第3話
暗闇の中を歩き続けていくと。
「ぐすっ、ぐすっ……」
小さな子供がうずくまって、泣いている姿が見えた。恐怖からか、小さい体は効果音が付くくらいにガタガタと震えていた。
「大丈夫か」
絃は、子供が怖がらないように優しい口調で声を掛けながら歩み寄る。子供はビクッと肩を跳ねあげて恐る恐る顔を上げた。涙で濡れている大きな目をぱちくりと、瞬きをしてこちらを見た。
「だぁれ?」
微かに肩を震わせて、ビクビクしながら聞く子供は怯えている様子だった。
絃は、子供の目線に合わせるように屈んで、子供の顔を提灯で照らす。子供は、七つぐらいの女の子だった。
「我はお狐様。大丈夫、君を怖がらせたりはしない」
絃は、女の子の目元に触れると、ギュッと目をきつく目を閉じた。女の子を落ち着かせるために、優しく目尻に残る涙をそっと拭う。
「ほんとう?」
女の子は、きつく閉じていた目をゆっくり開けて、絃を探るようにじっと見つめている。
「ああ、そうだ」
笑ってみせると、徐々に女の子の表情が明るくなっていった。
「じゃあ、後ろにいる黒いおきつねさまたちは、お友達なの?」
女の子の視線が、後ろにいる月人とろいろに向けられた。
女の子の視線を辿るように絃は、ゆっくり月人とろいろの方に体を向ける。
「ああ。彼らは我の友達だから安心しろ。怖いことはない」
「そっか」
女の子は安心したのか、パッと顔を輝かせた。その顔に恐怖の色は、すっかり消え去ったようだ。恐怖が消えたのなら、ここまでの経緯を聞いてもいいだろう。
「お前はどうやって、ここまで来た?」
なるべく怖がらせないように慎重に問いかける。
「えっとね……、学校からの帰り道にね、かわいいねこさんがいたの。ねこをおいかけてたらね、うらろじに入っちゃったの。そしたらそこに、きれいな髪の毛のお兄さんがいたの。お兄さんが帰り道を教えてあげるって、一緒に手を繋いで歩いていたらね、真っ暗なところにいたの。こわくて、こわくて、泣いていたらおきつねさまたちに会ったんだよ」
女の子が拙い言葉で一生懸命身振り手振りしながら経緯を教えてくれた。その説明に絃は耳を傾けながら聞くけれど、微かに顔を歪める。女の子が言う、綺麗な髪の毛のお兄さん、という言葉に引っ掛かったから。怪しさいっぱいの男が気になるところだけれど、今は女の子を人の世と言われる現世に戻すのが先決だ。
「ありがとう。我らとともに君が住んでいたところへ一緒に帰ろう」
手を差し伸べると、女の子の顔がこわばった。女の子は、自分をここへ連れてきたと言ってもいいお兄さんを思い出したのかもしれない。絃は、女の子の不安を取り除くように優しく手を握って、笑みを浮かべる。
「大丈夫。我らが必ず送っていくと約束しよう。だから、安心しろ」
「うん!やくそくだよ!」
女の子は安心したようで、小さな手で手を握り返してくれた。
絃は、提灯を空中に置くと、提灯はひとりでにふよふよと、浮かんで空中に飛んでいく。
「うわぁ、飛んでる!」
提灯がひとりでに浮かんでいる事に興味津々なようで、女の子は目をキラキラと輝かせて声を上げた。
提灯は、青白い光を放つと、暗闇の中に青白く輝く光の道が浮かび上がる。
「さぁ、行こう」
その上を、絃は女の子と手を繋ぎながら歩き出す。少し遅れて月人とろいろが後をついて歩く。
「あたりは、まっくらなんだね。おきつねさま」
女の子はキョロキョロと辺りを見回している。
「そうだな」と相槌を打つ。
「ねぇ、おきつねさま。ここはどこなの?」
女の子が鋭い質問をしてきた。さっきまで怖がっていたのに、この変わりように少しだけ驚いた。七つぐらいとはいえ、ここが普通の場所ではないことぐらいは分かるのだろう。
「ここは、人が住む現世と妖が住む幽世の間に存在する扉の中だ」
「あやかし?かくりよ?とびら?」
なるべく分かりやすいように説明したけど、七つの子供にはまだ難しいようだ。
「我らは、妖。妖は幽世という妖しかいない世界で生活している。君のいる世界は人間だけが住んでいる世界。それを現世というんだ」
「じゃあ、私はおきつねさまたちが住んでいる場所に来ちゃったの?」
女の子は、顔をこわばらせながら、おずおずと呟いた。
「ああ、そうなる」
絃は首を縦に振ると、女の子の顔がさぁっと、真っ青になっていくのが見えた。また怖がらせてしまったようで、ガクガクと全身を震わせて、目元にじわっと涙が浮かび上がっていく。
「おきつねさまたち、わたしのこと、たべない?」
女の子は震える声で呟く。
絃は、女の子と目線が合うように屈む。
「大丈夫。我は、人を食べたりはしない。言っただろ?安心しろと」
「うん、でも……。こわい……」
怖さが強いのか、女の子の目がキョロキョロと泳いでいる。怖がるのは無理もないかと、絃は心中で呟く。
「怖いとは思うが、もうじきにここから出られる扉に辿り着く。あともう少しだけ、頑張ろう」
女の子に向けて手を差し伸べる。
「う、うん」
まだ怖いと言わんばかりに青白い顔をしている女の子だったが、それでも手を握ってくれた。女の子の手を引いて、青白い道を歩いていく。
すると、だんだん青白い道の終わりが見えてきたと同時に、鉄扉が姿を現した。
「あのとびらは、なぁに?」と、女の子が鉄扉を指さす。
「あれは、君が住んでいる世界に続く扉だ」と言うと、暗かった女の子の顔が明るくなった。
「じゃあ、もうすぐで帰れるの?」
「ああ、そうだ」
「やったぁ!」
飛び跳ねて喜ぶ女の子を横目に、絃は小さく笑みを浮かべた。
扉の前までやってくると、絃は女の子から手を離して一歩、二歩と下がった。
「おきつねさま?」
絃の行動を不思議に思ったのか、女の子は不安そうな顔でこちらを見ている。
「さぁ、帰る時間だ。その扉の向こうには、君の家が君を待っている」
「ほんとう?」
「そうだ。その扉をゆっくり開けるんだ。そうすれば、帰れる」
絃の言葉に女の子は、扉を開けるべきか少し悩んでいるようだった。
「どうした?」
声を掛けると、女の子が足元に抱きついてきた。
「また、おきつねさまと会える?」
くりくりとした目は、期待に満ち溢れていているように見えた。けれど、絃にはその期待に応えてあげることはできない。
絃は女の子と目線を合わせるように屈み、小さな手を優しく手を握った。
「それはできない。君と我とじゃ、住む世界が違う。さっきも言っただろう?我は妖、妖は幽世で生活している。君は人、人は現世で生活をしなくてはいけない。だから、もうここへ来てはいけない」
「でも……、またおきつねさまたちに会いたいよ」
女の子は、目に涙を浮かべている。その顔に寂しいと書かれている気がした。会った時間は一刻にも満たないのに、また会いたいと言ってくれることに嬉しさを覚える。でも、これ以上掛ける言葉はない。
絃は、ゆっくり立ち上がり、ろいろを見る。すると、ろいろも丁度目を向けていたのか、目が合った。ろいろは言葉に出さないけれど、「この子を現世へ返そう」と言っている気がした。絃は、ろいろに向けてゆっくり首を縦に振った。ろいろも小さく頭を縦に振ると、一声鳴いた。
すると、扉が怪しく光り出し、閂がガタガタと震える。絃は、扉に手を向けると、バタン、と大きな音を立てて扉が開いていく。
その瞬間、眩い光が暗闇を照らした。その光が眩しくて、絃は目を細めた。
「まぶしい……」
両手で顔を覆う女の子の背中を絃は優しくトン、と押した。
女の子は扉の向こうに引き寄せられるように歩き出した。女の子が歩くスピードに合わせて、ゆっくりと扉が閉まっていく。
女の子が扉の向こうに渡りきる時に、後ろを振り返った。
「また会おうね!」
白い歯を見せて笑って元気に手を振った。その元気につられるように、絃は小さく手を振り返した。
その直後、扉が大きな音を立てて閉まった。明るさは消えて、提灯の青白い光だけが暗闇を照らしている。
現世と幽世の間に存在する境界に迷いこんだ女の子は無事に現世へと戻っていった。これで、役目は終わった。
「さぁ、帰ろう」と、絃は扉に背を向けて歩き出した。
「承知しました」
「承知」
月人とろいろは、絃の隣を並んで歩く。
さっきまで女の子がいた時は明るい雰囲気が漂っていたけれど、今はすっかり明るさが消えて、明るさが恋しく感じた。
「優しいですね、絃は」
月人が脇腹を軽く小突いてきた。
「なにがだ?」
「しらばっくれてもダメです。人の子の為に、情をかけたでしょう。怖がる人の子のために何度も、落ちつかせていたでしょう?それに今だって、人の子を思い出しているのでしょう?」
月人はいつも心を見抜いたように鋭いから、思わず肩が上がってしまう。
「バレたか」
「ええ、大バレですよ」
月人はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「まったく、絃は人が良すぎるぞ」
ろいろは、どこか困ったようにため息を零している。
「ええ、全くです。でも、だからこそ、貴方を放っておけないんですよね。我らの
「まったく、その通りだ」
月人とろいろは、どこか嬉しそうに笑みを浮かべた。
狐井絃は、人ではない。
九尾の狐と人の間に生まれた、半妖。
そして、幽世と現世の間にある扉を守る閂様だ。
絃には、閂様の役目を果たすために式神の月人、守護獣のろいろと共に幽世で生活を共にしている。
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