第10話 世良田二郎三郎、茶をしばく

 伊奈忠次を配下に加えたことで、瀬名屋では米や炭の仕入れから会計まで飛躍的に効率が上昇していた。


 足りない人手は伊賀衆から集め、財務能力に長けた者が欲しくなれば伊奈忠次のつてで信康事件以降徳川から出奔した者に声をかける。


 そうして、瀬名屋が堺で最も勢いのある、新進気鋭の商家として名が売れるようになると、今度は別の壁にぶつかった。


「殿、やはりいくら堺が大きな町とはいえ、ここまで大々的に米を買い漁っては、織田家にバレるのは時間の問題かと……」


「…………」


 伊奈忠次の指摘に二郎三郎が嘆息する。


 瀬名屋が成長するにつれ、周りの商家からも注目を集めるようになり、堺での取引が難しくなったのだ。


「我らが本願寺と取引していることが知れては、どうなることか……」


「殿、いかがなさいますかな?」


 永井直勝と伊奈忠次が尋ねると、二郎三郎がニヤリと不敵に笑みを浮かべた。


「……要するに、堺の商人にも織田の連中にもバレないように荷を運べばいいわけだろ?」


「はっ……されど、これ以上堺で商うのは難しいかと……」


「わかってる。俺に考えがある」


 そのまま部屋を出て行こうとする二郎三郎に、永井直勝が尋ねた。


「殿、どちらへ行かれるので?」


「茶を飲んでくる」


「「は!?」」







 堺の端、商家が軒を連ねる大通りから外れた閑静な住宅地の一角に、豪商・千利休の茶室があった。


 戸を叩くと、中から黒い袴姿の大男が現れた。


「どちら様ですかな」


「拙者、世良田二郎三郎と申す。本日は茶を頂きに参った」


 持参した茶菓子と椿の花を差し出すと、千利休が茶室を指した。


「……どうぞ」


 千利休に招かれ茶室に入る。中は畳四畳半と、大の男二人が過ごすにはいささか狭い空間。それでも、茶を飲むのに必要なすべてがそこにはあった。


 二郎三郎が持ってきた椿の枝を床の間に生けると、千利休が茶を点てた。


 静かな茶室に響く茶筅の音だけが響く。


 やがて、千利休が茶を差し出すと、二郎三郎が手に取った。


「頂こう」


 音もなくすすると、ほっと一息。


「うまいな」


「それはようございました」


 千利休が仏のような顔で微笑むも、その奥の瞳は笑っていない。


 こちらを値踏みするような目で、じっと見つめていた。


 なんという威圧感。まるで怪物だ。


 二郎三郎は心の中でそう評した。


「世良田二郎三郎様と仰いましたかな。……いやはや、実に見事なお点前でござった。それがしも茶を嗜む者として、茶の作法を指南することがございますが、世良田様ほどの方であれば特別指南する必要もないでしょう。……どちらで教わったので?」


「駿府にいた頃に、少々。……茶の一つでもできなければ上方の連中と話が合わぬだろうと、仕込まれましてな」


「それはそれは……」


 千利休が微笑みながら耳を傾ける。


「時に、千利休様といえば、堺の顔役。……この町でその名を知らぬ者はおらぬでしょう」


「買い被りにございます」


「そんな千利休様に、折り入って頼みがございます」


「頼み、にございますか」


 茶を点てながら柔和な顔で二郎三郎の話を促す千利休。


「それがし、米を商いたいのですが、この堺で米を集めては人目につきすぎる……。ゆえに、よい仕入れ先がありましたら、何卒お口添え頂きたいのです」


「ふむ……」


 千利休が茶を点てる手を止め、茶筅を置いた。


「……本願寺に米を売るため、にございますかな」


「気づいておいででしたか」


 密事を暴かれたというのに、悪びれる様子もなく笑う二郎三郎。


「……この堺は信長様に従っておりますゆえ、足並みを乱されては困りますな」


 柔和な笑みを浮かべていた千利休が一変、真顔で二郎三郎を睨みつける。


 一介の商人だというのに、それだけで、どこか目を逸らしたくなってしまう圧があった。


 そんな千利休から目を逸らさず、二郎三郎は正座で座っていた足を崩し、その場であぐらをかいた。


「心配するな。うまくやるさ。……あんたと同じように」


「……………………はて、何の話にございましょう」


 動揺が隠せなくなっている千利休に、二郎三郎が告げた。


「あんた、本願寺に密輸してんだろ」


「……………………」


「別に確信があったわけじゃねぇさ。……ただ、何回か法主様のところに通ううちに、どうもうち以外と取引している感じがしたんだよな。そしたら、あんたと法主様が同じお香の香りがするじゃねぇか。……んで、鎌をかけてみたら、疑惑が確信に変わった」


「…………!」


 千利休がさらに固まる。


 新進気鋭の瀬名屋のことを調べあげ、本願寺に米を売っていた話を掴んだ。


 あとは証拠を揃え、織田家に密告すれば済む話だったのだ。自分の商家で密輸していた罪を瀬名屋に押し付ければ、それですべてが丸く収まったはずなのだ。


 そこに、突然、世良田二郎三郎がやってきたものだから、これ以上余計なことをしないよう釘を刺しておくつもりだった。


 間違いなく、世良田二郎三郎を追い詰めていたのだ。


 それが、なぜ逆に追い詰められなければならない。


 動揺を押し殺し、千利休が務めて冷静に言った。


「…………どうぞ、お好きなように。されど、それがしは信長様をはじめ、織田家の方々とは仲良くさせて頂いております。……こちらが本願寺に米を売っていると吹き込んだところで、果たしてどちらの言うことを信じるか……」


「何言ってんだ? 誰がチクるなんて言った」


「……では、いったい……」


「最初に言っただろ、いい仕入れ先があったら教えてくれって。……俺はただ、あんたと仲良くしたいだけさ」


 屈託のない笑みを見せる二郎三郎。


 ここにきて、千利休はようやく気がついた。


 この男、ただ者ではない。頭のキレといい、機転といい、一端の武将のそれではない。何より、面と向かって千利休に脅されている中、鎌をかけるだけの度胸がある。


(この利休の目を持ってしても見抜けなかった……世良田二郎三郎という男の器を……)


 今ならばわかる。おそらく、本願寺への密輸を密告したところで、二郎三郎はうまく躱すだろう。それどころか、その危機を利用してさらにのし上がるかもしれない。


 それほどの男なのだ、世良田二郎三郎とは。


(密告したところで瀬名屋は潰せないだろう……それならば、世良田二郎三郎を取り込んだ方が得、か……)


 懐から取り出した紙を火鉢に放ると、千利休は米の仕入れ先を教えるのだった。

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