第4話
「最近、妙なことが起きているね」
絃は、縁側に腰を掛けて、空を眺めながらぽつりと呟いた。
「妙なこと、ですか?」
傍に仕えていた青い和服に黒い羽織を羽織っている月人が首をかしげている。
「そう。月人もさ、おかしいと思わない?ここ最近の、境界に迷い込む人の数を」
「そういわれてみると、そうですね」
月人は、深く首を縦に頷いた。
「元々人が境界に迷い込むこと自体がごく稀でしたし……。何かが起きている、と考えてもよさそうですね」
月人の話を絃は、首を縦に頷いて肯定した。けれど、妙なことはそれだけではないと、口を開こうとした時。
屋敷の塀から、ろいろが飛び出してきた。びっくりして、「うわぁっ!」と思わず声を上げてしまった。
「ろいろ!危ないでしょう!」
母狐のように叱る月人に対して、ろいろは見向きもせずに絃の膝に飛び乗ってきた。
「大変だ!絃!」
ろいろは、普段は小さな子狐の姿をしている。ふわふわな毛並みが何かを訴えるように毛が逆立っている。
「ちょっとろいろ!私の話を聞きなさい!」
ガン無視されたことが気に障ったのか、月人は声を荒げた。
「うるさいぞ、月人!今はそれどころじゃないんだ!」
ろいろは絃の袖口を加えて、どこかへ誘導するように引っ張る。
「ろいろ、待って……。袖が伸びちゃうよ」
ろいろを止めようとするけれど、全く聞いてくれるそぶりはない。
絃は、ため息をついて、何が何だか分からないけれどろいろについて行くことに決めた。
「月人、行こう。何かが起きたみたいだ」
月人は小さなため息をついた後、やれやれと言うように「わかりました」と呟いた。
「よし、行くぞ!」
ろいろは加えていた袖口を離すと、駆け出した。それに続くように絃と月人も駆け出す。
「それで、ろいろ。何があったのです?」と駆けながら月人が問う。
ろいろは早口気味に答えた。
「
その言葉に絃は言葉を失った。
妖は、悪戯好きであるが、基本的には大人しい。中には、暴れるのが好きな妖もいるけれど、狂暴ではない。しかも、六科は化け狸で、普段はおっとりとした妖で、怒ったところを見たことがない。
言葉を失う理由は、それだけではない。
「狂暴化……。これで、もう三件目。これは、何かが起きているとしか言いようがないね」
「ええ、そう考えるしかありませんね」
狂暴化する事件が、これで三件目と続けば何かが起きていると、考えるのが妥当だろう。
庭先を通り抜けて裏口を出ると、夜のように暗い幽世の街並みが見えた。その街並みを提灯お化けや鬼火たちが照らしている。
妖たちは、幽世の中で自分の住処を作って生活していて、毎日がお祭りのように賑やかだ。けれど今は、その欠片一つもないほどに、閑散とした街並みになっている。街並みを照らす提灯のお化けや鬼火たちが、何かに怯えるように微かに震えている。
これは明らかに異常だ、と絃は心の中で呟いた。
ろいろに案内されたところは、住処と住処の間にある裏路地だ。その裏路地にいたのは、化け狸の六科だ。
でも、どこか様子がおかしい。赤い眼光を放ち、口元に見える歯の間から赤い舌がぬっと出ていて、ポタポタと涎が滴り落ちている。普段の六科からは、こんな姿を見たことはない。
「六科、どうしたんだ?」
声を掛けると六科は獣のような鳴き声を上げた。全身の毛が逆立ち、尻尾は大きく膨らんで明らかな警戒態勢を取っていた。
「おい、六科!どうしたんだ!」
ろいろが、六科に向けて声を掛ける。ろいろは、六科とよく遊んだりしているくらいに、仲が良い。そのろいろが声を掛けても、六科は、ただ獣じみた鳴き声を上げるだけだった。
もう、言葉が通じる状態じゃないんだ、と瞬時に判断できた。狂暴になっている六科を放置する訳にはいかない。
絃は、妖力を解放して、人から妖の姿へと変化する。
「月人、ろいろ。六科と捉えよ。我が、六科を封印する」
月人は、人の姿から本来の姿へと変化する。青い髪の毛は、真っ黒な髪へと変わる。頭には黒い狐の耳と、一つの尾が生えている。
ろいろは、子狐の姿から成獣へと変化する。
「御意」
月人とろいろは、声を揃えて六科に向かっていく。
六科は、耳を塞ぎたくなるような雄叫びを上げて、月人に向かっていく。
月人は、向かってくる六科を飛び越えて宙返りをしながら、六科の背後をとるように地面へと着地をする。
月人を追っていた六科は、月人がいないことに気が付いて、背後を振り返る。その瞬間にろいろが六科の真上から飛び掛かった。
六科は耳を劈くような鳴き声を上げる。
絃は耳を押さえながら、着物の懐から真っ白な札を取り出す。札に妖力を込めると、真っ白だった札に、じわじわと赤い文字が浮かび上がっていく。
「ろいろ、離れろ!」と声を上げる。
ろいろはすぐさま六科から離れた。ろいろが離れたことで自由になった六科がもぞもぞと動き出した。赤い眼光は真っ直ぐ絃に向けられる。
「悪い、六科」
絃は、六科に向けて札を投げ飛ばす。六科はこれから起きることを察知したかのように、札から逃げようと、走り出す。けれど、六科が札から逃げ切るよりも早く、札が触手のように伸びて六科の腹部に巻き付いていく。六科は札を剝がそうと必死に藻掻いているけれど、剥がれることはない。それは六科を封印するためのもの。あっという間に六科の全身に巻き付いた札は、徐々に小さい球状になっていく。小銭程度の大きさになった六科は空中を漂っている。
絃は懐から小さな瓶を取り出して、ガラス栓が壊れないようにゆっくり抜く。栓が外れた瓶を球状になった六科に向けると、ぷかぷかと浮かびながら真っ直ぐに瓶の中に入っていった。抜いたばかりのガラス栓をもう一度締めて、懐から赤い札を取り出して封をする。これで封印が完了した。
「月人、ろいろ、ありがとう。怪我はないか?」
「ええ、大丈夫です」
「大丈夫」
月人とろいろは、ふーっと短いため息を吐いた。
「しかし、六科はどうしたのでしょうか……。あんなに温厚だったのに」
月人も六科とよく話をするぐらい仲が良かった。今まで見たことがない六科の一面を見て、怪訝そうな顔をしている。
温厚な六科の狂暴化、幽世に迷い込む人の増加。
「何か不思議なことが幽世と現世で起きているのは、間違いなさそうだ」
「ええ、そうですね」
「そうだな」
月人とろいろは、ゆっくりと首を縦に振った。
絃は、瓶を懐に仕舞いながら、踵を返す。
「どこへ行くんです?絃」
月人が隣に並んで歩き出す。
「情報屋だ。この状況を彼らなら知っているかもしれない。今から聞きに行こうと思ってな」
「え、あいつら、ですか?」
月人は、あからさまに嫌な顔をする。
成獣から子狐に戻ったろいろがぴょん、と月人の肩に乗る。
「月人、絃が決めた事なんだぞ。腹をくくれ」
ろいろの小さな肉球をぽん、と月人を慰めるように頬に触った。
「わかったよ……」
月人は、長いため息をつきながら、しぶしぶ受け入れた。耳と尻尾がしおれていて、余程彼らに会いたくないみたいだ。月人には申し訳ないけれど、幽世と現世について具体的に知れるのは、あの二人だけ。二人に会いに行くのは必然的だ。
絃は体を覆っていた妖力を解除して、妖の姿から人の姿へ戻る。
「二人とも善は急げだ。早く行こう」
「わかりました」
「わかった」
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