引き合わせだったのだろう。

「俺は蒼士。笠桐蒼士だ。閂様だ」

竜胆りんどう

 野狐はぽつりと呟いた。

「竜胆か、よろしくな!」

 竜胆は、小さく首を振った。

 蒼士は竜胆を式神として、生活を共にした。

 閂様の仕事はそう簡単なものではない。妖の相談に乗りつつそれが幽世全体や現世にまで及んだときは、それなりの措置を取らなければならない。

 蒼士が閂様をしていたころは、幽世の治安はあまりよくなかった。現世で裏側の人間がいるように、幽世にも悪を企む妖がごまんといた。妖たちは、幽世の町で悪戯をしたり、現世に住む妖たちは人へ悪戯をする。

 幾ら措置をしても、手が回らない状況ばかりだった。でも、一番大変だったことがある。

 それは、人と妖との恋愛だった。特に人と妖の恋は禁断というわけではない。けれど、恋をした妖によっては縁切りを勧めたときもあった。

 一つは、百目鬼と人との恋。百目鬼は、良い妖か悪い妖の区分に当てはめるとしたら、悪い妖に該当する。百目鬼は、盗みを働く妖。百目鬼が現世で生活したら、息をするように盗みを働いてしまうだろう。それが、故意でなかったとしても人に害をもたらしたことに変わりはない。そんな百目鬼は人に恋をしてしまった。百目鬼は自分の本能に打ち勝ち、愛する人と現世で生活したいという強い希望があった。当然、それを許すわけにはいかなかった。けれど、地面に頭をこすり付けて土下座する二人に心が揺れてしまった。結局、条件付きで許可を出したものの、結局百目鬼は盗みを働いた。条件は、盗みを働いたら幽世へ戻るという名の退治だ。蒼士は、その百目鬼を退治した。人にも同意を得た故で決めた条件であったけれど、人は恨みを込めた目でこちらを睨みつけていた。腕の中で眠る生まれたばかりの赤子がふいに笑ったのを、今でも覚えている。

 人と妖の恋で思い出すのは、もう一つある。天邪鬼と人との恋だ。天邪鬼は人の心中を探って姿や口調を真似する悪い妖。そんな妖に恋をした人はだいぶ趣味が悪い。百目鬼の時と同じように現世で過ごす許可が欲しいと土下座をしてきた。天邪鬼が現世で生活したら、紛れもなく害だ。許可を出すわけにはいかなかったけど、熱心な二人にまた負けて許可を出した。それから数年が経ち、天邪鬼は人を騙した。天邪鬼とひそかに人に害をもたらしたら、幽世へ戻る条件を提示していた。現世に向かい天邪鬼が住む家に行くと、そこには覚悟を決めた天邪鬼がそこにいた。天邪鬼の隣には涙を流す人と、不思議そうな目で蒼士をみる子供がいた。子供がいる前で、退治するわけにはいかなかった。それはきっと、まだ幼い絃とその子供を重ね合わせたからだろう。天邪鬼を幽世へ連れ出し、そこで退治をした。

 絃には父親も母親もいた。

 その父親は実を言うと竜胆。母親は境界師だった女性、狐井円きつねいまどか

 絃は円の生き写しのようによく似ている。腰まで伸びる長い黒髪、空と同じような青色、花顔で仏のような優しい笑顔が印象的だった。性格も絃と同じで優しく、正義感のある人だった。

 円との出会いは、現世で悪戯をした妖を追ってきたときに、一足早く円はそこにいた。凛々しい立ち姿で境界線を引く姿に少しだけ見惚れたのは、竜胆には内緒だ。その時にはもう竜胆は円に惹かれていたのだろう。竜胆はあまり多くは語らないが、円といる時は少しだけ笑みを浮かべていることが多かった。

 竜胆とは、式神という主従関係を結んでいるけれど、多くの歳月を共にしてきた友人のように感じていた。その友人に永遠に訪れることはなかったであろう、春を純粋に喜んだ。

 やがて、二人の間に子供が生まれた。難産の末に生まれた子供に名をつけたのは竜胆だった。

 竜胆は産声を上げる赤子を優しく抱き上げて、腫れものを扱うかのような優しい手つきで赤子に触れた。

「名は、絃。人と妖を繋ぐ、いと。どうだ、円?」

 円は荒い呼吸を整えて、温かな笑みを浮かべた。

「ええ、ええ。いい名前。絃、生まれてきてくれてありがとう」

 竜胆は円が絃に触れられるように軽く寄せると、円は絃の頬を摩った。

 この日が、何よりも幸せな時間だった。けど、そんな時間は長くは続かず、すぐに終わってしまった。

 円は、産後のおい立ちが悪く、絃の成長をその目で見届けられぬまま、命を閉じてしまった。泣き叫ぶ竜胆と絃を宥めるのは大変だった。

 それから、竜胆とともに絃を育てた。

 絃がある程度大きくなると、竜胆は姿を消してしまった。

 それは、絃を見捨てたという事ではないことを蒼士は知っている。

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