第9話 世良田二郎三郎、再会する

 堺の町に戻ると、二郎三郎らは取引成功を祝して宴を催していた。


「にしても、流石は殿……。石山御坊に潜入すると聞いた時には耳を疑いましたが、本当に潜入するとは……。しかも、法主様より直接注文まで受けるなんて……」


「別におかしな話じゃないだろ。モノがないやつにモノを売って、信用されたから新しい注文を受けただけだ」


「難しいでしょう、普通。……法主様に御目通りが叶ったどころか、信頼を得るなんて……。そこらの商人じゃこうも上手くいきませんぞ」


 酒を片手に永井直勝が誉めそやす。


 顔が赤い。どうやら相当酔っているようだ。


「此度の策がうまくいったのは、直勝や石川殿がいたからさ。……なぁ、石川殿」


 二郎三郎が話を振るも、石川五右衛門の反応はない。


 見ると、酒を飲みすぎたのかその場で潰れてしまっていた。


「…………寝てますね」


「いいさ、石川殿は石山御坊に潜入する計画から手配まで全部やってくれたんだ。……寝かせといてやろう」


 二郎三郎が自分の羽織を石川五右衛門にかける。


「……そういえば、殿やそれがしは商人となったのですよね? 屋号はお決めになったので?」


 屋号とは商家そのものの名前で、天王寺屋や博多屋など、拠点を置く町から取る場合もあれば、角倉了以の角倉屋など、自身の名前から取る場合がある。


 いずれにせよ、屋号はその商家の顔となるものなため、慎重に決める必要があった。


「決めたよ」


「おお……! して、何という屋号にしたのですか」


「瀬名屋」


「なっ……」


 予想だにしなかった答えに、永井直勝が固まった。


 瀬名とは二郎三郎――もとい、松平信康の母の名前。こちらは二郎三郎とは違い本当に自害してしまったが、まさか亡き母の名前をつけるとは思わなかった。


「殿、お言葉ですが、母君の名を使っては、殿と繋がりがあると教えるようなもの……。やはり別の名前にした方がよろしいのでは……?」


「誰がお袋の名前を使っていると言った」


「……違うのですか?」


「いいか、瀬名というのは『瀬戸内』と『名古屋』から取ったものだ。……すなわち、瀬戸内から名古屋まで商いをする。……そういう意味が込められているのさ」


 二郎三郎の説明に、永井直勝が考え込んだ。


 一応筋は通っている。通っているのだが、どちらかというと無理やり通した感が強い。


 今のところ石山本願寺と取引をしているだけで、瀬戸内も名古屋も一切絡んでいない。……どう考えても、二郎三郎が母親である瀬名の名前を使いたいからに他ならないように思えた。


「殿、やはりここは……」


「……それに、俺と違ってお袋はもうこの世にはいねぇ。だったらせめて、お袋が生きた証を残してやりてぇだろ」


「殿……」


 二郎三郎の本心を聞き、永井直勝は言葉を失った。


 思えば、当然の話だった。


 故郷を追われ、墓参りもできない二郎三郎にしてみれば、自分のために自害した母に対して何もしてやれないという思いがあるのだろう。


 そのため、二郎三郎は屋号を『瀬名屋』とすることで、母の名前を天下に轟かせ、あの世の瀬名に二郎三郎なりの手向けを送ろうとしているのだ。


(殿……そこまでお考えだったとは……)


 二郎三郎の決意に触れ、永井直勝が酒を仰ぐ。


 いつの間にか、すっかり酔いが醒めていた。







 本願寺顕如から新たな注文を受けた二郎三郎は、再び石山御坊に商品を送るべく準備を進めていた。


 石川五右衛門は石山御坊に潜入する忍びを。永井直勝は船を。二郎三郎は頼まれていた米や炭などを集め、在庫を管理していた。


「ふぅ……」


 二郎三郎が息抜きとばかりに肩を叩く。


 一日中紙とにらめっこしていただけに、脳が疲れているのがわかる。


 岡崎にいた頃は奉行をしていただけに、こうした事務方には慣れていると思っていたが、今は一人。岡崎時代の官吏の優秀さが身に染みてわかるというものだった。


「こんな時、忠次がいてくれたらなぁ……」


 伊奈忠次。岡崎時代の二郎三郎の直臣で、名家でこそないものの、メキメキと頭角を現し二郎三郎の側近にまで上り詰めた官吏だ。


 将来は二郎三郎の右腕として内政面の手腕を期待されていたが、信康事件により表向き信康が腹を切ったことになっている今、連絡を取ってはいない。


「今頃どうしているかなぁ……」


 二郎三郎が一人呟くと、玄関から血相変えて永井直勝がやってきた。


「と、殿!」


「どうした、そんなに慌てて…………っ!? お前……」


 二郎三郎の視線の先。そこには、信康事件で別れることとなった直臣、伊奈忠次の姿があった。


「おお……殿じゃ……まさか、こうして再び殿に会えようとは……儂はてっきり、もうこの世にはおらぬものかと……」


「安心しろ。ちゃんと足はついてる」


 二郎三郎が冗談めかして足を見せる。


「はは……この感じ、間違いなく殿じゃ……!」


 伊奈忠次が溢れる涙を袖で拭う。


「にしても、よく俺が堺にいるとわかったな。俺が徳川を離れてからまったく連絡取れなかったってのに……」


「あの後、殿のいない徳川に仕えてもしょうがないと思い、徳川を出奔したのです。……されど、徳川を出て行くあてがあるわけでもなく、せめてそれがしの官吏の才を生かせぬものかと堺へやってきてみれば、瀬名屋という商家があるではございませぬか! そうしたら、そこの永井殿に見つかり……」


「そういうことだったのか……」


 結果的に信康が――二郎三郎が生きていると知る者が増えてしまったが、この際かまわない。


 商家を始めるにあたり、名奉行・伊奈忠次の力が借りられるのなら、これほど頼もしいものはない。


「ここで会ったのも何かの縁だ。……再び俺に仕えてくれ」


「はっ! 今一度、お仕えいたします!」





―――――――――――――


あとがき


伊奈忠次は家康の関東移封後、大久保長安と並んで関東代官頭に抜擢された人物です。

信康事件の後、徳川を出奔し堺に隠遁しているので、堺にいる二郎三郎と出会うのもあながちご都合主義でもなかったりします。



ここまで読んでいただきありがとうございます。


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