第19話
「へぇ、君が閂様の狐井絃か」
聞いたことがない声が聞こえて、背後を振り返る。
今まで薄い雲に隠れていた月が顔を出し、背後にいる人物を照らした。
金色の髪の毛、ツリ目で眼鏡をかけ、鼻筋が通った顔立ちのいい男が、意味ありげな笑みを浮かべて立っていた。
男は、ゆっくり近づいてきた。土を踏む音が異様に大きく聞こえ、男が纏う不思議な雰囲気に絃は圧倒された。
「絃、下がって」
「絃、下がれ」
月人とろいろが守る様に前に出ていた。月人とろいろは男を警戒して威嚇するように唸り声を上げている。けど、男は月人とろいろには怯える様子もなく、絃だけを見ている。
「止まれ!」
月人は声を荒げて制止を促す。けれど、聞こえていないのか男はどんどん近づいてくる。月人とろいろは、鋭い爪を男に向けながら体制を低くして攻撃態勢に入っていく。それに合わせるように絃は、手の平から青い炎を作り出す。
男との距離が近くなったら、男を捕まえるつもりだった。
「は?」
気が付けば、絃の前に男が立っていた。
全く状況が読み込めない絃を面白がるように男は笑っていた。
「綺麗だな」
男は恋でもしているようにうっとりとした表情を浮かべて絃の髪の毛に触れた。
その瞬間。
全身にぶわぁっと怖気が走って、脳内警報がけたたましく鳴って知らせてくる。
この男は危険だと。
「絃に触るな!」
月人が青い炎を男に向かって飛ばした。けど、それを男はするり、と交わして距離をとった。
「俺の名は、
百目鬼惣と名乗った男は、妖しげな笑みを浮かべて、森の奥に向けて体の向きを変えた。
「待て!」
森の奥に向かって歩き出した惣を追いかけようと月人とろいろが駆け出した。
けど、どういうわけか、惣の姿はなかった。
「何者ですか?アイツ」
月人は、大きく舌打ちをしながら呟いた。
「わからない。けど、只者ではなさそうだ」
絃は惣に触れた瞬間に感じた怖気を思い出すと、また鳥肌が立っていた。
黒人の狂暴化から翌日、絃は百目鬼惣の情報を求めに八尋と海里のところに来ていた。
「百目鬼惣?聞いたことないな」
「そうか」
けれど、八尋は何も知らないようだった。少しだけ、がっかりする。
「そいつがどうしたんだ?」
八尋は、おやつ時のようでわらび餅を口の中に入れながら、不思議そうな顔をしながら聞いた。
「口に入れたまま話さないでください。失礼ですよ」
横に立っている海里は小言を呟いている。
その小言に八尋は、めんどくさそうな顔をしながら、静かにもぐもぐと食べだした。
別に構わないけどなと思いながら、「ここ最近の妖の狂暴化に関わっているかもしれないと、思ってね」と言うと、八尋と海里は目の色を変えた。
八尋が次に食べようと刺したわらび餅が串から、するんときな粉の上に落ちた。
「何かあったんですか?」
「実は、昨日鴉天狗の黒人が狂暴化したんだ。黒人を封印して、再解除することで狂暴化は解けたんだ。けど、そのあとに百目鬼惣という男が現れたんだ」
絃はそこで言葉を区切って、息をゆっくり吸って吐いて、また口を開く。
「以前、狂暴化して封印していた六科を解除して、黒人と六科に狂暴化した経緯を覚えているか聞いてみたんだ。そしたら、二人は金色の髪の男に会ったと言ったんだ。黒人はその男と会話をしたらしいけど、顔まではっきり思い出せないみたい。けど、昨日現れた男と似ていると言っていた。もしかすると、百目鬼惣は妖の狂暴化に関わっているんじゃないかって考えた」
絃の話を、二人は黙って聞いていた。
「そうか、それは怪しいな。海里、お前もそう思うだろ?」
「はい。確かに、怪しいですね」
八尋と海里は、顔をしかめていた。
絃は八尋と海里に本題を持ち掛けた。
「八尋、海里。百目鬼惣について、可能な範囲でいいから調べてくれないか?」
「わかった」
八尋は珍しく即答で返事をした。普段なら、酒をせびるところだけど即答で引き受けてくれたときは、かなり本気になったようだ。
絃は屋敷へ帰る間、昨日感じた怖気を思い出してしまって、耐えるように唇をかみしめていた。
「ただいま」
屋敷の玄関を開けると、嬉しそうな顔をした月人が出迎えてくれた。
「絃、おかえりなさい。帰ってきたところですが、居間に行きましょう」
「え?月人?」
「いいですから、はやく」
月人に背中を押されながら、居間に向かう。
「さ、開けてください」
ニコニコとした月人は、余程嬉しいことがあったみたいだ。でも、月人はたまに悪戯を企むときがあるから、ドキドキしながら居間の襖を開けた。
そこには黒人がいた。
「絃様、昨日はご迷惑をおかけしました」
畳に頭を擦り付ける勢いで深々と土下座をする黒人にびっくりして、思わず固まってしまった。
ドスっと、月人に脇腹を突かれて、「あ、い、いや。全然、大丈夫だよ!」と声が上ずってしまった。
恥ずかしさで、体中の熱が顔に集まっていくのを感じた。
クスッと、月人に笑われてもっと熱が集まってきて、ごまかすように大きく咳ばらいをした。
「黒人、顔を上げて」
黒人は不安そうな顔をしながら、しぶしぶ顔を上げた。
「僕は黒人が無事でよかったよ」
黒人の不安を助長させないように笑いかけながら、本音を口にした。
すると、黒人は安心したのか、じわじわと両目に涙を浮かべた。
「はい、閂様の、絃様のおかげです。本当にありがとうございました」
泣き笑いをしている黒人につられて、絃も笑みを浮かべた。
「花立さんにもよろしく伝えておいてね」
「もちろんです。私となずなからのお礼のお菓子です。頂いてください」
黒人は、丁寧に風呂敷包みを解いてから、中身の菓子箱を机の上に置いた。
「ありがとう」
「では、さっそく今日のお茶菓子にしましょう」
月人は、嬉しそうに笑いながら菓子箱を受け取った。その菓子箱は見たことがないお菓子だった。
「今日は、これにて失礼します」
「うん、わかった。気を付けてね」
「ありがとうございます」
黒人は居間の先にある庭先に降りて、飛び去っていった。きっと、なずなの下へ帰っていったのだろう。
「二人の幸せが長く続くといいですね」
「そうだね」
絃は、月人とともに空に旅立った鴉を見送った。
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