第11話 世良田二郎三郎、知り合いに会う
千利休との茶会から数日後。永井直勝が二郎三郎の姿を探して店を見回っていた。
と、伊奈忠次の姿を見つけると、永井直勝が尋ねる。
「ちょうどよかった、殿の姿が見えぬのですが、どちらに行かれたかご存じですか?」
「たしか、朝から京へ行くとか申しておりましたな」
「えっ!?」
◇
天正7年(1579年)、京の町は上洛を果たした織田家の支配下に置かれていた。
従属したとはいえ未だ商人の自立性が保たれた堺とは違い、こちらは村井貞勝が京都所司代に据えられた、織田家の直轄地である。
通りを歩く者は織田家の者か織田家の関係者で占められており、何かの拍子に二郎三郎の正体が露見してしまう可能性は十分にあった。
それでも二郎三郎が京の町を訪れたのにはわけがあった。
「ここか……」
千利休に教えてもらった屋敷を見つけると、中に入る。
ここには密輸用の米の仕入れ先に取り次ぎのできる者がいるとのことなのだが、相手は二郎三郎の知り合い。
下手に小細工を弄するより、誠意を持って接するべきだろう。
屋敷の主人の元に通されると、二郎三郎が挨拶をした。
「お久しゅうございます、今川様」
「お、お前……松平、信康……!? なぜここにいる! 信長の命で腹を切ったのではないのか!?」
「生憎と死にぞこない申した。……父上から逃げるよう仰せつかりましたゆえ」
「徳川様が!?」
屋敷の主人――今川氏真が驚愕する。
今川氏真はかつて駿河を治めていた戦国大名・今川義元の嫡男で、桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、今川から独立した徳川家と敵対関係となり、その際駿府にて人質となっていた二郎三郎は人質交換にて徳川領に帰還するに至っている。
今川家が武田信玄によって滅ぼされた後、今川氏真は妻の縁で北条家を頼り、北条が武田と和睦した後は家康を頼り徳川の家臣となった。その後は上方での情報収集や公家衆との取り次ぎとして活躍しており、京の屋敷もそのために与えられたものだった。
「いや、驚いたぞ。お主が武田と内通してるなどと聞いた時には、何かの間違いだと思うたわ」
「ははは……お恥ずかしい話ですが、それがしの妻が母上と仲が悪うございましてなぁ。信長にあることないこと吹き込み申した。……それを鵜呑みにした信長がそれがしと母上の首を求めたゆえ、それがしは身を隠さねばならなかったのです」
「なんと……」
二郎三郎の境遇に同情したのか、自身の一門である瀬名の悲劇的な末路を想像したのか、今川氏真が無念そうな顔をした。
「されどご心配なく。……それがしは元気でやっておりますから」
今川氏真を安心させるように、二郎三郎が務めて明るく振舞う。
「くれぐれも無理はするなよ。儂はお主が赤子の頃から知っておる。……そんなお主に何かあれば、儂も自分のことのように辛い……。儂にできることがあれば何でもするゆえ、遠慮なく申すがよい」
「……今、何でもと申しましたか?」
二郎三郎の目が怪しく輝く。
そうして、新たに商家を始めることにした話や、本願寺への密輸。千利休が二郎三郎に会わせようとした理由を語ると、案の定、今川氏真が難しい顔をした。
「……米が欲しい、か……。悪いが、今の儂は徳川で世話になっている身……。駿河の国衆に米を出させようにも、下手に連絡を取っては儂まであらぬ誤解を受けよう」
「かといって、父上に頼むわけにもいきませぬからなぁ……」
二郎三郎と今川氏真が頭を悩ませていると、奥から氏真の正室・早川殿がやってきた。
「お茶が入りましたよー」
「おお、すまんな」
「かたじけのうございます」
二人でお茶をすするうちに、二郎三郎があることに気がついた。
「そういえば、奥方様は近頃千利休様に何か頼まれごとをされませんでしたか?」
「そういえば……実家の北条と商いをしたいゆえ、取り次ぎをしてくれと頼まれましたわ」
これだ、と思った。
千利休の米の仕入れ先は北条だったのだ。
なるほど、広大な関東を支配する北条であれば米の調達は容易く、見返りに都の品を渡すことでさらに懐を潤すことができるというわけだ。
「奥方様、無理を言って申し訳ないのですが、それがしにも一筆
「構いませんよ」
書くものを取りに、いそいそと奥へ戻る早川殿。
早川殿の背中を見送ると、今川氏真が二郎三郎に密かに耳打ちした。
「よくできておるじゃろ、儂の妻」
「はい。駿府にいた頃はそれがしも世話になっておりましたから」
「おお、そうであったそうであった」
今川氏真が笑って頭をかく。
「お主の妻のことは残念であったが、お主もまだまだ若い。……お主ほどの男であれば、きっと良い妻に巡り合えよう。なんだったら、儂が紹介してやろうか?」
何か言いたそうにしていると思ったら、二郎三郎を励ましてくれていたのか。
納得すると同時に、今川氏真の優しさが染みわたる。
「お気持ちは嬉しいのですが、今は妻を持とうなどという気にはなれませぬ」
母である瀬名が自害したことに関しては、自分の中で折り合いをつけたつもりだった。自分を――二郎三郎を生かすために死んだ。徳川家を守るために死んだのだ、と。
信長に対しても、納得はしていないが理解はできる。同盟相手の嫡男が宿敵である武田と内通しているとなれば、放ってはおけないだろう。だからといって、腹を切らされる方の身としては納得できないが。
しかし、二郎三郎の――信康のかつての正室、徳姫は違う。徳姫があらぬことを吹き込まなければ、そもそも信康も瀬名も腹を切る必要などなかったのだから。
今でこそ、この感情に蓋が出来ているが、直接徳姫本人と相対した日にはどうなるかわからない。
それこそ、新たに正室を持った日には、この気持ちをうまく誤魔化すことができるのか。相手を傷つけずに済むのか。
そんな不安が二郎三郎の中を付きまとっていた。
二郎三郎の胸中を察してか、今川氏真が口を開いた。
「お主ほどの男であれば、これから多くの者と出会い、大きなことを成してゆくじゃろう。……されど、心に穴が開いたままでは、いつまでも満たされることはないであろう」
過去を乗り越え、徳川に仕え、信長に蹴鞠を披露した男の言葉が、二郎三郎の胸に重くのしかかるのだった。
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