第8話 世良田二郎三郎、取引が成立する
「では証文を
本多正信が紙を渡すと、本願寺顕如がさらさらと何かを記入していく。
「ほれ、この証文を本願寺の末寺まで持っていけば、銭に換えてくれるであろう」
見ると、渡された証文にはたしかに『世良田二郎三郎に250貫渡すように』と書かれていた。
本物の銭ではないが、これを貰えば取引成立。
晴れて商人として儲けを出せたことになる。
嬉しさがこらえきれなかったのか、永井直勝が二郎三郎に小声で耳打ちした。
「やりましたな、殿。これで晴れて我らは商人の仲間入りですぞ」
「いや……」
二郎三郎が本願寺顕如から渡された証文を突き返す。
「なっ……」
「殿! どういうおつもりなのですか!」
驚く本多正信や永井直勝をよそに、二郎三郎が続ける。
「手前勝手な話なのですが、できれば銭で頂けませぬか?」
「なぜだ? ここにはキチンと私の名とお主の名が書かれていよう。これがあれば問題なく銭を受け取れるが……それとも、私の証文が信用できぬと申すつもりか?」
本願寺顕如が二郎三郎を睨みつける。
先ほどまでの和気あいあいとした雰囲気から一転、室内に殺気が満ちる。
返答次第では命はないと思え。そんな威圧感が伝わってくるかのようであった。
「これはそれがしと法主様、双方に益のある話なのです」
「申してみよ」
「それがしも商人の端くれ……。此度で商いを終えようとは思うておりませぬ。今回稼いだ銭でまた米を仕入れ、再び石山御坊に卸すつもりにございます」
「お前が持ってきてくれるのなら、こちらも願ったりかなったりだな」
「……一度目より二度目、二度目より三度目。回を重ねるごとに運び入れる品は増え、同時に扱う銭も増えましょう。……しかし、そうなっては今度は本願寺の末寺が銭を払えなくなるやもしれませぬ」
「舐めるな。一向宗の門徒は全国にいる。お布施だってかなりの金が……」
と、そこまで言いかけて、本願寺顕如がハッとした。
「本願寺で最も銭の集まるのはここ、石山御坊。……されど、包囲されている今……」
「膨大な銭が石山御坊に閉じ込められている……」
日本最大の宗教団体である一向宗は全国に門徒を抱えており、お布施だけで膨大な額に上る。
その収益は一向宗の総本山である石山御坊に集められ、本願寺の懐を潤しているのだが、織田軍に包囲されている今、石山御坊に眠る膨大な銭を使うことができず、蔵に眠っている状態にあった。
いくら本願寺が日本一の金持ちだとしても、石山御坊から金を出せないのなら意味がない。たとえ末寺に金を出すよう命令したところで、扱う金が増えれば増えるほど銭の調達が難しくなるのは目に見えていた。
そこで、二郎三郎は石山御坊にいることを生かし、直接銭を貰うことで証文の焦げ付きを防ぐと同時に、本願寺に銭を使う当てを用意したのだ。
(こいつ、そこまで考えて……)
本願寺顕如が証文を
(こいつ、ただの面白い男じゃないな。なかなかどうして頭の切れる……)
証書を火鉢にくべると、本願寺顕如が小坊主を呼び出した。
「蔵から銭を持ってこい」
しばらくすると、小坊主が四人がかりで銭の入った箱を持ってきた。
箱を開けると、中には銭がびっしりと詰められていた。
「持っていけ」
「これは……」
「どう見ても250貫以上入ってますぞ……!?」
二郎三郎と永井直勝が面食らっていると、本願寺顕如が心底愉快そうに笑った。
「クハハ! いいね、その顔が見たかった。お前には驚かされてばかりだったからな。……してやったわ」
二郎三郎と永井直勝が苦笑いをした。
どうやらこの本願寺顕如という男、存外お茶目な性格をしているらしい。
「前払いだ。締めて1000貫ある。……こいつで米や雑穀。あと冬が近いから炭も欲しいな」
「…………はっ、承りましてございます」
混乱する頭で二郎三郎がどうにか頭を下げる。
こうして、本願寺顕如との取引が成立すると、船で待たせていた石川五右衛門と合流し、米俵の引き渡しと銭の積み下ろしを行なった。
「銭1000貫も入ってるとなると物凄く重いからな。こちらで運ばせよう」
「お構いなく。……よっと」
小坊主四人がかりで持ち上げた箱を、二郎三郎が軽々と持ち上げる。
「ほう……」
二郎三郎が軽々と持ち上げる姿を見て、本願寺顕如が感心した。
商人と名乗っていたが、これほどの力持ちならば武士としてもやっていけるだろう。
……いや、本多正信と知り合いということは、案外本当に武士だったのかもしれない。
(世良田二郎三郎か……得難い男だ……)
商人としての頭の回転もさることながら、腕力に優れ、おまけに人を惹きつける何かを持っている。
味方ならば、これほど頼もしい男はいないだろう。
(できればうちに仕官してくれるといいんだが……)
とはいえ、あの手の男を縛り付けておくのは至難の業だ。
どうにか首輪を繋いだとて、すぐにどこかへ行ってしまうだろう。
それならば、今は商談というエサで餌付けするのも手かもしれない。
永井直勝らと船を漕ぎ出す世良田二郎三郎を見て、本願寺顕如はそのように考えるのだった。
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