第7話

 なずなと出会ったあの日を忘れることはできないだろう。

「覚悟を持つ、か……。確かに、閂様の言う通りだ。俺となずなでは生きる時間が違うんだ。いつか別れの時が来て、俺はそれを見届けられるか……」

 自分の考えが如何に浅はかであったのかを、黒人は感じていた。

 なずなと一緒にいたい気持ちがあるけれど、この先も一緒にいたいとまでは思っていなかった。

 黒人は、鞍馬山へ辿りつくと山の中を歩く。山の中は木々と草花に覆われている。奥まで歩き続けると開けた場所が顔を出す。その場所には、季節を問わず一本の枝垂れ桜が咲いている。

 その桜の下に、緑髪でふわふわとした髪の毛が風で揺れる、桜色の着物を身に着けた女性が立っていた。桜を見上げている横顔は、桜に攫われてしまうほどに美しい。

 その美しさに、思わず息を呑んだ。

 女性は、黒人に気が付いたのかゆっくりと振り返った。

「あ、黒人!」

 花が咲いたように笑う眼鏡をかけた女性は、なずなだ。なずなは、パタパタと足音を立てて、駆け寄ってきた。

「もう来るのが遅いよ!」

 頬をぷっくりと膨らませて怒るなずなは、小さな子供のようで愛らしい。思わず、笑みが零れそうになるのを押さえる。

「ああ、悪かった」

「もう、悪かったじゃないよ。でも、ちゃんと来たから許してあげる」

 今度は、にこっと歯を見せて笑うなずなは、子供らしくて可愛い。なずなは、まるで秋の空のようにころころと、表情が変わっていて愛おしいし、見ていて楽しい。

 黒人は、兄や僧上坊様から、表情が変わらなくて何を考えているのか分からないと、言われることが多かったし、それは黒人自身も自覚している。だからなのか、表情がころころと変わるなずなは理解し得ないものであると同時に、羨ましいとも思う。

「黒人。今日、学校であったことを聞いてくれる?」

「ああ。今日は何があったんだ?」

「それがね……」

 なずなは、会う度に学校の事や家の事を話してくれる。それを聞くのが、黒人の楽しみだ。現世や人の事は知らない世界だから、少し怖い。けれど知らないことを知る楽しさの方が勝る。

 ざわざわと桜が揺れて、花びらがなずなの周りに落ちる。なずなの声がそよ風に乗って耳に届く。傍から見たらきっと、幻想的な風景だろうなと思いながら、目を閉じる。なずなの声は、大人っぽく氷を解かすような温かみがあって、心の底から落ち着いていく。

 まどろみに浸りながら、なずなの話を聞くのが日々の中で、一番楽しくて癒しのひと時。

 ふと、絃の言葉が脳裏に蘇る。

 なずなと共に生きる覚悟を持てるか。

 今まで考えもしなかった事であの時は答えられなかった。けれど、今なら胸を張って答えられる気がする。

 なずなと共に生きたい。その為なら、何でもしたい。

 仮に、なずなに人の恋人がいるのなら、それはそれでもいい。なずなが、心の底から幸せであれば、その隣がたとえ自分じゃなくてもいい。でも、願うなら君の隣に生きる権利が欲しい。そう思うのは、傲慢だろうか。

「黒人?寝ちゃったの?」

 なずなの声で微睡みから抜ける。

「いいや、ただ目を閉じていただけだよ」

「そっか!でも、それは寝ていると同じことだって、お父さんが言ってたよ」

「ふ、確かに。それはそうかもな」

「でしょ〜。今度は、黒人の話が聞きたい!」

「俺の話か?」

「そう!だって、私だけいっぱい喋ってるからさ。たまには、黒人の話が聞きたい」

「そう言われても何もない。俺は、なずなの話を聞いていたい」

「えぇ〜。それじゃぁ、フェアじゃないよ」

「ふぇあ?ふぇあって、なんだ?」

「平等っていう意味だよ。本当に話はないの?」

「ないな」

「ふ〜ん。じゃあさ、今日はどこに行ってきたの?」

 なずなは、きょとんとした顔で聞いてくる。

「今日は、偉い人の所に行って相談をしてきたんだよ」

「相談?黒人にも悩みがあるの?」

 なずなは、話に興味を持ったのか、ずいっと体を寄せてきた。肌と肌が触れてしまうほどの距離に思わず、顔が赤くなりそうだった。それを押さえるように大きく咳払いをした。

「まぁな。俺にも色々あるんだよ」と答えるとなずなは、にやにやと笑っていた。

「へ〜。例えば、どんな?」

 興味津々に目を輝かせ聞いてくるなずなに、君の事だなんて言えない。どうやってごまかそうか考えていると。

「わかった!恋の悩みでしょ!」と、なずなは意気揚々に言う。

 偶然なのか、なずなは明確に当ててきた、それが、予想外すぎて思わず、ギクッと肩が揺れてしまった。そしたらもう、図星と言っているようなものだから、隠しようもない。

「やっぱりそうなんだ!黒人は誰に恋をしているの?教えて、教えて!」

 ぐいぐいとさっきよりも、もっと顔を近づけてくるなずなを、黒人は押し返せない。

「私が相談に乗ろうか!こう見えて恋愛マスターなんだから!」

 なずなは、袖をまくって任せろと言わんばかりに、ガッツポーズを決める。

 どうやって弁解しようかと、頭を回転させて考える。

 すると、ガッツポーズを決めているなずなの目が揺れ動いているのが見えた。気が付けば、なずなから笑顔が消えていた。今にも泣きだしてしまいそうなほどに顔が引きつっていた。

 それを見た瞬間、気が付いたら体が動いていた。

「黒人?」

 黒人はなずなを抱きしめていた。

「悪い、なずな。こんな話は嫌だよな。無理しなくていいから」

「無理なんてしてないよ」

 黒人は、肩口がポタポタと濡れはじめたのを感じた。

「嘘を吐くな。泣いているだろう?」

 そういうと、なずなは間抜けた声で「あれ、ほんとうだ」と呟いた。

「あれ、なんで、私泣いて……」

 徐々に嗚咽を漏らしていくなずなを落ち着かせるように黒人は、優しく背中を撫でた。

「ねぇ、黒人。黒人は好きな人がいるの?」

 唐突に聞こえてきた質問に、一瞬手が止まる。けれど、すぐにまた動かす。

「あぁ、いるよ」

「そっか……。ねぇ、黒人」

「なんだ?」

「私、黒人のことが好き。嘘でもいいから、黒人が好きな人は私だって言ってよ」

 肩を揺らしながら泣くなずなから、体を離す。目を丸くして見つめるなずなの頬を両手で優しく包み込む。

「俺の好きな人は、君だよ。これは嘘じゃない。本当の事だ」

 そう告げると、なずなの青い目から大粒の涙が流れる。

「ほんとう?うそ、じゃない?」

「嘘じゃない。本当だ。今日相談したのは、君の事なんだ。俺は、君のことが好き。だけど、人と妖とじゃ生きる時間が違いすぎる。それをどうしたらいいのか相談したんだ。偉い人からは、覚悟を持ちなさいって言われたんだ。その時は、覚悟なんて持てないと思ったけど、なずなに会って変わった。俺はなずなと同じ時間を一緒に生きたい。やっと覚悟を決められた」

 バクバクと高鳴る緊張を押さえつけて、ゆっくりと、息を吸って吐く。

「なずな、俺と一緒に生きてくれるか?」

 なずなは、大粒の涙を着物の袖口で拭って、にっこりと笑う。

「もちろんだよ、黒人。私と一緒に生きて。私の最期を見届けて欲しい」

「ああ。もちろんだ」と、気が付いたら頬が緩んでいた。

「あ、黒人が笑った!めずらしい」

 嬉しそうに笑うなずなを、愛おしいと思うと同時に、この出来事を一生忘れることはないだろうと思った。

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