第28話

 幽世での生活は、とても快適だった。絃も月人もろいろも、みんなが優しくしてくれて、その優しさに思わず涙が流れそうになるほどだった。

 現世の生活は一体何だったのだろう、いっそ嫌な悪夢だったんじゃないかと思うくらい、幽世は居心地が良かった。

 人に接する度に深く傷ついていた心の傷が、一気に塞がっていくのを感じた。

 料理は月人が作ってくれているけど、申し訳がなくて毎食作る様に心がけた。

 月人と出会った当初は、警戒されていたのか感情が全く見えなかった。けれど、最近は少しだけ笑ってくれるようになった。

 幽世で生活していく中で、妖とも仲良くなれたし絃や月人、ろいろとも仲良くなれたように感じた。

 でも、どうしてかどこか寂しいと感じる時がある。

 人である葉子は妖にはなれない。幽世がいくら居心地良くても、所詮はつまはじきもの。本来はここに居てはいけない存在だから、元の世界に帰らないといけない。

 けれど、それが凄く怖い。戻ったら、また心に傷を負う羽目になるなら、まだ幽世にいたい。でも、いつまでもここにはいられない。

 いつかは、区切りをつけないと。そう思いながら、屋敷の縁側に腰を掛けた。

 空を見上げると、どんよりとした雲に覆われて太陽の光がうっすらと差し込んでいる。眩しい光が苦手な葉子にとって、幽世の天気は過ごしやすい。

 夜になると、提灯に火が灯って道を照らすさまは、幻想的で美しい。テレビで報道される幻想的な風景を見て、いつか、そんな風景を一度でもいいからこの目で見てみたいと思っていたことが、叶った。嬉しいと言えば、嬉しい。でも、どうしてか心の底から喜べないのはなんでだろう。

「月人!油揚げが食べたい!」

「ろいろ、さっき昼ご飯を食べたばかりですよ」

「でも、お腹が空いた!ちょっとだけ!ちょっとだけ!」

「ちょっとでもダメなものはダメです。夕飯まで我慢しなさい」

「えぇ~、ケチぃ」

「月人、ほんのちょっとくらいならいんじゃない?」

「絃!」

「……いいえ、それはなりません。ろいろのことです。きっと全部食べてしまって、夕飯が食べれないと言うはずですから」

「あぁ〜、確かに。ろいろ、夕飯まで我慢しようね」

「絃の裏切り者~!」

 部屋の奥で、絃と月人とろいろがわいわいと話をしているのが聞こえる。

「楽しそうでいいな」

 今まで、ああやって話せる友達ができた試しがない。いつだって、傍観者の立ち位置で誰かに心の内を明かせたことはなかった。

 だから、優しい言葉を掛けてくれる男性に弱くて簡単に惚れてしまう。嫌われないように、後ろを一歩、二歩、三歩下がって歩く上品な人に見られるように努力をした。

 でもそんな努力が無駄と言うように、友達とは言えない知り合いの可愛くて美人の同僚に、いつも横から奪われていく。奪われた彼氏を取り戻そうなんて考えた事は一度もなかった。友達がいないから、彼氏が奪われたことを自分のことのように怒ってくれる人なんていない。

 周りは、彼氏を奪い去った彼女を責め立てることはしないで、どういうわけか葉子を責める。奪われた彼氏ははじめから彼女と付き合っていて、葉子がそれを奪った。だから、彼女は取り返したんだと、当然のように口にしていく。そうじゃないと、唯一知っている彼氏は便宜を図ることなく、彼女に言いなりになって暴言を吐く。それが傷ついている心に塩を揉み込んでいく。でも、反論ができないからいつも、泣き寝入りするしかない。

 奪われた元カレが結婚すると知った時、凄く悲しかった。本来なら、その同僚が身に着けている指輪は、自分が身に着けていたかもしれないと思うと、悔しくてたまらなかった。二人の結婚を祝福する声が憎たらしかった。周りが憐みの言葉を投げかけてくるのも、嫌だった。

 結婚した彼は、今までで一番好きだった。私を見てくれた。それが嬉しかった。叶う事なら、ずっと一緒に居たかったのに。その願いは叶わなかった。

 自棄になってしまって、嘘のように好きだと吐いた今の彼氏と同棲している。はじめは好きになろうと努力したけど、無意味だった。一緒に生活する度に、どんどん憎たらしくなってくる。仲睦まじい関係を築けると淡い期待をした自分が愚かだった。

 幽世で生活をして、絃と月人とろいろの関係性が羨ましいと思った。その関係性の中に入りたいと思ったけど、つけ入ることなんてできない。人と妖の違いもあるだろうが、三人には固い絆がある。その絆につまはじきものが入れるわけがない。

 でも、三人のやり取りをみていると、心が少しホッコリする。いつか、自分も三人のような関係性を築けるかなと期待したくなる。

 わいわいと話をする三人の会話を聞きながら、庭の風景を見ているとだんだん眠くなってきた。うつらうつらとしてくる視界の中で、これからの事を考えながら意識を手放した。

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