第27話
沢山ある部屋の中で、月人に近い部屋を葉子に案内した。もし、葉子が怪しい動きをしたときにすぐに月人が、動きを封じられるようにするため。でも今の所、怪しい動きをする様子は伺えないけど、油断は禁物。
時間は昼時を過ぎていたが、遅めの昼食を葉子とともにとることにした。
月人は、もともと用意する予定だった蕎麦を茹でている。暑い夏の蕎麦は美味しいが、作る側はこの瞬間が一番の苦痛だ。元々暑いのに、沸き立つ湯気に皮膚を攫われて、どっと汗が噴き出る。でも、蕎麦を美味しく食べる絃とろいろの顔を想像すれば、熱さなんて感じない。
茹で上がる時間が経つと、さっとザルに移して流水で流す。今回は葉子の分まで用意したため、全部で四玉分。それなりの量だ。
一玉分だけ、まな板の上にのせて軽く切る。これはろいろの分。ろいろが食べやすいように一口大に切り、餌皿の上に置く。つゆは、ろいろ用にかなり薄めたものを蕎麦の上に掛ける。
「おいしそうだな」
きらきらと蕎麦が輝いていて、切られているけれど美味しそうだった。
蕎麦とつゆをお盆に乗せて、居間へ行く。居間には小さく縮こまって座る葉子と、珍しく未だに妖姿の絃、ろいろが揃っていた。
「茹で上がりましたよ」
机の上に置くとろいろが、ぴょこっと机から顔を出した。目を輝かせて「うまそー!」と声を上げた。
妖の絃は、人の姿と比べるとあまり笑うことは少ない。けど、ろいろの行動を見て和んだのか口元が緩んでいる。それに気が付いたのか、恥ずかしそうに少しだけ咳ばらいをした。
「月人、ありがとう」と感謝を口にしながら、温かな笑顔を向けてくれる。
それがどんな事よりも、嬉しい。
「では、いただきましょうか」
「ああ、いただきます」
みんなで手を合わせてから、蕎麦を掬って食べる。コシがきいていて凄く美味しい蕎麦だ。
美味しい、と心の中で呟く。
「月人!うまいぞ!」
ろいろは、うまいと言いながら、はぐはぐと懸命に蕎麦を食べている。ふわふわの尻尾をぶんぶんと振っている。
「それは良かったですよ、ろいろ」
蕎麦を啜りながら、ちらっと絃を見る。人の時の絃は、ろいろと同じようにすぐに感想を伝えてくれるけど、妖の姿で食卓を囲ったことがない。だから、どんなことを言ってくれるのか、少し気になった。
絃は、蕎麦をつるつると啜ると、ゆっくり咀嚼して、嚥下をする。その所作は流れるように綺麗で、ついつい見入ってしまう。蕎麦を食べた絃は、口には出さないけれど美味しいと言うように口元に小さく笑みを浮かべていた。
よかった、美味しいみたいだ、と心の中で呟くと同時に、頬がゆるゆると緩んでしまう。
緩む頬に喝を入れて、葉子に視線を向ける。
葉子はちまちまと蕎麦を啜っている。もぐもぐと咀嚼して飲み込むと、どうしてか両目が潤んでいた。涙を堪えようとしているのか、咀嚼のペースを速めて、蕎麦を頬張るように食べ始めた。
ご飯を食べて涙を浮かべるほどに、苦悩な生活をしていたのだろうか。
葉子を頭の先から足の先まで、盗み見る。黒い服に身を包んでいるせいもあって、体つきはよく分からないけど、華奢な体だ。骨のように細い手を掴んだら、簡単に折れてしまいそうだ。
今まで、何を食べて生きてきたのだろう、と疑問を抱くほどに葉子は細くやつれていた。
それから、葉子との生活が始まった。
当初月人は、家の炊事をしながら葉子の動向を探ろうと思っていた。
「月人さん、お掃除を手伝いますよ」
「私も何か料理をしますよ。簡単な物しか作れませんが……」
葉子は、月人の炊事を手伝ってくれた。流石女性と言うべきかすべてにおいて全くの抜けがなかった。
葉子が作るご飯は、洋食といってオムライスなど珍しいもので、どれも一級品だった。食事について褒めると、褒め慣れていないのか照れくさそうに顔を赤らめた。
一日の行動を見ても、不審な動きをすることはなかった。それは、深夜も同じだった。深夜は、泥のように眠っていて起きる気配はない。それに比べて、朝は五時に目覚め、習慣のように台所へ向かう。
本当によくできた娘だった。
と言っても、完全に信頼することはできない。
いいや、月人にとって、葉子が信頼できるかどうかは関係ない。関係あるのは、葉子が絃に害をもたらす者か、否か。ただそれだけだ。
「絃、今日も葉子の動きに不審な様子は見られません」
「そう。葉子さんは、ここへ来た時と比べて大分生き生きとしてきたのかな」
「そうですね。表情が明るくなってきたと思います」
月人は絃の自室に、葉子の件の報告に来ていた。人の姿の絃は、うんうん、と嬉しそうに首を縦に振った。絃が言うように最初に会った時と比べて、今は別人のように明るくなっている。
けど、月人には懸念することが一つあった。
「ですが、どうやってここへ来たのか、明かそうとしないのが気になります」
「そう言われてみると、そうかも……」
絃は、首を傾げながらうーんと、唸っている。
「でも、まだ言いたくないだけかもしれないよ?」
絃の言葉は、もっともだろう。葉子が来てまだ三日しか経過していない。重い話をするのには、まだ気持ちの整理がついていないのかもしれない。けれど、何かを隠しているような気がするのは、疑い深かった野狐の時の性根が影響しているのだろうか。
「月人?」
「はっ、はい!」
考えに夢中だったのか、絃が呼ぶ声に遅れて反応してしまった。絃は心配そうに顔を曇らせて、月人を見ている。主にそのような顔をさせるとは、式神失格だ。
「月人」
「はい」
絃に真っ直ぐと見つめられると、心の中の考えを見られているようで、思わず緊張が走る。
「気になることがあれば、言って」
絃は、真っ直ぐと目を見つめたまま告げた。やはり、絃に隠し事はできない。
「わかりました。葉子は、何かを隠しているような気がします。根拠はありませんが、直感というか、本能でそう感じるのです」
先ほどまでの考えを口に出すと、絃は真っ直ぐとした目を向けたまま、口元に笑みを浮かべた。
「そっか。月人がそう思うのなら、何かを隠しているのかもしれないね。じゃあ、ゆっくりと、その隠し事を暴いていくことにする?」
絃は悪戯な笑みを浮かべる。その笑みにつられるように、月人も笑みを浮かべる。
「そうしますか」
絃は優しい。一介の式神の意見を尊重してくれる。
あの日もそうだった。野狐でどうしようもない悪党に手を差し伸べてくれたのは、後にも先にも絃だけだった。
人にも妖にも優しい絃が、いつか大きな出来事に巻き込まれてしまうのではないか。その優しさがいつか、仇になってしまうのではないかと、妖の狂暴化が増え始めてからずっと直感が告げている。その出来事から、絃を守らなければ。それが、式神としての役目であり、絃への恩返しだ。
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