第二幕

第6話

 幽世の町には、妖たちが住んでいる。幽世と現世は、隣り合わせに存在しており、一つの扉によって繋がっている。その扉を守る閂様は、妖たちにとって良き相談相手であり、畏怖の対象でもある。


「閂様~、聞いてくださいよ~」

「何かあったの?」

 この日、屋敷を訪ねてきたのは、猫又の琥珀こはくだ。琥珀は、人に化けることもあるみたいだけど、会うときはだいたい猫の姿がほとんど。本当に化けられるのかは半信半疑だ。

 全身は茶色の毛並みに覆われていて、尻尾は二股に分かれている。尻尾をゆらゆらと、揺らしながら絃の膝の上に擦り寄る。その姿が可愛らしくて、ついつい撫でてしまう。

「おい琥珀!絃から離れろ!」

 琥珀を構うとどこからともなく、ろいろが部屋から飛び出してくる。ろいろは琥珀にやきもちを焼いているのか、ゔ―っと低く唸って威嚇している。

 一方、琥珀はろいろの事は見向きもせずに、ゆらゆらと尻尾を揺らしている。

「実はねぇ」

 ゆっくりと話を切り出す琥珀に事の重大さを予感して、唾を呑み込む。

「これと言って、特にないんだよねぇ」

「ないのかよ!」

 琥珀のボケにろいろが間髪入れずに突っ込んだ。

 琥珀は猫又であるが故に、度がつくほどの気分屋。琥珀の言葉に一喜一憂するのは、毎度のこと。

「でもねぇ。これから、大変なことが起きるよ」

「そう、それは大変になるね」

 琥珀には未来予知の能力がある。そして、その言葉は現実になることがほとんどだ。

「これから、大変になるよぉ、絃」

 琥珀の琥珀色の目に見つめられると、すべてを見透かされたような感覚になって、少しだけぞっとする。

「できる限りは、頑張ってみるよ」

「それがいいよぉ」

 琥珀は膝の上から降りた。二本の尻尾をゆらゆらと揺らしながら、歩き出す。

「またねぇ、閂様。それと、ろいろ」

「じゃあね」

「ふん!」

 絃は、歩いていく琥珀に手を振りながら見送った。

 横目でろいろを見ると、不機嫌そうにそっぽを向きながら、しれっと膝の上に乗ってきた。

 琥珀の姿が完全に見えなくなると、ろいろはムスッと呟いた。

「絃、アイツの言葉を鵜吞みにしない方がいいぞ。アイツはただの気まぐれな猫又だし」

 どうやらろいろは、不貞腐れているようだ。

「それはそうだね。たまに、的外れなことを言うときもあるし……。でも、琥珀の言葉はたまに現実になるから、多少は意識はするよ」

「ふぅん。そっか」

 ろいろは、なにか言いたげな表情で、小さな体を丸めて眠ってしまった。


 夜のように暗い幽世に朝は訪れないが、薄っすらと明るくなる。

 絃は、ガタッと裏口の扉が開いた音で目が覚めた。眠い目をこすって体を起こす。

 誰かが裏口を通って屋敷に入ってきたのだろうか、と疑問に思いながら部屋を出る。裏口は、助けを求めにやってきた妖たちの為に施錠はしていない。出入り自由な状況は、稀に悪意を持った妖が侵入してくる場合もある。裏口から屋敷に入ると、庭の縁側にたどり着く。

 絃は、入ってきた正体を確かめるために縁側に続く廊下を、足音を立てないように歩いていく。

 緊張でドキドキと高鳴る心臓を押さえつけながら、縁側に辿りつく。そこには手に錫杖を持ち、山伏装束を着た黒髪で短髪の男がひっそりと立っていた。

 男の背中には、黒い翼を大きく広げていた。

 鴉天狗だ、と心の中で呟く。鴉天狗は、現世にある鞍馬山に住んでいて、たまに幽世を訪れる時がある。鴉天狗は知的かつ友好的で、ひそかに人の子と遊んだりしているらしい。

 入ってきたのが悪い妖でないことに、ほっと胸を撫でおろした。

 でも、一体どんな用事で来たんだろう、とふと考える。

 男は、鴉天狗にしてはまだ若く、年齢は百〜二百歳ほどだろうか。目鼻は整っていて、男の絃からみても中々にカッコいい。けれど、その顔はどこか憂いを帯びていた。

 何か、悩みでもあるのだろうか。

 そう考えたときには、すでに言葉に出ていたようだった。

 ハッと我に返ったかのように、鴉天狗は絃に顔を向ける。目が合った瞬間に、流れるような動きでその場で跪いた。

「閂様。未明に屋敷に侵入してしまい、大変申し訳ございません。私は、鞍馬山の鴉天狗。名は黒人くろとと申します。以後、お見知りおきを」

 深々と頭を下げる黒人に、一瞬呆けてしまったけどすぐに気を取り直した。

「頭を上げてください、黒人。何か、あったのでしょう?」

 黒人は中々頭を上げない。

 あれ、聞こえていなかったのかな、と思ってもう一度言おうと口を開いた時。

「実は、閂様に折り入って相談したいことがあり、参りました」

 黒人はぽつりと、呟いた。

 聞こえていてよかったと、心の中で思いながら「何でしょうか」と返す。

 黒人は、ゆっくりと頭を上げた。

 黒人の青い目と目が合うと、何かを言い淀むように目を伏せて、ギリギリ聞き取れるくらいの小さな声でぽつりと呟いた。

「実は。私は……。人の娘に、その……、恋をしてしまったのです」

 言葉を言い終わる頃には黒人の顔は、耳まで真っ赤に染まっていった。

「へ?」

 てっきり、鞍馬山で何か重大なことが起きたのかなと想像していたから、予想外の相談事に、絃は間抜けた返事しかできなかった。


「人に恋、ですか?」

「はい……」

 黒人を客室へ招き、月人とろいろを交えて話を聞くことした。黒人は恥ずかしいのか、顔を赤らめている。

 妖たちの相談事は、生活のことやちょっとした不満事が今までほとんどだった。今回の黒人のような所謂、恋愛相談は一切なかった。それに加えて、絃はまだ恋愛をしたこともないから、黒人にどんな言葉を掛けたらいいのか頭を悩ませていた。

「そっか……。その娘さんとは、どこで知り合ったんですか?」

 とりあえず、これまでの経緯を聞くことに決めた。

 黒人は顔を赤らめながら話をしてくれた。

「その娘とは、鞍馬山で会いました。その娘の名は、なずな。なずなは、現世にある学校という、寺子屋みたいなところに通っていると言っていました。その友達と一緒に鞍馬山に来たようでした。道に迷っていたなずなを妖が襲おうとしているところに偶然出くわして助けました。それから、なずなとよく会うようになって、私はだんだん、その……。なずなに恋をしてしまったのです」

 黒人は、なずなという娘を思い浮かべているのか、耳まで真っ赤になりながら口元に笑みを浮かべていた。

「人に恋をするなど、あってならない。何度も自分に言い聞かせました。けど、会うことをやめられないのです。兄上たちや僧上坊様にも相談できなくて。こんな話を閂様に相談するのも如何なものかと重々承知しております。ですが、もう、私一人ではどうしようもできないのです。湧き上がる恋慕で、身を焦がしてしまいそうなのです」

 黒人は、自分の胸を抑え込んでいる。それほどに、恋という病が黒人を蝕んでいるのだろう。

 でも、絃はなにを言うべきか決められなかった。いいや、分からなかった。

 人と妖の恋は、禁断ではない。けれど、生きる時間も住む世界も違う。愛する人を先に見送って、その後も何百年と生きる妖にとっては地獄そのもので、耐えられない。だから、妖は皆、人との恋を否定的に捉える。でも、それを承知で人と一緒になる妖もいる。絃が生きていることが何よりも証拠だ。

 黒人の想いは、きっと本気だ。恋愛のことは全く分からないけれど、これは言わなくちゃいけない。

「黒人の想いはわかったよ。だから、一つ聞かせてくれる?」

「なんでしょうか」

「黒人は、そのなずなさんよりも長い時間を生きるよね。なずなさんの最期を見送る覚悟はある?」

「そ、れは……」

 黒人は目を丸くして、驚いていた。ひょっとすると、そこまではまだ、考えていなかったのだろうか。

「もし、その覚悟がないまま一緒になったら、きっと黒人は後悔すると思う。人は生きる時間があっという間に過ぎるから、瞬きの間になずなさんはいなくなってしまう。そうなったら、深い悲しみが襲ってくる。それを乗り越える覚悟はある?」

 黒人となずなの恋を応援したい気持ちはある。でも、黒人が悲しむところは見たくない。アドバイスのような、忠告のような言葉に黒人は、少し俯いていた。

「……わかりました。少し、考えてみます」

「うん、ゆっくり考えてみて」

「はい、この度はお時間をいただきありがとうございました」

 黒人は、ゆっくりと頭を下げ、立ち上がった。襖に向かって歩いていく姿は、どこかしょげて見えて、広がっている羽が少しだけ、くたっているように見えた。

 少し、言いすぎてしまっただろうか、と絃は思った。

「黒人、また何かあればいつでも相談しにおいで。僕は、恋をしたことがないから、うまい言葉は言えないけど、話は聞くから」

 声を掛けると黒人はゆっくり振り返った。

「ありがとうございます。では、また来ますね」

 黒人は、ふわっと、はにかんで笑った。

 襖を開けた黒人は、黒い羽を羽ばたかせて空へと飛んでいった。

 部屋の中に、黒い羽が飛び散る。一つの羽を拾うと、くたっているように見えた羽はぴしっと、生き生きとしていた。

「ねぇ、月人」

「なんでしょう?」

「僕は、黒人に言いすぎてしまったかな?」

「いいえ、そんなことはありません。絃の言葉は、きっと黒人に届いたはずですし、彼に足りなかった部分を補えたと思います」

「そっか、ならよかった」

 黒人に届いていることを願って、彼が飛んだ空を見上げた。どんよりと明るい空に、黒い鴉が飛んでいるのが、うっすらと見えた。

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